千両過眼

東京在住の会社員の男性です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

宝塚月組「グランドホテル」











2017年3月25日 
宝塚月組公演
ザ・ミュージカル「グランドホテル」
モン・パリ誕生90周年  レヴューロマン「カルーセル輪舞」(東京宝塚劇場)
出演:珠城りょう 愛希れいか 美弥るりか 宇月颯 早乙女わかば 朝美絢 海乃美月 暁千星

様々な人生が交差する場所、ホテル。
今回の月組公演では、ベルリンの高級ホテルを舞台にした人間模様が描かれます。
借金まみれで、ホテルの宿泊費も払えない男爵フェリックスは、マフィアから脅され、ずるずると目の前の悪事に手を染めてしまいます。
彼と関わるのは、自分探しにやって来た体の弱いオットー、夢を持ちながら現実から抜け出せないタイピスト・フラムシェン、かつての名バレリーナで、今は往時の面影もないエリザヴェッタ。
彼らとフェリックスが出会い、そしてちょっとずつ時が流れていくさまを、ホテルはじっと見つめます。

新トップの珠城りょう演じるフェリックスが、自分で意図したわけでもないのに、人生に苦しむ者たちに、少しずつ救いや希望をもたらす話です。
というのは観終わってから気付くことで、初めはこれがどんな話だか、よく解らなかったのですが。
はっと思ったのは、ネックレスを盗みに入ったエリザヴェッタの部屋で、二人が鉢合わせしてしまう ところ
とっさにファンだと嘘をつくフェリックス。この時ぱっと表情が華やぐエリザヴェッタ 印象的でした。
やがて彼はネックレスを盗みに入ったことを告白し、結果的に二人は恋に落ちてしまいます。
そういう、悪になりきれないだけではなく、ついつい意識せずともとっさに相手の心に寄り添ってしまう、魂の善性みたいなものを珠城のフェリックスから感じました。

このパターンの群像劇は、現代の私たちから見ると特に珍しいわけではないだけに、その成否はフェリックスと関わる人物たちにかかっていると思います。その意味で、エリザヴェッタ、オットー、フラムシェンを演じる人は大変です。
エリザヴェッタ役の愛希れいかが素晴らしかったです。元世界的バレリーナ、しかし今は凋落し、自分のカンパニーにギャラも払えない。
誇りは傷つき、年齢的にも衰えを感じて心に屈託を抱えている。彼女がフェリックスとの出会いによって、忘れていた、人を愛することと、それに伴う芸術的感興を呼び覚まされる。
決してやって来ない年下の恋人を、目をキラキラさせながらベンチで待つ姿に泣けました。今まで「1789」などの声の綺麗な娘役、というイメージしかなかったのですが、彼女の芝居心には胸打たれました。

オットー役の美弥るりかは、病弱で気弱な演技が程よく、安心して観られました。幅広く演じられ、何をしても目を引く彼女の個性は、月組の武器だと思います。
この日のフラムシェンは海乃美月で、軽さとしたたかさ、でも一面で真面目なところが、表現されていたと思います。このような一言で言えない役は面白いですね。そして、足技も素晴らしい!
三人がそれぞれの役をきっちり、ストーリーに埋没せず演じていたので、全体がバランスよく、珠城の存在感を際立たせました。フェリックスが消えても、それぞれの人生が(しかも、この時代のベルリンで!  これからも続いていく、というのが心に残るラストでした。
役柄の少ない芝居ですが、多くの場面で生徒たちが壁、あるいはホテルという集合体そのもののように、また時代の目のように、舞台上でじっとフェリックスたちを見つめる演出が、一面不気味でもあり、面白いとも思えました。
回転ドアですれ違うエリザヴェッタと珠城の場面が素敵でした。ここで終われば良かったのに、唯一不満だったのは、幕が下りてからのトップ二人のダンスですね。完全な蛇足に思えました。前の場面の余情が台無し!と思いました。

