千両過眼

東京在住の会社員の男性です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「天下を治めた絵師 狩野元信」2回目

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○2017年10月
「天下を治めた絵師 狩野元信」(サントリー美術館)

今展では、初代正信や元信が学んだ、南宋から元明時代にかけての中国の画家、馬遠や夏珪、戴進、王諤、呂健らの作品が見られます。
また、粱楷、玉澗や牧谿といった画家に倣った作品(激似!)が展示されており、これらの筆法の習得が初期狩野派の基礎となっていたことが分ります。
初期狩野派というと、正信の作品が展示替えとはいえ、これだけ並ぶのも嬉しいですが、本家筋ともいえる中国の大家たちの作品が見られるのは眼福です。

さて元信ですが、漢画の大作群のなかでも、入ってすぐの旧大仙院方丈障壁画(現在は掛軸に改装)がとりわけ大きなインパクトです。
展示されているのは、
「四季花鳥図」「禅宗祖師図」「朱買臣図」「巨岩雑木、瀑辺小禽図」「枇杷蓮根、柘榴柿図」。
衣鉢の間の「禅宗祖師図」は唐代の禅宗祖師たちの事績を大画面にひと続きで描いたもの。余白にみなぎる緊張感。
檀那の間の「四季花鳥図」は今展のポスターにもなっている、水墨画の発展形を思わせる彩色花鳥画。緊密で隙のない構図でありながら明快さも併せ持つ。
大仙院方丈の中心に位置する室中の間が、牧谿ふうの相阿弥作「瀟湘八景図」(本当はこれも展示してほしいぐらいですが)。この室中を取り囲むように、礼の間の四季耕作図(之信作)と、檀那の間、衣鉢の間のこれら障壁画が配されているようです。 
下の図は大仙院方丈平面図(禅展図録より)

水辺の風景が多いのが特徴的でしょうか。大仙院には行ったことがありませんが、聚光院と同じく、正対する庭と一体的な構成で構想されているのかも知れません。

元信は和漢融合といわれますが、4階が漢画中心、3階はボストン美術館から里帰りの仏画・白衣観音図や、大和絵的な肖像画、絵巻、扇面画などで構成されています。
和漢融合が進んだ桃山以降の狩野派に比べ、元信は和漢を描き分けていたという印象。
組織的な工房制作であるゆえ、元信真筆というのが分かり難いということをひしひしと感じましたが、大画面屏風絵の下絵などもあって興味深かったです。

「AX アックス」


◆2017年10月7日
「AX アックス」(KADOKAWA)
伊坂幸太郎

「最強の殺し屋はーーー恐妻家」帯の惹句では、主人公・兜(かぶと)の属性として「殺し屋」とともに「恐妻家」という言葉が出てきます。確かに、兜が妻に接するときの身構え具合、気の使いようは生半可ではありません。
妻を起こさないため、遅く帰った時の夜食を、開ける時に音のしない魚肉ソーセージに決めているほど。
夫婦の様子を見ていて、息子が父親に同情を寄せてくるのが可笑しい。

読み進むにつれ、兜の「恐妻家」の属性は、彼の過去や現在すべてと連結していることがわかります。
彼の仕事は、クリニックを装った黒幕から指示を受けて、「手術」つまりターゲットの殺害を行うこと。見ず知らずの相手を殺すことにためらいを感じ始めている彼は、一日も早い平和的引退を願っています。
理由はもちろん、彼が奇跡的に持ちえた平穏な家庭です。
子供の時から人生の裏街道を歩いてきた兜にとって、妻と子の存在はその人生観を一変させ、まさに殺害を行おうという場面でもターゲットの家族のことを考えてしまうほど。
兜の妻とのやり取りや心境描写(妻の発言にどうリアクションするべきか、いかに裏メッセージを込めずに会話するか、など)のシリアスさには思わず笑ってしまうのですが、そこには独特の空気が流れています。
彼の「恐妻家」は、単に怒られないために妻の機嫌をうかがう、ということではなく、妻に気を使うことのできる平和や幸せを目一杯享受している、というふうに見えるのです。
思いがけず愛情を注がれたならず者が改心して善人になるのに似ています。いや、善人にはなっていないのですが。

手に入れた平和な家庭、そして妻と子を守るために、兜は敵と戦うことを決意します。ここからは正直、予想外の展開でした。
これまでの著者の「殺し屋もの」はひたすら殺伐としていて好きではなかったのですが、本作は読み終わって、心にほんのりと暖かいものが残りました。
兜が命を賭して守ったもの。遡って妻との出会いを描いた、最後の章が印象的でした。
(2017年37冊目)
☆☆☆

「スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース」


●2017年10月8日
「スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース」(新橋演舞場)

市川猿之助さんのお怪我に、心からお見舞い申し上げます。
一日も早いご快癒をお祈り致します。

たまたまその前日、演舞場で「ワンピース歌舞伎」を観たところだったので本当に驚きました。
事故後、公式サイトで
「僕はゴムゴムの実の能力者のルフィです!僕は元気です!僕のいない穴は若手たちがしっかりと埋めてくれます。安心して劇場へお越しください」のコメントを読んで、猿之助さんのファンや周囲への気遣いに感動しました。
猿之助さんの代役は尾上右近さんが勤められるということです。「麦わらの挑戦」編ともども頑張ってほしいです。

私が観た日は、猿之助さんがルフィ・ハンコック二役で大奮闘でした。
その時の感想を簡単に。
猿之助自身ほとんど出ずっぱりで、二役の早替わり、宙乗り(しかも、かなり長い間)などもあり、楽しませてくれました。
全体としても本水を使った立ち回り(かなり派手)やトンボ、六法などが散りばめられていて、華やかでした。
ボン・クレー役の巳之助の飛び六法と、捕方の連続バク宙しながらの引っ込みの組合せに喝采しました。
右團次の白ひげの歌舞伎的重厚感が素晴らしく、そういえば「ワンピース」って年寄りが活躍する話なんだよなあと、改めて思いました。
エース・シャンクス役は平岳大で、彼の「異質」さがエースの孤独やシャンクスの孤高といった、目に見えないものをうまく出していたと思います。
歌舞伎って、家の芸を持ち寄って演じる印象がありますが、この公演は猿之助中心に、皆で一つのものを目指している感じが強くしました。結束力というのですかね、このことが「ワンピース」という作品のテイストにも合っていたと思います。

スーパー歌舞伎を観たのは、現・猿翁の「ヤマトタケル」「義経千本桜」以来ですが、四世猿之助という新たな開拓者を得て、演劇の一ジャンルとしてしっかり定着していることを感じさせました。
猿之助さんが怪我から復帰されて、また活躍されることを楽しみにしております。

宝塚月組「All for One〜ダルタニアンと太陽王〜」


 ●2017年10月7日
宝塚月組公演(貸切)
浪漫活劇(アクション・ロマネスク)
「All for One~ダルタニアンと太陽王~ 」
出演:珠城りょう 愛希れいか 美弥るりか 宇月颯 月城かなと 暁千星 海乃美月 (専科)一樹千尋 沙央くらま

今回の月組公演は「All for One」。デュマ作「三銃士」の宝塚オリジナルによる後日譚。
小池修一郎脚本・演出なので、ツボを押さえたお手並みはさすが。
お話自体もさることながら、美術や音楽、振付なども、オリジナルとしては例を見ないほど垢抜けていて、昔々のベルばらから、同じ小池作品の海外もの「エリザベート」「1789」を経て、ついにここまで来たか、と感慨深かったです。

ストーリーはこんな感じ。
太陽王ルイ14世の剣術の稽古相手に選ばれる銃士隊のダルタニアン。けれど王は剣術よりバレエに夢中。手合わせをするも不興を買ってしまいます。
ダルタニアンが仲間と語らう酒場に、ルイーズという若い女が紛れ込んできます。このルイーズが実は…。
といってもよく分からないので、ここからネタバレします。読みたくない人は読まないで下さいね。
…このルイーズは実は、太陽王ルイ14世と呼ばれているその人。20年前に男女双子で生まれたルイきょうだいのうち男子の方が誤って捨てられてしまったため、残った女子が、男子の後継ぎルイ14世として育てられたのでした。
「とりかへばや」的なお話ですね。
王のために双子の片方を探しつつ、王宮を牛耳るマザランファミリーと対決するダルタニアンの活躍と、ルイーズ、つまりルイ14世が幸せを掴むまでを描いています。

