千両過眼

東京在住の会社員の男性です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年」


○2017年12月8日
六本木開館10周年記念展
「フランス宮廷の磁器 セーヴル、創造の300年」(サントリー美術館)

マイセンを模倣するところから始まったフランスの磁器は、やがてセーヴルの王立製作所で宮廷などの好みを反映した磁器を多く産み出すこととなります。
国王ルイ15世、ルイ16世やマリー・アントワネット、ポンパドゥール夫人にヴォバリー夫人、ナポレオン、彼らのために特別に誂えられた食器などが展示されています。

ちょっと驚くのが、「マリー・アントワネットのための乳房のボウル」(看板の写真上)。
ギリシャの酒宴で使われた杯を模したものとされています。王妃が酪農場でミルクを飲むために作られたということですが、何でしょうね、これは…。 ちょっとセクハラっぽいというか…。21世紀の我々には理解できないです。
宮殿で使われるものや外交の進物用に作られた食器セットは、国の威信がかかっているだけに、凝ったデザインや絵付けが施されています。
19世紀には、かなり絵付けの技術も発達しているようで、ほとんど絵画です。庭園や鳥、庭いじりの道具、人物、風景、内容も多彩です。
時々の流行を反映してかシノワズリや、日本の柿右衛門、鍋島に影響を受けたっぽいのもありました。

正直なところ厖大な数の食器類にはすぐに飽きましたが、人体を象った彫刻的な美しさには惹かれました。
下の写真は「貝を捧げ持つニンフ」(1761年頃。絵はがきより)と「スカーフダンサー」(1900年頃)。ゴーヴネの「ダンサー」(1925年)のオートクチュール感も素敵。 






考えてみれば、ギリシャ以降、西洋彫刻では人体の美の造形的追究が行われてきたわけですが、日本の伝統にはこういうものって、ちょっと思い付きません。仏像彫刻などが感覚としては似ているような気がしますが、でも仏像は人ではないですね。
今展では写真撮影ができるコーナーもあって、2点のダンサーはそこで撮りました。

南禅寺、旧三井家下鴨別邸


2017年11月

好きな旅館にたまたま空きが出たと聞いて、京都に行きました。
11月の京都は何といっても紅葉!
今年は例年より早めということで気が揉めましたが、何とかぎりぎり間に合った感じです。

とりあえず行き慣れた場所ということで南禅寺へ。
これがすごい混雑で。
いつもがらんとしてる参道に大型バスが何台も停まり、山門の方へ向かう人混みは、まるで四条河原町のよう。 




まず天授庵へ。細川家ゆかりのお寺です。
方丈の横を回り込んでいくと、広大な池泉回遊式庭園が広がります。
池に沿って赤や黄色、さまざまな色の紅葉が見られました。
ここで印象的だったのは、侘びた風情ですね。
苔むしたつくばい。秋明菊の白い花があちこちに咲いていました。 




小雨の中、水路閣の向こうの石段を上り、南禅院へ。かつて亀山上皇の離宮があった場所だそうです。
ここも池泉回遊式庭園です。こんな高い場所にこういうところがあるのが不思議といえば不思議。水路閣、どこまで続くのかと思ってたら、端っこを初めて見ました。 




翌日は朝から下鴨にある旧三井家下鴨別邸を見学。
三井家の祖霊社が遷座された場所に、宿舎や茶室を新築したもので、戦後は家庭裁判所宿舎としても使用されたそうです。
あの広岡あさの書状なども展示してありました。
下の写真は、糺の森。
「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたづねてぞすむ」の和歌で有名なせみの小川が流れています。

「たゆたえども沈まず」


◆2017年11月26日
「たゆたえども沈まず」(幻冬舎)
原田マハ

先日ゴッホが題材の映画を観たばかりですが、ちょうど上野で「ゴッホ展」も開かれていて、今ゴッホ・ブームなのかも。 
上の写真は、ゴッホの絵のワインラベルです。

19世紀末にフランスに憧れ、パリに渡った日本人二人。彼らがパリで知り合ったのは、大手画廊に勤めているテオドルスと、その兄フィンセントのゴッホ兄弟。
浮世絵を中心としたジャポニスム熱の高まり、これらに影響を受けた印象派など新しい絵画の誕生。
世紀末の芸術的潮流を背景に、ゴッホという天才がどのように生まれ、この世にどのように関わったのかが描かれています。
天才の兄フィンセントを献身的に支えた人として、最近テオが脚光を浴びています。
何かというと兄の心配をし、滞在費やら絵具代やら少なくないお金を工面し…と、彼の苦労は絶えることがありません。
本作も、テオの苦悩を描き出します。
とくに自身の幸福と、兄への信頼(これらが時に背反している)の板挟みになって身動きが取れない様子が、読んでいて痛々しいほどです。
先日観た映画との共通点として、フィンセントの死に至る(あるいは死を受け入れる)遠因として匂わされているのが、弟にこれ以上迷惑を掛けたくないという思い。
これが本当だったとすれば、ひたすら兄の身を案じ、その才能を信じようとしたテオと、アルルやオーヴェルで絵筆をとりながら、この世と相容れない自分を責め続けたフィンセントとは、互いへの思いの強さが悪い方に出たと言わざるをえません。