ショーはモン・パリ90周年「カルーセル輪舞」。
「モン・パリ」の歌が流れるたびに、かつての宙組「レヴュー伝説」が頭をよぎったのだけれど、あれはもしかすると、もう10年前になるのでしょうか。
幕開き、巨大な回転木馬のお馬さんが4頭。馬たちは用のないときは舞台の端っこや上の方に片付けられてたりします。
一度、オペラでジェンヌを見ようとして、このラメの入った白い足は誰だろうと思うと、この馬の脚だったので、びっくりしました。
今回、新トップ珠城りょうのお披露目でしたが、退団者もいるしで一期一会的な感じのするショーでした。珠城の朗らかな大きさで、組全体の色も変化しつつあるという感じを受けました。
愛希れいかのアメリカのダンスや、ブラジルのサンバステップの凄まじさに見とれました。
男役のダンスでは、メキシコのオラオラが、いつもより3割がた増量でお得な感じ。
時々目の前を横切る素敵な男役さんは誰?と思っていたら、朝美絢でした。これまでの公演ではノーチェックだったのに、ジェンヌさんはいつも急に気になり始めるから不思議です。
黒燕尾はしずしずと格調高く「モン・パリ」。かつての花總まりさんのダルマ姿もまぶたに蘇ります。
100年の時を紡いできた歌劇団の歴史への敬意が感じられて、いい黒燕尾だったと思います。

貸切公演だったので、終演後、新トップ珠城りょうの挨拶がありました。
「三井住友VISAカード様、並びに宝塚歌劇団」というべきところ、あろうことか「宝塚歌劇団」を噛んでしまって(笑)。
「強調しようと思うと噛んでしまうんですね」と言いつつ、「宝塚歌劇団、その中でも特に月組を」と力強く言い直しました。
これから新しく作り上げていく新生月組を担っていく責任感を感じました。

「光秀の定理」

2017年3月18日 
「光秀の定理」(角川文庫)
垣根涼介

この著者の本は初めてですが、虚実が溶け合って、素晴らしい作品世界を形成しています。こんな面白い時代物は久し振り。
世捨人の僧・愚息、兵法家の新九郎、二人が京で出会ったのは、美濃源氏の末裔ながら、いまは浪人の身で細川家の食客となっていた明智光秀。
三好・松永勢が京を席巻し、将軍すら命を奪われる乱世。三人の目を通し、目まぐるしい世の変転が描かれます。

物語の中心となる三人はもちろん、登場人物たちの息遣いが感じられるようでした。
私がとりわけ魅力的に感じたのが信長の造形。闊達さと呵責なさ、極度に合理的な思考。これらが矛盾なく一人の人間に同居しているのが、すごい説得力で。
道化になることを厭わない秀吉に比べ、繊細で優しく、礼儀を重んじる一方、プライドが高く、責任感の強さから一族の命運を自ら背負いこむ光秀。
彼を本能寺へと駆り立てたものを、単に信長との相性や、現代も囁かれる陰謀説に帰するのではなく、互いの臣従関係に関する認識がそもそも始めから違っていたのではないかと 、愚息と新九郎の会話を通じて推理するくだりに頷けました
物語としては、光秀だけだとどうしても息苦しい話になりそうなところ、愚息の万物流転の価値観に基づき、客観的な会話で語られることで中和されています。本能寺の変とは何だったのだろうと読者に改めて考えさせる内容になっています。

タイトルにもある通り、愚息の教える数学的「定理」が本作で重要な役割を担っています。
これは確率の問題ですね。一つ目は解けましたが、二つ目は…。挑戦するのは楽しかったのだけれども。
しかし、この定理は長光寺城の攻城戦に当てはめられるものなのだろうか。
胴元側(守る側)が賭ける側(攻める側)の選択内容を知らず、かつ、選択肢を絞り込んで恣意的に示す前提がない状態で、この定理は成立するのか?
出来れば誰かに解説して欲しいです。

下の写真は四条西洞院、本能寺跡地です。
(2017年11冊目)☆☆☆☆

古唐津展












○2017年3月17日
「古唐津 大いなるやきものの時代」(出光美術館)

アートフェアの帰りに、改めて出光美術館の「古唐津展」を観ました。
ゆったりとした空間で、温かみのある古唐津に触れていると、疲れが癒されました。

唐津焼は、形態と意匠、両方で面白い展開をします。
茶碗の形一つとっても、たとえば奥高麗のように、かつては朝鮮の井戸、熊川茶碗と混同されるほどだったのが、やがて織部の沓形、志野の半筒形のような同時代的な特徴を取り込んでいきます。唐津の陶工たちの柔軟さや貪欲さを感じました。
また、渡来中国人によって焼かれたという天目形などもあり、その多彩さは飽きさせません。