ルイ14世を娘トップの愛希れいかが演じてて、魅力全開です。
出て来た最初の場面から、頭がとげとげ、金色ミニワンピの奇矯なバレエ衣装。しかもこれが似合ってる。
「1789」で綺麗な歌声に、「グランドホテル」では演技に魅了されましたが、今回は王様の姿と女子に戻った姿、そのギャップが素晴らしい。
王宮では声まで低く、威厳を取り繕っているのに、本来の姿では普通の女の子。ダルタニアンがふと漏らした、謁見の時のルイ14世評に一喜一憂するのが可愛いです。
珠城りょうのダルタニアンが真っ直ぐなキャラで、素直な骨太さはこの人の持ち味です。
銃士隊に入るまでの彼の長い物語を、文字通り背景で説明してしまったあとは、彼と三銃士たち、彼とルイーズの関係性が描かれていきますが、なんか愛せるキャラなのです。
例えば、壁ドンしても、ちっとも強引な感じがしない柔らかさと温かさ。敵方のベルナルドが〝壁ドンコンプレックス〟に陥ってしまうのも分かる気がしました。

三銃士たち。女たらしの元神父アラミスは美弥るりか。お顔が綺麗なのでぴったり。
ダルタニアンから「王様が好き」と告白されてドン引きする場面など、コメディもいい感じです。
剣豪アトスが宇月颯、キリッとした眼力が素敵です。そしてさすがの剣技。
酒飲みのポルトスは暁千星で、この間フェルゼンやったと思ったら、今回早くもメインの役。こちらは素手で相手を倒していくのが格好いい。
それぞれの個性際立つ三人。「All for One!One for All!」と息もぴったりです。
敵役マザラン一派のベルナルドは月城かなとで、何しろ信じられないぐらい見目がよい。るろ剣の時も思ったけど、この人の二刀流の剣さばきも美しい。
そして壁ドンのギャグも真面目にこなして、だからこそ笑いも取れてて、アテ書きの良さを実感したことでした。

ショー部分では、ロケットの衣装がバレエぽく、最後の決めのポーズが綺麗で印象に残りました。
トップ二人のデュエットダンスもメリハリがあって綺麗です。
帰りにキャトルレーヴに寄りました。愛希れいかの頭とげとげのバレエ衣装の写真を記念に欲しかったのですが、売り切れたのか、なくて残念でした。
終演後のトップスター珠城りょうの挨拶の中で「お客様の笑顔、笑い声」という言葉がありましたが、今回の月組公演は、笑いとシリアス、個人技とアンサンブル的調和など、いろんな点が程よくて、とてもいい公演だったと思いました。

特別展「運慶」

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○2017年9月29日
興福寺中金堂再建記念特別展
「運慶」(東京国立博物館)

東博で始まったばかりの運慶展を見ました。
ある程度覚悟していたのですが、とにかく混雑が凄くて。外に並ぶことこそなかったものの、会場内は激混みでした。

入ってすぐに円成寺の大日如来像。写真だとさほど感じないけれど、実物を見ると造形感覚に圧倒されます。
先日奈良で快慶展を見たので、運慶と快慶の方向性の違いみたいなものを感じました。
快慶の仏像があくまで仏としての理想像を追究していて、とくに表情、正面から見た姿を重視している感じがするのに対し、運慶の造仏は、人体に由来する実在感が強く感じられます。 

大日如来像を横から見ると、肩や胸の厚み、ゆったりと座った姿勢に少しも無理がなくて、彫刻であることを忘れてしまいそう。
ポスターにもなっている無著・世親像はもとより、どれも確固たる存在感と、自然なポージングに感嘆させられる運慶仏。身体のある部分の動きが引き起こす、別の筋肉の動きや姿勢の変化が有機的に捉えられ、それがリアルな生命力と説得力を与えている! 
現・興福寺南円堂の四天王像もそう。これも運慶が関わった可能性があるそうですが、とくに多聞天と持国天のダイナミックな表現は、静止しながら動いていると言ってよく、西洋彫刻なども想起させました。 
人体的リアルさということでいうと、どの仏像にも、顔の表情に個性のひとはけが付加されてるのも見逃せません。なんか、こういう人いるよね、と思わせるのです。
ついでに言うと、快慶の広目天は「こらっ」と怒りながらも許してくれそうな感じ、南円堂の持国天は本当に容赦ない感じで、この辺のテイストの違いも興味深いです。 

