千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

最近観た映画

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◇2018年9月〜12月
最近見た映画といっても、少し時間がたってしまいましたが、備忘録的な意味で。

○「プーと大人になった僕」
面白かったです。オリジナルのプーさんにそんな深い意味があるとは知りませんでした。
子供の頃プーさんと別れるにあたり「何もしないことをする」と言ったクリストファー・ロビン。大人になり、辛い仕事に疲れ果てたクリストファーのもとに、100エーカーの森から、はるばるプーさんが訪ねてきます。
この、主人公の危機にわざわざ来てくれるというところに感動しました。

○「日日是好日」
とてもいい映画でした。
季節や道具によってお点前が変わって面食らったり、正客を拒んで譲り合ったり。お茶あるあるです。笑笑。
すぐにわかることと、そうでないことがある。お茶って本当にわかりにくいものの代表かも。勝ち負けがあるわけでも、目に見える上達を実感できるわけでもなく。でも、お点前の向こうにかすかに何かが見えることがあるような気が…しなくもない、かな。
葉を叩く雨の音や、柄杓の湯と水の音の違いとか、はっとするところがいくつもありました。

○「チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた恋」
オランダでは昔、チューリップの球根が投機の対象になり、邸宅と同等の値段になったりしたんだそうです。
この映画はその時代を舞台に、人妻と貧乏画家の禁断の恋を描いたもの。いつ露見するかとヒヤヒヤしながら観ました。
横から差す光とかブルーのドレスとか、フェルメールにインスパイアされてる作品というのが頷けました。

○「ボヘミアン・ラプソディー」
正直クイーンのこともフレディ・マーキュリーのこともほぼ何も知らない私。曲は、聴けばああ聴いたことある、という程度。
でもとても面白かったです。
ファンでもない自分が全く退屈せずに、いやむしろ感動さえするなんて!
こういうの、よくできた映画というのかも。濃い人生を走り抜けたフレディ。観終わった後、温かい気持ちになりました。

「十二月大歌舞伎」

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●2018年12月21日
「十二月大歌舞伎」
玉三郎の阿古屋見たさに、スケジュールをやりくりして行きました。
吉田修一の「国宝」でも最近読んだだけに、この演目見たかったんです。

その「壇浦兜軍記 阿古屋」。
悪七兵衛景清の愛人でもある遊君阿古屋を詮議する秩父重忠。重忠が阿古屋を拷問すると言って持って来させたのは琴、三味線、胡弓。そして阿古屋に演奏を命じます。

「かげといふも月の縁  清しといふも月の縁
かげ清きが名のみにてうつせど  袖に宿らず」

曲に託して景清の行方は知らないと言う阿古屋。この辺の気品はさすがだし、難役と言われる所以である楽器の演奏も、私には出来などはもちろんわかりませんが、すごいと思える。
でも一番印象的だったのは、玉三郎さん演じる阿古屋の、最高位の遊女でありながらプライドを捨て、唯々諾々と命に従って楽器を奏する姿でした。
もちろんこれは恋ゆえのことであって、表面平静でも心のうちは必死だったに違いなく、それを言わず語らず腹に納める彦三郎の重忠の大きさも素敵です。
琴や胡弓を演奏する阿古屋の白い手が小さく可愛らしく(これも玉三郎さんの演技によるものでしょうけど)、頼りなくもいじらしくも見えて、女人の精一杯の姿が胸を打ちました。
重忠と対照的に意地悪で、やたら拷問を勧めてくる松緑の岩永左衛門致連の、人形振りが面白かったです。玉三郎がこの役やる回はどんなでしょうね。人形浄瑠璃由来とはいえ、こういう奇妙な演出が昔から継承されてるのも、歌舞伎の不思議なところです。

2幕は「あんまと泥棒」。あんま秀の市を中車、泥棒権太郎を松緑が演じています。
一体なんで歌舞伎座の舞台でこれがかかるのか、私は正直理解に苦しみます。酒を吹き出したりしてコント的な面白さはあるのかも知れないけど。
あんま秀の市のボロ屋に泥棒が入り、逆に秀の市の貧乏を見かねてお金を恵んで去っていく。それを見てほくそ笑む秀の市。実は畳の下に小判をたくさん隠してて…という話。
中車の秀の市は客を笑わせようというのが強すぎて、人間の醜さやエゴが伝わってこないです。時代を超えて普遍的な人間の心のあり方を垣間見られるのが、歌舞伎の面白さの一つだと私は思うのですが。
中車はもともとテレビで悪役を演じることも多い人なので意外性もなかったと思います。