意匠については、絵唐津ののびやかで闊達な絵付けが魅力的。葦などの草木文や、丸・渦巻などの文様が目立ちます。
同じ幾何学文でも、鍋島のように緻密じゃないところが、いかにも似つかわしい。
解説によれば、唐津の文様は抽象から具象化への道を辿ったそうです。普通は逆な気がしますが、不思議です。
さっと付立て風に筆をふるった感じが、素朴でありながら瀟洒な味になってます。
上写真右下の、橋と人物を描いた筒茶碗。等伯の山水図襖の写真が添えられていますが、私は玉澗の「山市晴嵐図」が思い浮かびました。やはり桃山的価値観です。

唐津のぐい呑は小林秀雄らを魅了したということですが、私は安東次男の「あたりをかき暗すというほどでもない雪の降る杣道」という喩えに一票。
斑唐津の白い釉薬の景色からは、雪の杣道、なるほどと納得。
自分もついつい、家にあるぐい呑を並べてみたくなりました。

「QED〜flumen〜月夜見」










◇2017年3月11日
「QED~flumen~月夜見」(講談社)
高田崇史

「QED」シリーズの新作。主人公・桑原崇が、文学や歴史、民俗学の蘊蓄を語りながら殺人事件の謎を解くミステリー。
って、聞いただけではどんなんだか分からないですね。
百人一首、六歌仙に七福神、ホームズ譚…。奇想天外に思えながら最後は案外納得させられてしまいます。

今回は、月読神社と松尾大社で起こった事件をきっかけに、記紀に登場する月読尊、そして渡来人系の古い氏族である秦氏について考察されています。
「月は不吉」と考えられていたという平安時代。その理由となる古代史の謎に崇が迫っていくのは面白く、興味深く読みました。
一方、事件については、横溝正史ばりに子守唄(著者の創作)や見立て殺人まで用意しておきながら、尻切れとんぼで、あからさまに著者の興味が持続していない感じが。笑。
事件の部分と、歴史探究の部分の密度が全然違うのです。こういうところも含めての、このシリーズだと思いますが。

写真は、ソメイヨシノより一足早く、河津桜です。
☆☆(2017年10冊目)

「屏風にあそぶ春のしつらえ」

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○2017年3月5日
「屏風にあそぶ春のしつらえ 茶道具とおもてなしのうつわ」(泉屋博古館分館)

泉屋博古館分館で「屏風にあそぶ春のしつらえ」展(前期)を開催しています。
展示室に入るなり目に入る、不思議なやまと絵屏風「扇面散・農村風俗図」。
農村風景を描いた左隻と、古歌由来の場面などを扇面貼り交ぜ風に描いたという右隻。テイストが全く違ってて、本当に対なんだろうか?
左隻では、桜咲く田園の傍らに、授乳する女性やサギを眺める親子がいる。

桜=春になると下りてくる稲作の神の憑代という説があるそうですね。
桜で田植えの時期を知るところから「田植え桜」という言葉も残ります。さらに「木花之開耶姫」の話も。
もうすぐ、この辺り(六本木一丁目)でも桜が咲き始めます。
春の桜には生命の連環・再生のイメージが重なります。梅の親しみやすさと比べ、桜の花に神秘や祝祭を感じるのは、満開の桜からこれらのイメージを、知らず知らず読み取ってしまうからなのかも。

もう一つの屏風、「二条城行幸図屏風」が保存状態がとてもよい上に、見れば見るほど面白い!
描かれてるのは寛永3年(1626)、後水尾天皇の行幸の様子です。
下段に、天皇を迎えに御所に赴く将軍家光。上段に二条城に向かう天皇一行。上下の時間が逆になっているのは、天皇の鳳輦を下に描かないためですかね。
供奉する者たちのほか、ルートである中立売通(下段)と堀川通(上段)の沿道、町家に混じり桟敷席も設けられてるようで、ひしめき合う群衆たちがパレードを見物するさまが描かれます。

貴人の行列の時には町人は平伏するのかと思っていたら、そんなことはないのですね。むしろ鳳輦の前の見物たちは特に盛り上がってるように見える。
沿道には多数の僧侶も。この行幸直後、紫衣事件が起こるわけですが、その遠因はここにあったりして…。
右隻2扇目の騎乗して向こうを向いている人物は伊達政宗ということです。
行楽めいて愉しげな民衆の様子ばかりか、蒔絵の弁当箱や煙管などの調度、扇子の模様、馬のたてがみの一本一本まで細かく描かれてて見飽きないです。記録性と再現性、両方に気が配られてるのが分かります。

「坊っちゃんのそれから」

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◆2017年3月6日
「坊っちゃんのそれから」(河出書房新社)
芳川泰久