下の写真は絵はがきより、静岡・願成就院の毘沙門天立像。出展して下さって、本当にありがとう、という感じです。


今展では、金剛峯寺の八大童子のうち六体がお出ましということで、楽しみにしていました。
サントリー美術館の高野山展以来で、今回ガラスケース越しですが、やっぱり格別。
写真で見ると、必ず目を剥いて怒った表情に見える制多伽童子が、実物で見るとそうではないのも前の時と同様で。
意識の中で想像してたのより、ずっと大きさは小さいです。
制多伽童子は不動明王の眷属で「瞋心悪性(あくしょう)の者」といわれますが、この童子像の表情からは、むしろ理知を、そして時には哀しみさえ読み取れるような気がします。今回もケースの中でちょっと心細そうに見えました。
後ろに見える清浄比丘童子が、こちらは私には唇を噛んでいかにも泣きそうに見えるのに、隣にいた年配の人が「笑っているように見えるね」と話しているのを聞いて、見る人によって受け取り方がこのように違うのは、どこに秘密があるのだろう、と不思議でした。

展示も終盤のところで、明恵上人の子犬と神鹿に和みました。
こちらは鳥獣戯画展以来で、そういえば湛慶作だったのだなと思い出しました。
鹿の伏せたポーズもいいし、子犬は小首を傾げてとても愛らしい。明恵上人が愛玩していたのが偲ばれます。
高山寺からは、小さな善妙神立像も出陳されています。義湘絵で、龍に変じた女性です。高山寺、いつか訪ねてみたいです。
展示の最後には、浄瑠璃寺伝来の十二神将立像。
方角を守ることから十二支と結び付いたという十二神将。子神、丑神、寅神…それぞれの顔や姿、ポーズが十二支の動物をイメージしてるらしい。
見ているうちに、思わず顔がほころんでしまいそう。
下の写真は絵はがきより。右が制多伽童子、左が明恵上人の子犬。
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帰りに図録を買いました。表紙が厚紙なので重くて、帰途駅に歩きながら少し泣きたかったです。でも帰ってから見ると、前後ろ斜め、いろんな方向から撮ったのや、マニアックなパーツ図版も多く、写真集みたいで結構気に入りました。

「江戸の琳派芸術」



○2017年9月24日
「江戸の琳派芸術」(出光美術館)

交通会館の帰りに出光美術館に寄りました。
江戸琳派っていうと抱一中心だし、そんなに好きではないしなーと、大して期待しないで見たのですが、結構面白かったです。

抱一の光琳へのオマージュ「風神雷神図屏風」や「八ツ橋図屏風」は有名ですが、見たことがない絵もたくさんありました。
江戸琳派というと、私は細見美術館や静嘉堂文庫が浮かびますが、出光美術館にも抱一や其一の優品は多いのですね。
中でも抱一の「夏秋草図屏風草稿」というのは珍しいと思いました。あの「夏秋草図屏風」の下描きです。何よりも、よくこんなものが残っていたもんだと。
二つの「紅白梅図屏風」が並んでいました。
伝光琳の紅白梅図(上の写真、部分)は、MOAの紅白梅図のように行儀良く画面に収まらない自由奔放さと、光琳らしい艶やかさが共存しています。右隻の大きな空白が余りに大胆で、見ていて心が躍ります。
もう一つは抱一で、お得意の銀地にぼってりとした美しさ。梅の静的な気品が表現されています。夜の梅ですね。
あくまで華やかな色気たっぷりの光琳と、文字通りいぶし銀のような渋さを表現する抱一。こうしてみると二人の方向性はどうも違うような気がしてくるのですが…。

「我等迄流れを汲むや苔清水」という句を詠んだりと、光琳顕彰に努めた抱一ですが、光琳オマージュにひと工夫加えていることを解説で初めて知りました。
光琳「八ツ橋図屏風」に倣うのに、光琳が燕子花を約130輪描き込んでいるのに対し、抱一は約80輪に減らしていること、抱一の下地は絹本の上に金箔を敷いていること。
確かに、紙に金箔を張った時のがさがさした感じでなく、絹本の滑らかな質感が見て取れました。
展示では、琳派を結ぶ花として、伝光琳、伝乾山、抱一、其一の立葵図を並べているのが面白かったです。立葵、紅白梅、燕子花、秋草等というのは、琳派共通のモチーフですね。
こうして光琳、抱一、其一を比べてみると、必ずしも光琳→抱一→其一という流れではないことに気付かされます。
其一は、師匠の抱一以上に光琳への傾倒ぶりが窺える気がします。
光琳の華やかさを江戸風に瀟洒にアレンジし直したのが抱一なら、其一は、光琳の華やかさ、艶やかさを追求した結果、色彩やモチーフがぶつかり合って、一種のえぐみにまで到達してしまった感じ。
今展展示の抱一「青楓朱楓図屏風」は、其一の手が入っている可能性が指摘されているとのことですが、この作品の造形感覚は、其一の代表作とされる「夏秋渓流図屏風」とやはり共通する部分が多いと感じられました。

