千両過眼

東京在住の会社員の男性です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」

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○2018年2月
「寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽」(サントリー美術館)

とても面白い展覧会でした。
小堀遠州、野々村仁清と金森宗和、狩野探幽。本で読んだり美術館で見たりしても、そこだけ理解したつもりになってしまいますが、時代に着目することで急に生き生きと立体的に見えてきます。
この時代、特記すべきは、朝廷と幕府の関係です。
三代家光の時代は幕藩体制の確立とともに、公家諸法度や紫衣事件など朝廷への締め付けが厳しくなる時期。その一方で和子(東福門院)を入内させたり莫大な経済援助をしたりしたことは、宥和政策ともとれます。

興味深かったのは、探幽のいわゆる淡麗瀟洒な作風が、小堀遠州の「綺麗さび」と相通ずるのではないかという指摘です。
確かに、利休→織部→遠州という茶の湯の流れの中で、武家好みの明るく穏やかな遠州の嗜好と、探幽の作風とは共通点が見出せる気もします。
これは、仁清作品の価値観とも通じるかも知れません。
探幽の行年書き時代の「源氏物語 賢木・澪標図屏風」。和漢融合、まさに「土佐派を超えた大和絵」で、洗練を極めています。
また瀟湘八景は、牧谿風と夏珪風を融合したような筆致です。このように異なる作風を学習消化して、太平の時代に合致した、調和のとれた作品を生み出していったのが探幽なのでしょう。

仁清も、文学、漆芸、狩野派などの絵画など、さまざまなものから影響を受けて、作風を展開していったと聞きます。今回、初期の「写し」や白釉、銹絵から色絵に至る作風の変遷が見て取れ、これも時代背景と関わっていたと実感されました。
仁清をプロデュースしたのは金森宗和で、彼の茶は「姫宗和」というぐらい公家や富裕町人に好まれたのだと思いますが、今展では水墨画ふうの茶碗があったりして、仁清が、思ったよりずっと幅広い作風だったのだなと感じられます。
モダンなデザインの「白釉円孔透鉢」は現代アートのようなデザイン。畠山記念館にある桃山期の高取の透鉢にもかなり似通っていて、その関係性にも興味が湧きました。

展示されている作品や作者たちを見ても、後水尾天皇の文化人サロンを中心として、公家、武家、僧侶や富裕町人などに文化が共有され拡大していったのが想像できます。
これも戦乱の末に訪れた徳川時代の到来、そして朝廷と幕府の新たな関係性によるものかと思います。

「つぼみ」

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◆2018年2月5日
「つぼみ」(光文社)
宮下奈都

この中の3編は他の作品のスピンオフということですが、私はそちらは読んでいません。でも、ここから読んでも十分味わいのある本でした。

一番気に入ったのは「まだまだ、」です。華道に向き合う主人公紗英の葛藤が描かれています。
基本の型から逃れて自由に、自分自身の花を活けてみたいと願う紗英。そんな彼女に祖母がかけた言葉。「型があるから自由になれる」「型があんたを助けてくれるんだよ」
これは華道に限ったことではなく、生き方そのものへの示唆なのでしょう。思えば青年期とは、いろんな人生の「型」を学ぶ時期なのかも。

この後の紗英の教師に対する行動には、確かにある種のふっきれたものがあります。摩擦を怖れない心棒のような何か。
いろんなときに、ふっと心を通り過ぎて、それきり忘れてしまうような気持ちを著者は上手に掬い上げます。表題の「まだまだ」のあとの「、」は、このお話のあとに今はまだ空白だけれど、彼女の未来が広がっていることを感じさせました。
このような、将来あるべき姿へ向かう途上の主人公たちがこの本には多く描かれています。清々しい印象を受けました。
(2018年3冊目)☆☆

「アラジン」(2018年1回目)

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●2018年1月30日
ミュージカル「アラジン」(電通四季劇場)
出演:瀧山久志 島村幸大 岡本瑞恵 牧野公昭 町田兼一 西尾健治 嶋野達也 藤田光之 石波義人