「セーヌに受け入れられないのなら、セーヌに浮かぶ舟になればいい(中略)あなたは舟になって、嵐が過ぎるのを待てばいい。たゆたえども、決して沈まずに。」
作中でパリから拒絶されたと感じたフィンセントに、林忠正がかけた言葉。 
「たゆたえども沈まず」とは、古くから自然災害や革命、戦争などの災厄を潜り抜けてきたパリ市の標語だそうです。
ゴッホのパリへの執着と日本への思いがどのように関係するかはさておいて、オランダに生まれ、フランスを転々とし、日本の事物に憧れ続けた彼の魂の寄る辺なさが、その人生と作品に影響を与えたのだと、この作品は語っているようです。
(2017年41冊目)☆

畠山記念館「近代数寄者の交友録」


○2017年11月26日
新収蔵記念
「近代数寄者の交友録 益田鈍翁・横井夜雨・畠山即翁」(畠山記念館)

畠山記念館で「近代数寄者の交遊録」展を開催しています。
3人の茶人、益田鈍翁(1848-1938)、横井夜雨(1883-1945)、畠山即翁(1881-1971)の交流がうかがわれる資料や道具を展示しています。

鈍翁は様々なエピソードで知られた人物ですが、夜雨は30以上も年の違う鈍翁に私淑し、茶の湯を通じて交流を深めたといいます。
また、荏原製作所の創立者で、夜雨より二つほど年上の即翁は、鈍翁と同じく実業の傍ら茶の湯に傾倒した人物。
その雅号に鈍翁の「鈍」を意識して「即」を用いたともいわれているそうです。


冷泉為恭「旅中郭公図」の葦手による散らし書きが、判じ物みたいで面白いです。人、岩、ほととぎす、田、杉の絵が文字を表しています。
遊び心がありますよね。
 人ならば待てといはましほととぎす   
           またふたこゑとなかで過ぎぬる


「柿の蔕(へた)茶碗 銘 毘沙門堂」は元々京都の毘沙門堂に伝来したもの。
鈍翁がこれを一時期預かったものの購入しなかったところ、即翁が入手し、鈍翁を招いた茶会で早速この茶碗を出しました。鈍翁は「毘沙門堂」と揮毫し、脇に次の狂歌を書き付けました。
 柿の蔕ひとつが老の思ひ出に 
        くやしといふもおもしろの世や

鈍翁の死後、この書を夜雨が即翁に贈った時の添状も展示されていて、3人の交友が偲ばれました。
展示室の一角にある茶室でお茶をいただきました。
この美術館は木立の中にありますが、まだ紅葉には少し早いものの、時折野鳥の声が聞こえてきます。風情がありました。

桑山美術館「折々の茶会-初釜から歳暮-」


○2017年11月23日
「折々の茶会-初釜から歳暮-」(桑山美術館)

日帰りで名古屋に行きました。
名古屋駅から地下鉄で少し行ったところに桑山美術館があります。
長いアプローチを抜けると、洋館と広い庭園。お茶室。



展覧会は「折々の茶会」というテーマの展示でした。
「初釜から歳暮」というのは、今の時期、逆じゃないかと思ったら、初釜から花見、納涼、名残というように一年を振り返る趣旨でした。
朝鮮王朝時代という三島暦手茶碗が、地の色が青磁のような色で、ちょっと他で見たことがないようなものでした。


屋上に上がると名古屋の街が一望できます。
雨上がりで、空に虹が見えました。

ミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」

image

●2017年11月21日
ミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」(TBS赤坂ACTシアター)
出演:石丸幹二 安蘭けい 石井一孝 上原理生 泉見洋平 松下洸平

赤坂ACTシアターで「スカーレット・ピンパーネル」を観ました。
この演目を宝塚版以外で観るのは初めて。
革命後、フランスではロベスピエールの恐怖政治により、反革命的と見做された人達が次々と断頭台に送られる粛清の時代が訪れます。
イギリス貴族のパーシー・ブレイクニーは仲間たちとともにピンパーネル団を結成、彼らを国外に逃がす手助けをします。