「あきない世傳金と銀<四> 貫流篇」


◆2017年9月22日
「あきない世傳金と銀<四> 貫流篇」(ハルキ文庫)
高田郁

「あきない世傳」の四巻目。
頓死した四代目に代わり五代目を継いだ惣次とともに、五鈴屋をもり立てていこうと決めた幸でしたが、早々にすれ違いが生じます。
しかも商売のやり方において。
もともとこの夫婦、商いを成功させるという共通の目標で結び付いていただけなので、それが上手くいかないとなると、こうなるのは必然の展開。
出奔した惣次に代わって、あの人が登場!
そして、治兵衛とともに幸を見出したお家さんとの別れが描かれます。

(以下、辛口&ネタバレ注意)
同じ作者の本ということで、どうしても「みをつくし料理帖」と較べてしまいます。
「みをつくし」では、幼馴染みの友を救いたいという澪の心情に共感しました。
そして、澪とともに日々を懸命に生きる周囲の人々の幸せを、澪と一緒になって願うことができました。
ところが、この「あきない世傳」は、商いの戦国武将だか戦国大名だかになるという主人公の上昇志向ばかりが目につく感じがします。
幸には人間味が感じられないし、突然出てくる美人設定も、どこか空疎。
桔梗屋のためにあれこれ骨を折ろうとするのは解るが、夫のいないところで独断で勝手に進めていくのは、明らかに越権行為と思う。
その夫、智蔵にしても、あれだけ夢がどうとか言って家出しておきながら、大した通過儀礼もなく、あっさり店主に収まるってどういうこと?と思ってしまう。
それに「幸の操り人形になる」なんて、覇気がないことおびただしい。せめて「あかんたれなりに頑張る」とか言って欲しいところでした。
それでも三兄弟の中で唯一まともで、かつて幸とともに、と言ってくれた智蔵と結ばれて、少しは幸の人間的な部分が見られるかと思ったら、そうならなかったのは返す返すも残念です。愛情とか恋愛の要素がここまで描かれない作品も珍しいのでは。
そういうわけで、幸にも、周りの人物にも、感情移入できなかったです。

次巻以降シリーズを読み続けるかどうか、まだ決めかねていますが、唯一あるとすれば、最後どうなるのか見届けたいということでしょうか。
たぶん次巻あたり、ライバル店との熾烈なバトル、そして江戸店への足掛かりなどが描かれるのではないかと予想しますが、上方らしい人情細やかな話もあるといいな、と思います。
(2017年36冊目)

「天下を治めた絵師 狩野元信」


○2017年9月
六本木開館10周年記念
「天下を治めた絵師 狩野元信」(サントリー美術館)

元信というと、私には永徳の祖父というイメージが強いです。
息子である松栄以上に孫である永徳に期待をかけ、自ら英才教育を施したであろうことが想像されます。
館内に入ると、大徳寺塔頭の大仙院方丈の障壁画。大徳寺の他の塔頭と同様、室中の間、檀那の間、礼の間などに、真行草体で描き分けられています。
狩野派が禅宗寺院とともに発展してきたことがうかがわれました。

水墨画「浄瓶てき倒図」。唐の時代、懐海から禅問答を仕掛けられた霊祐が瓶を蹴倒して去る場面。
ちょっと梁楷ふうの水墨画で、空間が緊密。
漢画はやはり狩野派のお家芸。 父正信の流れを引いているのはもちろん、馬遠ふう、夏珪ふう、梁楷ふう、牧谿ふう、玉澗ふうと、非常に器用にこなしていて、やはり達者な人だったんだなと思いました。
一方、大和絵については、これこそが元信から狩野派に代々受け継がれた特徴だと思うのですが、とにかく全く普通に漢画と両立させているのがすごいです。
去年京都の清凉寺に行ったこともあり、「釈迦堂縁起絵巻」を興味深く見ました。
釈迦が天界に行ったことを悲しんだ優填王が、生身の釈迦像を彫らせ、礼拝する様子が描かれています。
こういう和漢兼帯の狩野派のスタイルが、やがて永徳や探幽といった天才を生んだのだなと実感しました。