電通四季劇場で「アラジン」を観ました。
配役は、島村アラジン、瀧山ジーニー、岡本ジャスミン、牧野ジャファーと、メインどころがほぼ四季オリジナルキャストで、さすがにまとまった舞台でした。
席がかなり前方だったので、これまで気付かなかったようなところにもいろいろ発見がありました。
幕開き直後の市場での追いかけっこの場面、狭い舞台上で歌に合わせて役者が入り乱れて同時進行的に動きます。役者の生声や足音も聞こえます。一人一人の芝居がとても繊細かつエネルギッシュであることに今更ながら気付きました。
ジャスミンが雁字搦めの王宮を抜け出して市場にやって来る場面、彼女の表情からわくわくが伝わってきました。いかに彼女が自由というものに憧れていたのかがわかりました。
この作品では、アラジン、ジーニー、ジャスミンそれぞれが囚われの身の窮屈さを感じていて、「自由な新しい世界」への希求がテーマになっています。これが細部のデティールにまで行き届いていることが、やはり感動を呼ぶのだと思います。

一幕でアラジンがパンを盗んで、生きていくためには仕方ないみたいなことを歌う場面がありますが(ちゃんとそのあとに、アンサンブルの「NO!」というセリフが入る。この辺りはやはりディズニー。笑)、それを聞いてて、ジャン・バルジャンが頭に浮かびました。
バルジャンはパンを1個盗んで牢獄に19年つながれてしまいます。果たしてその刑の重さは彼の罪に相応しかったのか。
アラジンも、いつかこの境遇から抜け出したいと願いつつ、生きるためにパンを盗む。
当然、法に照らしてこれは悪いことなのだけれども、どこかでこの2作品がつながっているような気がしてなりませんでした。

面白かったのは、盗みの行為がスルーされる一方で、嘘をつくことが非常に悪いこととされてること。
ジーニーの魔法で王子になったアラジンは、自分の真実をジャスミンに告白することができません。かといって目的のためには仕方ないとか言って居直ることもできず悩むアラジン。
この問題が解決されて初めてハッピーエンドとなるのですが、この辺やはりディズニー的優先順位。この明快さゆえに愛されるということも、よくわかります。4

「色絵JAPAN CUTE!」

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○2018年1月26日
「色絵JAPAN CUTE!」(出光美術館)

肥前で焼かれた古九谷、柿右衛門、鍋島や、仁清、乾山らに代表される京焼などの色絵磁器を集めた展覧会。
江戸時代にできたこれらの磁器が語る、季節感や文学性、カラフルさや可愛らしさといったものの表現。普段何気なく、そういうものとして受け入れていますが、改めて魅力に気付かされました
本来実用のために作られた焼物が、わが国の有形無形の美意識(ものの捉え方や季節の感じ方、蒔絵や大和絵、王朝文学のようなものも含めて)影響を受け、贈答用として、また私たちの生活を彩る道具として発展していったのが興味深いと思いました

面白かったのが、伊万里焼の海を越えた変化です。
肥前磁器は伊万里港や出島から積み出され、ヨーロッパの王侯貴族のコレクションに入るとともに、権威付けに利用されました。のちには伊万里を模倣したチャイニーズイマリが景徳鎮窯で作られるようにもなりました。
たとえば柿右衛門がチャイニーズイマリで模倣され、ヨーロッパのマイセンやチェルシーなどでさらに模倣され、という展開が、実物を並べた形で展示されています。
これがそっくりに模倣しているものもある一方で、オリジナルにちょっと何かを足してみたり、妙に抽象化したりデザイン的意匠にしてみたり、というのがあって大変興味深かったです。
解説でこれを「伝言ゲーム」と書いてあるのが面白い言語センスだなあと感心しました。
考えてみれば、現在のマイセンやロイヤルコペンハーゲンなど多くのヨーロッパ磁器の意匠は、日本の磁器の影響を受けて、独自に発展していったものといっても違和感ありません。だとすれば、江戸時代の日本の美意識が海を越え、現地の上流階級を中心とした人々の好みに濾過されて、今の世界的スタンダードに定着したといってもよいのでは。
これって、なんかすごいことだなあと感動しました。