文字通り「坊っちゃん」のその後を描いた作品。と思いきや、「坊っちゃん」の設定を借りた別作品と考えた方がよさそうです。
文体に漱石を意識したような部分があるものの、内容は漱石ぽくありません。
四国の学校を辞め、坊っちゃん(本作では多田という名前)と山嵐(堀田)が東京に出て来るところから物語は始まります。

(以下ネタバレあります。ご注意ください)
不動産屋から印刷工、街鉄の技手(運転士)を転々とし、やがて刑事の職を得る多田。
女工のストに関わったとして富岡製糸場を放逐され、上京後、仕立屋銀次のもとでスリをしながら自由民権運動に関わる堀田。
日比谷焼き打ち事件で、見物に来ていた堀田の目の前で多田の電車が燃やされたりと、二人の人生はしばしば交錯します。
見方を変えれば、この二人は作品が描くばらばらの点景をつなぐ蝶番のような存在に過ぎないのかも。
同時代の人間を巻き込んで、巨大なうねりのように変転していく明治後半から大正にかけての時代のエネルギーこそ、この話の主役なのではないかと思います。

写真はカンヒザクラ、ほぼ満開です。
(2017年9冊目)

鴨川の鳥たち

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◇2017年2月26日
街の真ん中を川が流れているからか、京都は鳥の多いところです。
ちょっと鴨川べりに下りただけでも、トビ、シロサギ、アオサギや、カモの群れなどを目にしました。
川の中に立って、じっと物思いにふけっているように見える小鳥は、セグロセキレイでしょうか。
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私が泊まった旅館にはキジバトのつがいが棲んでいるのですが、一羽ずつ、久々に姿を見せました。
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「戦国時代展」

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○2017年2月25日
「戦国時代展 A CENTURY of DREAMS」(京都文化博物館)

京都で「戦国時代展」を観ました。
大阪から移動して、その足で文博に直行。いつもこの辺りをうろうろしますが、入るのは初めてです。

目当ては、東京の「京都展」以来3年半ぶりの「洛中洛外図屏風」(上杉本)。
もともと足利義輝が狩野永徳に制作を発注し、のちに織田信長が上杉謙信に贈ったものといわれています。洛中洛外図屏風の傑作です。
左隻第四扇の公方邸が、明らかに重要な場所、という認識で描かれているようで、目が引き付けられます。
公方邸に向かう行列は、上杉謙信上洛を描いたという説も。
将軍家が使用許可を与える白傘袋や毛氈鞍覆が描かれ、輿には謙信その人かとも思われる貴人の姿。ちょうど今展で上杉謙信の毛氈鞍覆が展示されていることもあり、目を引きます。
今回、解説を見て気付かされたのが、公方邸の周囲に細川京兆家と、細川典厩、和泉守護、薬師寺備後、高畠甚九郎ら家臣団、これと三好筑前(長慶)や松永弾正(久秀)の邸が並んでいること。16世紀中盤の微妙な政治状況が見て取れます。
一方、右隻は第六扇に内裏が公方邸と対比するように描かれ、さらに第三扇を縦に横切るように祇園祭の巡行が描かれています。
下の写真は、右隻第一、二扇の一部分。右上に清水寺、中央に八坂の塔、左側に八坂神社、その下に建仁寺や五条大橋が見えています。
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この「洛中洛外図屏風」始め、今展では山形の上杉博物館や上杉神社、法音寺などから来た上杉家関係作品が目立ちます。上杉家文書や、泥足毘沙門天立像、緋羅紗陣羽織や野点道具(網代提茶箪笥)の謙信公遺愛品など。
合戦図は川中島だけでも数点あって、それも上杉・武田それぞれの側から見た合戦図なのです。
今展で展示されているとは知らなかった東山御物の伝徽宗「秋景冬景山水図」。実は南宋時代の画院画家の作品らしいです。空間の奥行きと広がりが素晴らしい。見られて良かったです。
思っていた以上に展示件数も多くて、ここでも2時間、たっぷり楽しめました。

「台北故宮 北宋汝窯青磁水仙盆」

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○2017年2時23日
「台北國立故宮博物院 北宋汝窯青磁水仙盆」(大阪市立東洋陶磁美術館)

昨年から楽しみにしていた「汝窯」を観に、大阪に行きました。
汝窯の青磁は北宋時代の約20年間に焼かれ、90点ほどが伝世しているそうです。
色の形容として引かれるのは「雨過天青雲破処」。
雨が上がった後、雲の破れ目からのぞく空の青。快晴の空やマリンブルーではなく、湿気を含んで白みがかった青なのでしょう。