ちょうど私が行った時には、ポスターになっている場面の四季花鳥図は展示されていませんでした。次回行くときの楽しみです。

「東京自叙伝」


◆2017年9月16日
「東京自叙伝」(集英社)
奥泉光

たとえば町並みやビルの谷間みたいなところを、ちらっと山手線が通っていくのを見るときなどに、私は東京を感じます。
戊申戦争、第二次世界大戦、敗戦と戦後の復興、安保、オリンピックにビートルズ来日、三億円事件。ここ約150年の東京の歴史を、江戸時代から現代に生きた6人がリレー的に語る本作。

実は、これは東京の「地霊」が語っている設定。6人の意識はひとつながりの記憶として連続し、そればかりか途中途中に、地下を這うネズミやら螻蛄の記憶まで入ってくるのを見れば、この「私」は、地霊がいろんな存在を渡り歩いて憑依しているものらしい。
・・・なんか語り手の正気を疑ってしまうような話なのでした。

それはそうと、東京という都市の記憶や意思、という観点で本作に書かれた歴史を見ると、全く違った面が見えてきます。学校で教わった国家有機体説というのとも少し違いますが・・・。
東京は一体何を望んできたのか?どこに向かうのか?
明治以降、繁栄の道を通ってきた東京。首都として国家の政治的方向性を決定し、日本の経済や文化を担ってきた街。
戦後の国際的地位回復と経済成長のことが語られる一方で、その陰に横たわる社会の歪みが描かれます。これは語り手個人の抱える歪みであると同時に、東京が抱えてきた歪みでもあります。
そして、唐突に始まる原発事故の生々しい描写。この本はあの事故から逆算された、長い寓話として読むべきなのかも、と思いました。
(2017年35冊目)

ミュージカル「アラジン」


●2017年9月20日
ミュージカル「アラジン」(劇団四季,電通四季劇場)
出演:萩原隆匡 小林唯 岡本瑞恵 牧野公昭 野口雅史 乾直樹 嶋野達也 白瀬英典 志村要

劇団四季の「アラジン」を3回目の観劇。
これまで、面白いには面白いけど、やっぱディズニーは子供っぽいよね、などと思っていたのですが、今回認識を新たにしました。
貧しい境遇から抜け出せないアラジンの切実さ、嘘をついてでもジャスミンに嫌われたくないという思い。地位はあっても心のままに行動できないジャスミンのもどかしさ。万能の魔人でありながら、ランプに縛り付けられ、使役され続けるジーニーの悲しみ。
人からは羨まれる境遇でも心に空虚を抱え、ただただ自由を夢見続ける彼ら。
そんな彼らの気持ちがびんびんと伝わってきました。

今回のキャストは萩原ジーニー、小林アラジン。この二人は私は初見。ジャスミンは岡本瑞恵。
萩原ジーニーは演技的には瀧山ジーニーと同系列だと思いますが、ダンスはやはり一級品。歌も問題なし。でもなににも増して、セリフによる感情表現が豊かです。
ラスト近くで、アラジンへの友情から自分の望みを封印して、皆の記憶を消すことを勧めるくだり、またアラジンが約束を履行して積年の願いがかなったときの喜び。思わずうるっと来てしまいました。
キャッツやWSS、四季のいろんな舞台で萩原さんを観ていますが、こんなに芝居が上手い人とは知りませんでした。また観ることがあったら、ぜひまた萩原ジーニーで観たいです(阿久津ジーニーも観たいけど…)。
小林アラジンは、歌に夢見るような感じがあって良いです。
これまでは「生きるため盗むのは仕方ないよね」という歌詞に、何を甘えたこと言ってるんだ、立派な犯罪だろうが!と憤りを覚えていたのですが、不思議とこの人だとそんな感じがしない。なんかバランスなんでしょうね。
岡本瑞恵は陽性で活発なところがジャスミンぽく、安心して観ていられます。
ジャファーはあの美しい低音しゃべりの牧野さん。しびれます。

今回初めて2階席からの観劇でしたが、ここからだときらめく星をバックにした魔法の絨毯の飛行シーンがとても綺麗です。
自らを王子と偽ったアラジンが、これを後悔し、真実を告白しようとするところから事態は急激に動き出します。人間の良心や約束を守るということを最上段に置く価値観がアメリカ的、ディズニー的ということなのかどうか、私には分かりませんが、観終わった後に心の中になんかいいものが残ったような、不思議な充足感がありました。


写真はロビーにあったキャッツのポスター「キャッツ、東京へ」
いよいよです!!
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