宝塚雪組公演「ひかりふる路」「SUPER VOYAGER!」

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●2018年1月27日
宝塚雪組公演
ミュージカル「ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール」
レヴュー・スペクタキュラー「SUPER VOYAGER!ー希望の海へー」(東京宝塚劇場)
出演:望海風斗 真彩希帆 彩風咲奈 彩凪翔 朝美絢 朝月希和 永久輝せあ 星南のぞみ 沙央くらま

東京宝塚劇場で雪組公演を観ました。
望海風斗・真彩希帆のトップコンビの大劇場お披露目公演です。思えば、望海に強烈なインパクトを感じたのは、花組時代の「オーシャンズ11」の悪役でした。
こういうふうに、注目している生徒がどんどん成長して、ついにトップまで上り詰めるのは感無量です。

今回、望海風斗が演じるのは、フランス革命を先頭で導いたマクシミリアン・ロベスピエール。
最近の「スカーレット・ピンパーネル」や「1789」始め、この辺の歴史は宝塚だけでなく、いろんな舞台で扱われていますが、彼ほどいろんな取り上げられ方をしている人物は珍しいのでは。
望海は、人によってイメージが異なるこの役を掘り下げています。革命の立役者である一方、恐怖政治と粛清のイメージが付きまとう役。
彼の理想主義を根底に置き、ダントンやデムーランらとの軋轢や彼を崇拝するサン=ジュスト、そして一時期、彼を熱烈に支持した民衆との関係を通して、ロベスピエールという人物が変わっていくのを非常にうまく表現しています。
この変化は、はたから見ると狂気に近いもの。そこに絡んでくる真彩希帆のマリー=アンヌとの決裂が決定的要素となって、やがて破滅に陥っていく。その流れが非常に腑に落ちました。
これまでの宝塚にはなかなかない、重厚な演技を見せてくれたと思います。

新トップ娘役の真彩希帆はとにかく歌のうまさが印象に残りました。
望海とデュエットして、あれだけ遜色ない娘役がいたことに驚きです。そして群像の中で絶妙にバランス良い芝居だったので、マクシミリアンの行動に説得力が増しました。これから彼女を見るのも楽しみになりました。
かっこよかったのが、ダントン役の彩風咲奈!
これまでの彼女のキャラとは異なる豪放磊落系の役でしたが、頑張ってる感じも含めてとてもよかったです。ダントンがマクシミリアンが去った後に、自分のグラスをマクシミリアンのグラスに合わせるところ、泣けました。
もう一人、印象に残ったのはサン=ジュストの朝美絢。この人の美貌とあの扇動の仕方がもう役にぴったりで。
沙央くらまのデムーランがマクシミリアンとダントンをうまい感じでつないでいて、ああ「1789」で理想を共有した彼らがこうなってしまうなんて…と思い悲しかったです。私が好きな凪さまこと彩凪翔は、やや出番少なく残念でした。
最後の断頭台の場面、綺麗事な結末にせず、マクシミリアンとマリー=アンヌが一歩一歩それぞれの方向に歩いていくのがいいと思いました。

暗くストレスフルな芝居の雰囲気を一掃するのがショー「SUPER VOYAGER!」。
キラキラで楽しく、これぞタカラヅカのショー!という感じでした。
生徒たちの個性を前面に出したプロローグも良かったのですが、私のイチオシは彩風咲奈と朝月希和中心の「海(OCEAN)」。黄色の衣裳でのダンスがとても素敵でした。
それとロケット。始めトップ二人の背景みたいでちょっと…と思って観ていたら、銀橋でロケットしてくれたのが、とてもよかったです。
そして黒燕尾のかっこよさ!
終演後、新トップ望海風斗の挨拶がありました。

「森家の討ち入り」

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◆2018年1月21日
「森家の討ち入り」(講談社)
諸田玲子