最後は「二人藤娘」。梅枝と児太郎が藤の精を踊ります。
幕が開くとうつくしく華やかな舞台。客のため息がさざ波のように広がります。
澄まし顔の梅枝、柔らかみのある児太郎、二人の並びはとても綺麗で、踊りは大抵途中で飽きてしまう私が最後まで楽しめました。
やっぱり歌舞伎で美しいって大事だな、と改めて思いました。
あんまり二人が綺麗だったので、終演後慌てて売店に生写真を買いに行ったのですが、もちろん営業終わってて。残念でした。

「江戸絵画の文雅」

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○2018年12月15日
「江戸絵画の文雅」(出光美術館)

終了間際に出光美術館の「江戸絵画の文雅」展をみました。
雅俗の混交、という面白い視点ですが、私の理解では残念ながらその真髄にまでは至らなかったかな。
文化が大衆化され、消費されるようになった江戸時代において、日本の王朝文化や中国への憧れは、浮世絵の見立てや文人画、琳派などに現れた、という趣旨。これらはとても興味深いですが、よほど注意して見ないと古典との繋がりを感じることが難しそうです。
池大雅や蕪村の後に光琳があり、それから禅画と浮世絵が来るという、ともすると日本画の流れが散発的にしか感じられない気がしました。それでもいいのかも知れないけど。

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「夜色楼台図」の展示は終わっていましたが、池大雅「寿老四季山水図」や蕪村の山水図屏風を面白く見ました。
光琳の「富士図扇面」は草花文に扇面を組み合わせた吉祥画。勝川春章の美人鑑賞図を久々に見ました。

「ルビンの壺が割れた」

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◆2018年11月
「ルビンの壺が割れた」(新潮社)
宿野かほる

書き漏らしていた11月に読んだ本の感想です。
(ややネタバレありますのでご注意お願いします)

学生時代の恋人である水谷一馬から、美帆子のフェイスブックに突然届いたメッセージ。
二人は同じ大学の演劇部に在籍し、一馬は演出家、美帆子は女優をしています。二人は交際するようになりますが、結婚式当日、突然美帆子が失踪してしまいます。
メッセージのやりとりが進んでいくに従って真実が明らかになっていく、という内容。

よくジェットコースター的展開、というけれど、この本も振れ幅が大きいです。互いの散発的なメッセージだけでお話が進み、叙述トリックというのとは少し違うと思いますが、あくまでも二人の主観の重なり合いにより物語が展開します。
話が進んでいくと、天性の女優である美帆子の真の顔がまず現れてきます。
私的な好みでいうと、せっかく「演じる」ということが重要なテーマなのだから、ここをもっと文学的に掘り下げてほしいところでした。意外とさらりと行ってしまった感じなので、最後のピースが少し興醒めに思えてもったいなかったと思います。
(2018年21冊目)

宝塚宙組「白鷺の城」「異人たちのルネサンス」

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●2018年12月15日
宝塚宙組公演
本朝妖綺譚「白鷺の城」
ミュージカル・プレイ「異人たちのルネサンス-ダ・ヴィンチが描いた記憶-」
出演:真風涼帆 星風まどか 芹香斗亜 凛城きら 愛月ひかる 桜木みなと

宝塚の貸切公演を観ました。
今回は1幕目がレヴュー。陰陽師・安倍泰成と妖狐・玉藻前が、対決を繰り返しながら惹かれ合うというストーリー仕立て。
月組の「BADDY」などはショーをストーリー仕立てにするのが成功してたと思うけれど、今回のは私はつまらなかったです。各場面が独立して成立できていなくて、面白くない場面もあったしテンポの悪さも気になりました。
レヴューは理屈抜きに楽しめる華やかなのが好みですが、今回のは集中して考えることを強いられてるようで嫌でした。