石丸幹二のパーシーは、役に入り込みすぎず、自らを客観視しながら余裕を持って演じている印象です。
いわば歌舞伎の名優のように。
この芝居、悲惨な背景の割に笑える部分が多くて、どういう気分で観るべきか悩んでしまうんですよね。最終的にはスカッとしなくちゃならないし。
アドリブなども交えつつ、その辺りの流れや全体の芝居のトーンを、暗くなりすぎないよう、また明るくもなりすぎないよう心を砕いているように感じられました。
先日観た宝塚版のパーシーは、あんまり妻マルグリットを愛している感じがしませんでしたが、石丸パーシーは妻への疑惑のために苦悩し、それがために心を閉ざしているのがよく伝わりました。明快な冒険活劇の裏で、すれ違った夫婦が、互いへの信頼を取り戻すという縦糸が表現されていたと思います。
安蘭けいのマルグリットは、元女優というのが板についています。
実は私は、彼女の女性姿を初めて見たのですが(遅!)、抜群に歌上手だった男役の時の歌い方に比べるとやや安定感が欠いて感じられました。
でも、牢獄から出て行くところなんかは真っ直ぐ顔を上げて、さすが元男役トップの貫禄。
さらに、パーシーとの間の理由の分からないわだかまりで、孤独に引きこもっていくのが、彼女ならではの深まりを見せていたと思います。

ショーヴラン役は石井一孝。宝塚版の柚希礼音や礼真琴がかなりコワモテだったのに比べ、こちらではどういう人物像なのかイマイチわからなかったです。
これ多分、宝塚版を先に観ちゃった弊害だと分かってはいるのですが(笑)
加えて、石井さんというとどうしても最近の「シスターアクト」が浮かんできてしまって。
ただでさえパーシーにおちょくられるわ、マルグリットに振られるわの損な役回り。この役、バランス取るのが非常に難しい役なのではなかろうか。
ロベスピエールとプリンス・オブ・ウェールズは上原理生の二役。何といっても、二幕の早着替えによる役替わりが見せ場です。
それにしてもアンジョルラス、ダントンときて、ロベスピエールとは…。上原さんの熱に浮かされたようなロベスピエールを見てて、レミゼのアンジョルラス的な潔癖さとロベスピエールとはどこか結び付くところがあるのかもと思いました。

宝塚版とはちょこちょこ違っているところもあったし、何より最後は大逆転の話なので、楽しめました。
ワイルドホーンの音楽も普段あまり好きではないのですが、この演目に限っては♫「ひとかけらの勇気が~」とついつい口ずさんでしまいます。

「ゴッホ 最期の手紙」


◇2017年11月16日
映画「ゴッホ 最期の手紙」

ゴッホは生前、次のような言葉を残しているそうです。
「我々は自分たちの絵にしか語らせることはできないのだ」
ならばということで、表現技法として、ゴッホの絵に語らせてしまったのがこの映画。

出来た作品はアニメーションというべきですが、通常のアニメ作品と違い、実写で撮影された映像を、各国の画家たちがゴッホ風の油絵として、キャンバス上に再構成して制作したそうです。
気の遠くなるような手作業!
郵便配達人ルーランの息子アルマンが、ゴッホが死の直前に書いた手紙を弟テオに届けようとするのが話の発端。
ゴッホは1890年、南仏アルルで自殺。しかし目撃者がいないため、不明な点も多い。
手紙を携えてテオの行方を訪ね、ついでアルルに向かうアルマン。 過去への旅が始まります。
郵便配達人ルーランのほか、絵でおなじみのタンギー爺さんや医師ガシェらが登場し、生前のゴッホについて、そして事件について語ります。証言は食い違い、どんどん不審が増していく。
死の直前の不可解な行動。不思議な銃創の記録…。アルマンはゴッホの死の謎に引き込まれていきます。時には亡きゴッホの魂とシンクロしながら。
アルマンの精神の変化過程が面白かったです。

観終わった後、ゴッホ特有のゆがんだ造型のほかに、強烈な南仏の光や小麦畑のイエロー、これと対照的な薄暗がりのブルーが印象に残りました。
ゴッホの絵を見てこういうことを考えたことはなかったけれど、絵が動いてみると、いろいろ気付くことがあります。
何がゴッホにこのような激しい筆触をとらせたのか?アルルの風景は彼に何をもたらしたのか?そういう様々な疑問が脳裏に浮かんでは消えていく。
そういう意味で刺激的な映画でした。