久し振りに心にしみいる時代ものでした。
元禄赤穂事件の折に吉良邸に討ち入った47人のうち、神崎与五郎、茅野和助、横川勘平は、改易された津山森家の旧臣。
その後、森家当主となった長直は奇縁を感じて、3人の消息を尋ねさせます。

3人それぞれの事情に、森家側の改易をめぐるごたごたを絡めた連作短編となっています。
とくに私が泣けたのは二編目の「与五郎の妻」。再縁した与五郎の元妻に、人伝てに差出人のない扇が届けられる、という話。
「ならぬ堪忍するが堪忍」の神崎らしい短編です。
これに限らず、三編ともちょっと講談を思わせるような、素直な感動を呼ぶ話です。

なぜ3人は召しかかえられて間もない赤穂藩に殉じたのか。お家騒動の末の森家の改易や犬小屋の普請命令は彼らの行動にどのような影響を与えたのか。このことがはっきりこうと書かれてはいませんが、伝わってくるものがありました。
赤穂事件は「武士道の精華」と言われますが、このことを真正面からいうのではなく、あくまでも人と人との関わりを通して描いているのが良かったです。
森家の改易騒動から4年後、こんどは内匠頭刃傷によって赤穂浅野家が断絶。その5年後、森家が赤穂に転封されるという不思議な巡り合わせ。森家が赤穂に入った後のことがラストに描かれます。爽やかな風が吹きすぎるような気がしました。
(2018年2冊目)☆☆☆☆

「墨と金 狩野派の絵画」


○2018年1月13日
「墨と金 狩野派の絵画」(根津美術館)

漢画から出発した狩野派が大和絵の画風を取り込み、やがて安定した基盤を築いていく、その流れを作品とともに紹介しています。

とくに江戸時代の探幽、尚信兄弟の屏風が目を引きました。
尚信の水墨屏風「山水花鳥図」で目に付くのは探幽以上の余白の多さと、荒っぽくさえ見える筆遣い。でもその余白には広々とした空間が、墨の勢いには心地良ささえ感じられます。
尚信をベタ褒めしたのは近衛家煕だったか。思いのままに筆を走らせたような彼の絵からは「天才」という言葉が浮かびます。
一方探幽の「両帝図」は、黄帝と帝舜を描く屏風絵。
文句の付けようのない安定性というか隙の無さはピカイチ。格調高く権威的でもあります。
こんな絵を発注するのは将軍家や大名家でしょうが、金箔の上に、さらにぼかした感じで金砂を蒔いた金雲が、とても豪奢な印象を与えます。 金、金、金、なのです。
「墨と金」という今回の展覧会のテーマが色濃く表された両作品。始祖正信、元信、永徳らから受け継がれてきた狩野派の伝統の、ある意味到達点ともいえるのではないでしょうか。

二つ目の展示室では、探幽の高弟だった久隅守景と、京狩野の山雪らの作品。
守景「舞楽図屏風」は、太平楽、納曽利、蘭陵王の舞人を描いていますが、人物の顔を胡粉で盛り上げて立体感を出しているのが工夫です。
山雪は、何を描くのにも松の枝を最後にぐいっと曲げなければ気が済まないという(笑)。
京狩野の特徴云々以前に、彼の個性は何といってもこの鬱屈にあるのだと思うので、「梟鶏図」のもの言いたげな、老成した表情の鳥たちもその延長上といえそう。
ここで一番面白かったのは、桃山時代の狩野派絵師の作という「源氏物語図屏風」。
大和絵の伝統的な画題。吹抜け屋台に源氏の各場面を組み合わせるのも伝統通り。しかし岩は狩野派、人物は大和絵ふうをやや残しつつ…という感じ。
極め付きは、大木が大胆に画面を横切り、これが金雲と重なり合ってごちゃごちゃになってしまってるところ。
言われてみれば、巨木を真ん中に持ってくるのは確かに永徳の影響かも。画風の異なる様式を消化、整理して再構成するのが、いかに難しいかを感じました。