現在、汝窯の水仙盆は6点あり、日本と中国吉林省に1点ずつ、4点が台北の故宮博物院にあります。
この水仙盆、詳しい用途は不明なのだそうです。
中国の1点を除く5点と、清の乾隆帝が作らせた「倣汝窯」作品が、今展で展示されています。たった6点で展覧会が出来てしまうのです。
思ったほどは混んでいなかったので、1点ずつ、心ゆくまで眺めることができました。

並んでいるのを見ると、色合いや大きさ、形の違いに気付きます。
このうち東洋陶磁美術館のものには控え目な鉄斑が飛んでいるので、すぐにわかります。
隣の、同じく覆輪付きのものはほぼ同じ大きさ。やや明るい空色、浅い貫入が美しい。
これ以外の3点は大ぶりで覆輪がない姿に、口縁部の薄さが強調され、また格別。
明るい色で口縁が手前にふわっと広がったように見えるのや、釉がややオリーブがかり、足まで含めた器形が抜群に整っているもの。
とりわけ貫入が少なく、光を内側に包み込んだような「無紋水仙盆」の美しさ。
全てに共通するのは釉薬の薄さと、やはり光を帯びて青とも白とも表現できない、天青色の微妙な色合いですね。色を数字で表したりできると楽なのですが。
これに比べて、清時代の景徳鎮官窯「倣汝窯水仙盆」の方は白々していて、印象も重たい感じです。残念ながら汝窯には及びません。
これも乾隆帝が作らせたという紫檀の台座と、自ら筆を執ったという「王羲之五帖」「書畫合璧」などの付属品も展示されています。

平常展「安宅コレクション中国陶磁・韓国陶磁」と特集展「宋磁の美」を観ました。
高麗青磁の翡色や、あるかなきかの陰刻文様が美しいです。
中国の陶磁では、おなじみ「油滴天目」「飛青磁花生」「木葉天目」等が惜し気もなく展示されていて嬉しくなりました。
と、気が付いたら2時間もここで遊んでいました。外に出ると、綺麗な青空になっていました。
 春風やうつわに映る天(そら)の青
遠方からはるばる観に来たかいがあったと思いました。

「狩人の悪夢」

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◆2017年2月21日
「狩人の悪夢」(KADOKAWA)
有栖川有栖

そこで眠ると必ず悪夢を見るという部屋がある…。
人気ホラー作家・白布施の招きで、彼の山荘「夢守荘」に滞在することになった有栖は、問題の部屋で寝付けぬ夜を過ごす。
翌日、かつて白布施のアシスタントが住んでいた近所の「獏ハウス」で異常死体が発見され、火村と有栖がその謎に挑む。

まずまず面白く読めました。
表題からもわかる通り、この作品は二つのイメージに彩られています。
まず「悪夢」。夢を題材にした白布施のホラー小説や悪夢しか見ない青年の話、これに隣人の夢遊病や、例の火村の夢のイメージも重なります。
この延長上に描かれる悪夢のごとき殺人事件。
ここでは、もう一つのイメージ「狩り」が見立て的に投影されます。犯罪そのものは横溝正史ばりの奇怪さなのですが、導入が悪夢の話なのでその続きのように思え、それほど嫌な感じがしないのが救いです。
さらに、火村が犯人を追及していく過程が狩りになぞらえられます。
山荘の清澄な空気感や、白布施や編集者との当意即妙なやり取りなど、有栖の主観による昼間の日常描写と、これらのイメージがよい対比になっています。
どちらかというと描写で引っ張る作品のようで、いつもの奇抜なトリックが抑えられているのもよかったです。

一方で、後半の火村の推理はまどろっこしかったです。
落雷によるクローズドサークル仕立てはいいのですが、犯人追及に際しては、推論をひたすら積み上げていく感じで、これで大丈夫なの、と心配になりました。有栖と火村の言わず語らずの信頼感がこの部分に出てたのは良かったですが。
その火村と有栖との関係ですが、最近のこのシリーズでは、例の火村の夢が軽く扱われ過ぎのように思えます。本作でも「お前、まだおかしな夢を見てるか?」などと有栖が気軽に電話で尋ねるシーンがあったりして。
これこそは、シリーズ全ての行間に隠れた最大の謎。安売りは本当に避けて欲しいです。
(2017年8冊目)☆
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