「デンジャラス」


◆2017年11月8日
「デンジャラス」(中央公論新社)
桐野夏生

ある意味、ショッキングな内容の小説でした。
谷崎潤一郎の作品について考えるとき、その時々に谷崎を取り巻く女性たちのことを顧みないわけにはいきません。ですが、こうやって、あえて当事者の独白の体裁で書かれてみると、やはり生々しい。
小説だとわかってはいても。

この小説は、谷崎の妻・松子の妹で、「細雪」の雪子のモデルとされる渡辺(作中では田邊)重子の視点で書かれています。
「細雪」が執筆された頃の重子の結婚生活に始まり、谷崎老年期に至っての「家族帝国」の変容、とりわけ渡辺家の嫁・千萬子をめぐる重子たちの葛藤が描かれていきます。
谷崎と姉・松子のそばに常に寄り添い、雪子のモデルという誇りを胸に秘めながら、松子と表裏一体の存在であり続ける重子。
若さを武器に、谷崎の新しいミューズとなる千萬子。
作中で描かれる、谷崎家の緊張関係は、経済的に彼女たちが谷崎の庇護下にあったからというだけでなく、「自分こそが創作活動の源泉である」というプライドの戦いに他なりません。
小説と実生活はもちろん別物で、これを同一視するべきでないと分かっていながらも、当事者の立場になってみれば、心穏やかではいられない。
そして、読者から見ても(下世話な話ではありますが)、谷崎文学と実生活との関係というのは気になってしまう。とくに「瘋癲老人日記」のようにスキャンダラスな内容の作品であってみれば。
この辺りの興味が著者にこれを書かせたのだと思うし、読者もそれを踏まえて、この本を手に取るのだと思います。

この本の凄いところは、文章から著者・桐野夏生の気配を消しているところです。
昭和初期~中頃の時代感や、関西の富裕層出身の女性の言葉として自然だし、かなり事実に沿って書かれてる(らしい)。読んでいてしばしば、あたかも本当に重子の独白であるように錯覚させられました。
一点受け付けなかったのは、ラストです。
ネタバレになるので詳述しませんが、作中で松子および重子VS千萬子の戦いに決着をつける出来事が起こります。
この部分、「刺青」を下敷きにしており、全体から浮いています。ここだけ作品が現実を侵食した「物語」になってしまっています。
現実には谷崎はこうはしないと思うのです。周囲の声を余所に、本人はあくまでも現実と作品を区別していた人だったのではなかろうか。その折り合いの付け方は本人にしか分からなかったとは思いますが。(2017年40冊目)☆

宝塚宙組「神々の土地~ロマノフたちの黄昏~」


●2017年11月4日
宝塚宙組公演
ミュージカル・プレイ「神々の土地~ロマノフたちの黄昏~」
レヴューロマン「クラシカルビジュー」
出演:朝夏まなと 真風涼帆 愛月ひかる 澄輝さやと 蒼羽りく 桜木みなと 伶美うらら 星風まどか

宝塚宙組公演を観ました。トップスター朝夏まなとの退団公演です。
優しさと誠実さ、品のよさを感じさせるトップで、今回で見納めかと思うと寂しいです。

芝居は上田久美子作「神々の土地~ロマノフたちの黄昏~」。
ロシア革命前夜。怪僧ラスプーチンに操られて悪政を敷く皇帝ニコライ二世から、民衆の心はすでに離れています。皇帝と政治的に対立している皇太后一派により、ついにラスプーチン暗殺計画が持ち上がり…。
ロマノフ王朝の終焉を前に、奮闘虚しく革命の渦に巻き込まれていく主人公ドミトリーが描かれます。
ストーリー的にはちょっと微妙。まあ、宝塚の革命ものによくある感じですが。

セルゲイ大公の美しい未亡人イリナとの恋模様、皇太后派と皇帝との和解への努力など、ドミトリーという役には朝夏の持ち味である誠実さが生かされています。
結局は歴史の流れの前にはなすすべなく、物語は悲劇へと流れていくのですが、観ている方としてはストレスのたまる展開ではあります。
とくに、立場ゆえに互いに一歩を踏み出せないイリナとの関係にはやきもきします。
今回退団の伶美うららがイリナ役。気品ある物腰に、一抹の寂しさも漂わせて、とても良かったです。雪原でドミトリーとエレナがダンスを踊る場面が美しくて、いいシーン。
今公演は娘トップ不在という妙なことになっていて、一体何で?ということが気になりました。
貴族でドミトリーの旧友フェリックスを真風涼帆。朝夏まなとの軍服姿に対し、こちらはスーツ姿。これが似合っていてカッコいい。彼女の落ち着いた芝居はすごく安心感があります。
星風まどかが皇帝ニコライ2世の娘オリガ役。制服がホテルマンみたいで可愛い。
そして!怪僧ラスプーチンの役を愛月ひかる。これが宝塚とは思えない怪演で。始め、彼女がやってるって気付きませんでしたよ。いくら撃たれても向かってくるのが、本当怖かった…。
ルキーニ以上の突き抜けた演技でした。