「裏ヴァージョン」


◆2018年1月6日
「裏ヴァージョン」(小学館)
松浦理英子

のっけから短編小説がいくつか続いていく。でも短編集と異なるのは、各末尾に読者と思われる人物のコメントが付いていること。
そのコメントは内容への批判で、しかもどんどんエスカレートしていく。
そうか、この本は作者と読者(しかもごく近い距離)の、作品とコメントを通した赤裸々な対話みたいなもんなんだな、と気付きます。

小説の書き手は、かつての同級生である家主の一間を借りて暮らしていて、アラフォーとなった今、小説を書いたフロッピーを家主に差し出すことで、住居を保証されているという関係。かつては小説家を目指し賞を取ったりもしたが、今はその道も放棄している。
この二人の文章を介したやり取りがスリリングでした。二人の関係を一言で表せば「旧友」「高校時代の親友」なのですが、現実世界にひとことで表せる関係なんて本当はないのだなと思いました。
学生時代から蓄積されたありったけの感情に現在の関係性が加わって、短編小説の内容はいよいよ虚実取り混ぜた展開に、それに対するコメントは面罵に近い詰問状になっていく。自分に対するものと紙一重とも思える他者への攻撃。
これ、新しいタイプの小説かも。
恋人でもなく、もはや友人とも言えなさそうな人間関係の行き着く先はどこなのか。最後に勝利するのはどちらなのか。面白かったのですが、読み終わって寂寞とした風が胸中を吹き抜けました。
(2018年1冊目)☆☆

「北斎とジャポニスム」

 
○2018年1月
「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」(国立西洋美術館)
 
ジャポニスムの西洋美術への影響についてはよく言われるところですが、今展では北斎と、その直接的影響を受けたと思われる絵画を並べて、視覚的な関係を感じようという試みです。
1867年のパリ万博以降に出版された、日本美術に関する研究書の多さにブームの大きさが窺われます。
明治になり、日本人が西洋の影響を受けて芸術の近代化を目指したのと同じ時期に、西洋では日本美術に自分たちにない革新性を「発見」していたのは面白いと思います。
 
展示では、モネやドガ、セザンヌ、ゴッホらの元ネタが「北斎漫画」などに多く求められていて、よくぞこれだけ似たものを探したものだと感心しました。
モネやピサロの風景画が遠近法によらず、風景の手前に木を持ってきたりして三次元の平面化を図っているのには成程と思うし、セザンヌの「サント=ヴィクトワール山」は幾つもの斜線を組み合わせた画面構成が確かに「駿州片倉茶園」に似ています。
とりわけ冨嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」の影響は大きくて、オマージュといってもよさそうな絵が並んでます。まあ、この絵は現代日本人にもインパクトありますしね。
これら両者の関係性に納得できるものがある一方で、微妙なものもありました。
ドガの「踊り子」と北斎漫画の力士が並べられていますが、確かにネタとしては面白いけれども、少しこじつけな気が。神話でも宗教でも肖像でもなく人物の自然なポーズを取り入れたことや、画面を突然ぶちっと切ったような構図のことなら解るけれど。
表面的な類似よりも、もっと本質的な影響、西洋と日本の文化のありようの違いなどについても掘り下げて欲しかったです。
 
下は美術展のHP。展示中の北斎作品とモネやドガ、セザンヌらの作品を比較しています↓
 
特別展とは全然違い、常設展示は空いています。
いつもながら、ここの常設展は秀逸です。素晴らしい作品が気持ちよく見られます。この快適さにはコルビュジエの設計も一役買っているかも知れません。
ドルチの「悲しみの聖母」に見入ってしまいます。
ラファエル前派やナビ派の展示。ヴァン・ドンゲンの「ターバンの女」「カジノのホール」も好きです。
背景のブルーが印象的なブグロー「音楽」、黒田清輝の師匠コランや、モリゾの女性像などの新収蔵品もお披露目されていました。

「壽初春大歌舞伎」昼の部


●2017年1月6日
二代目松本白鸚・十代目松本幸四郎・八代目市川染五郎襲名披露
「壽初春大歌舞伎」昼の部
 箱根霊験誓仇討/七福神/菅原伝授手習鑑『車引』『寺子屋』