時折、会話の端々に見える(ような気がする)フェリックスのドミトリーへの感情が、どうも意図的にぼかされてる気がしました。
フェリックスのドミトリーへの気持ちは単なる友情なのか?
何かと言うと「お邪魔かな」とか言いながら、ドミトリーとエレナの話にフェリックスが割り込んでくるんですよね。これ、ドミトリーとエレナ、フェリックスの三角関係を暗示してるんだと思います。いっそはっきり描いた方が、すっきりしたんではないだろうか。

ショーは稲葉大地作「クラシカル・ビジュー」。
宝石をイメージしたショーということでしたが、よくわからないうちに終わってしまいました。
黒エンビが正統派で、これはよかったです。
そして、これも娘トップ不在の影響が。脳が、黒エンビの次はデュエットダンスだぞ、と言ってるのに、あれ、終わり?みたいな。ちょっとモヤモヤする感じでした。

貸切だったので、終演後、朝夏まなとの挨拶がありました。
「…並びに宝塚歌劇団、中でも!とりわけ!宙組を!」のところをすごく強調してて、グッジョブでした。

「SONG&DANCE 65」


●2017年11月1日
「SONG&DANCE 65」(劇団四季,自由劇場)
出演:瀧山久志 飯田達郎 芝清道 斎藤洋一郎 笠松哲朗 西尾健治 永野亮比己 三平果歩 江畑晶慧 綿引さやか 多田毬奈 相原萌 相馬杏奈ほか

自由劇場で「ソング&ダンス65」を観ました。
来年、創立65周年を迎える劇団四季のレパートリーから、代表的なナンバーを歌とダンスで表現しています。
「サムホエア」に始まる第一部は、劇団四季の歴史を振り返る内容。先ごろ亡くなった日下武史さんの姿がスクリーンに映し出されます。
それぞれの出演演目のキャスト中心に、舞台の延長上とでもいえそうな構成なので、観やすかったです。 曲目も、代表曲ばかりを集めたベスト盤的構成でなく、時折マイナーな曲が入ってきたりするのもよかった。
久々に聞いた江畑晶慧の「自由を求めて」が大迫力でした。
「パート・オブ・ユア・ワールド」は三平果歩。少し痩せたかな。彼女のアリエルは私は未見ですが、聞き応えありました。 彼女はまた、河津修一と組んで、バトントワーリングを披露。経験者なのですね。素人目からもすごい技。
「キャッツ」「オペラ座」「ウィキッド」などが東京では次々に終了して、私的にはやや距離できた感のある四季ですが、こうして見てるとレベルの高さとともに、観客を楽しませようという意識が感じられ、四季のこういうところ好きだなあと思いました。

二部は、ディズニーとアンドリュー・ロイド・ウェバー作品。
瀧山久志が前説込みで「理想の相棒」を。「ビビデバビデブー」を観客との掛け合いで盛り上がります。
「ノートルダムの鐘」のカジモドを笠松哲朗が演じて、雰囲気ありました。
「エビータ」に続き「キャッツ」のオーバーチュアが流れ出すと、わっと心が反応します。五反田の頃よく観ていたので、懐かしさでいっぱいで。
江畑のグリザベラに綿引さやかのシラバブが合わせ「メモリー」。「私にさわって」のところですごく感動。
笠松・三平の「マンゴジェリーとランペルティーザ」が、なんとロンドン版DVDに近いアレンジでびっくり。二人が変わりばんこに浮遊するような、人間業とは思えない(猫技?)振りに二度びっくり。
永野亮比己がミストフェリーズを踊り、舞台そのままの振付に、あー「キャッツ」見たい!と切実に思いました。
ミストの魔法から「オペラ座の怪人」へ。
たくさんある鏡の向こうに怪人が見え隠れする演出。以前帝劇でエポニーヌをやってた綿引さやかがクリスティーヌを歌い、これがよかったです。彼女は正統派ヒロインの趣なので、いつか本当にクリスティーヌをやって欲しいです。
最後の曲は「サークル・オブ・ライフ」。ジャーンと終わったときに大拍手でした。

終演後外に出ると、空には「キャッツ」のような月。とてもいい気分で家路につきました。
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