久々に歌舞伎座に行きました。高麗屋三代襲名披露で賑わっています。
ちょうど歌舞伎を見始めた学生の頃に、今回白鸚を襲名した幸四郎の講演を聴いたことがあって、以来何となく応援している自分がいます。
今回三代同時襲名ということで、芸と同時に名前が継承されていくところを見られて、嬉しいです。

一幕目は「箱根霊験誓仇討」。
新歌舞伎座の開場以来、初上演ということですが、そりゃそうだよなあ。だって突っ込みどころ満載だもの。
霊験譚で貞女譚で仇討ちもの。
仇である滝口上野を探して箱根にやって来た勝五郎と女房初花。だが、逆に見つかり殺されそうになる。絶体絶命。(余りに簡単にやられちゃうので計画性のなさにびっくり…)
初花に横恋慕した上野は夫と母を助けて欲しくば俺と来いみたいなことを言い、悩んだあげくついて行く初花。すると、なぜか念仏を唱え始める夫と母親。(まだ死んでないし!)
すると、初花が突然戻ってくる。観客にはああ、と分かるが勝五郎に分からないのは仕方ない。ところが、初花が上野と差し違えなかったことをなじり始める勝五郎。(何もしてないお前が言うな!)
この初花は実は上野に殺された初花の魂魄で、夫の病気快癒を祈るため、最後は滝壺に身を躍らせるのでした。
女房のおかげで足が治った途端、嬉しくて満面笑みの勝五郎にドン引き。せめて悲しむとか、女房の捨て身の行為に感謝するとかが普通だよねえ。でも歌舞伎って大なり小なりこういうとこがあって、現代の価値観との違いに戸惑うことある。
脳内でいろいろ突っ込みながらも、涙してしまう自分も不思議。

『七福神』
お正月らしい七福神の舞。私はもちろん踊りの細かい所作なんかは分からないけれど、なんかすごく良かった。自分もお酒を飲んで、仙境に遊んでる心地がしましたよ。
彌十郎さんの寿老人の表情が素敵だった。
回文の和歌「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」が歌い込まれていました。

『車引』
主君、菅丞相の仇である藤原時平をつけ狙い、牛車の前に立ちはだかる梅王丸、桜丸とそれを止めようとする松王丸。実は三人は兄弟で、後日の決着を誓う、という話。
染五郎改め幸四郎が松王丸、口跡良く若々しい松王丸。以前は線が細く感じたものだったけど、芯みたいなもんが加わり、本当に立派。お父さんの良いところも受け継いでってほしい。
勘九郎が梅王丸、七之助が桜丸。これも上々で、兄弟三人並んだところが華やかでした。
そうそう、時平役の彌十郎が眼からビーム出しそうでめっちゃ怖かった。

『寺子屋』
幸四郎改め白鸚の当たり役。ここでこれを持ってくるのは納得。
寺子屋の主・武部源蔵は、菅丞相の嫡子である菅秀才を匿っていることがバレて、その首を差し出すよう命じられる。
そこで、この日初めて寺子屋に来た少年の首を、首実検に来た松王丸に差し出すのだが実は…。親子の情愛と、主君への義理の狭間で起こる悲劇。
源蔵が梅玉、その妻戸浪が雀右衛門、松王丸妻千代が魁春、ほか左團次、藤十郎、東蔵。 
菅秀才を守るために赤の他人の子を殺そうとする源蔵。露見しないよう母親までも手にかけようとするところ、これがスルーなのも歌舞伎ならでは。
そういえば、子供の与太郎役で猿之助が元気に出演してました。「めでたい襲名披露に出るために頑張ってリハビリしたよ」とか何とか。劇場が沸きました。
白鸚の松王丸はさすが当たり役だけあって重厚でした。梅玉の源蔵との間の緊張感もすごく伝わってきました。
それまでずっと目を瞑っていたような松王丸が、首実検の時にかっと目を見開いたところに無言の慟哭が感じられました。その後も春藤玄蕃の目がある中で無表情を通しながらも、我が子を失った「しおしお感」がそこはかとなく伝わってきて、良かったです。
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