芝居は「異人たちのルネサンス」。レオナルド・ダ・ヴィンチの幼い日の恋。ある日その娘カテリーナが突然いなくなり、成人したのち巡り合ったのが、レオナルドの仕えるメディチ家当主の愛人としてだった、という話。
事前にポスターや映像を観て、ほとんど期待してなかったのですが、観てみるとこれが意外と面白かったです。
ストーリーはしっかりと考えられていて、とくに後半、偶然と必然が重なって展開していくのが、シェイクスピアの悲劇ぽくてよかったです。
星風まどか演じるカテリーナが、愛月演じる司教に「罪」の観念を刷り込まれて心を閉ざしてしまっているところ、それを放っておけなくてなんとか彼女に関わろうとする真風のレオナルド。二人の関係が丁寧に掘り下げられているので、お話の先が気になりました。
一方で物足りない部分もあって、せっかくの真風レオナルドが魅力的に描かれていないのがつくづく残念でした。
彼女の場合、こういう話だと真面目すぎる感じになってしまうので、もっと理想家で芸術家ぽいエピソードを入れたほうがよかったのでは。作中で「翼」とか「自由」というキーワードを使っているし、実際にレオナルドは飛行機の設計図なんかも残しているのだから、レオナルド自身の自由な魂を描いて欲しかったです。
これに対し、メディチ家当主ロレンツォ役の芹香斗亜が生き生きして素敵でした。彼女の魅力はなんといっても神経質でないところ(笑)だと思うのです。ハンサムでしたたか、自身の野望に忠実、自分の決めたことは全部正しいに決まってる。この華やかでチョイ悪的持ち味が全開でした。
そういえば、みなと演じる弟ジュリアーノが陰謀によって斃れた時、あんなに弟をないがしろにしてたくせに、芹香ロレンツォが思い切り動揺した表情をしてて、あ、この人案外弟を愛してたんだ、と思えたのが新鮮でした。
このほか狂信的な役が最近すっかり板についてきた(笑)司教役の愛月が大物感あったし、レオナルドを慕って忠誠を尽くす少年の役かと思いきや、あっさりお金に転んでしまう少年サライ役の天彩峰里が良かったです。
ラストは予想した通りの展開で、やっぱりここにつながるんだなと。ある意味予定調和的で、落ち着くべきところに落ち着いたという感じでした。

最後に短いショーがありました。
ロケットの帽子と衣装が可愛かったです。男役の群舞で、激しい動きで芹香の髪が乱れるのをかきあげるのがカッコよくて印象に残りました。
終演後、トップ真風の挨拶がありました。

「愛なき世界」

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◆2018年12月2日
「愛なき世界」(中央公論新社)
三浦しをん

(ネタバレあります。未読の方はご注意下さい)
著者のこの手の本としては出版社の辞書編集部を舞台にした「舟を編む」が思い出されます。対してこちらはT大理学部大学院の植物研究室が舞台。
とにかく理系用語や説明が多い!仕方ないこととは言いながら、やや読み飛ばし気味にページをめくります。
お話は、洋食屋の見習い、藤丸くんが研究者志望の本村紗英に抱いた恋心を軸に、研究室のメンバーの日常が語られていきます。サボテンが友達の同輩や、イモ研究に情熱を燃やす教授などキャラクターも多士済々で。
部外者でありながら研究者たちにシンパシーを感じている藤丸から見た、ちょっと変だけど研究に情熱を燃やす人たちの観察録、という感じでしょうか。
でも。
「舟を編む」ほど、私にはこの本は面白くありませんでした。植物への興味が感じられないのが一番の理由ではあるけれど、恋愛要素があるせいで、いろいろといびつな部分が出てきている気がするのです。
藤丸が本村を好きになるのはいいとしても、本村が「植物が好き」→「だから誰とも付き合わない」はちょっと理解しがたいです。だって、それとこれとは話が別だよね!別に植物に一生を捧げたっていいけれど、恋愛はそれとは別物では。極端すぎ。
でも、まだこれは「今は」という注釈付きで理解できるとして、問題なのは、そういう態度を藤丸に対してとりながら、ちゃっかり便宜をはかってもらってる点。
これ見ようによっては結構罪深い。もちろん本村に悪気はないのだけれど、結果的に藤丸を振り回しているのは事実。
だからおしまいの方で、先輩の岩間がした発言には思わず頷けた。なんかうわべの綺麗事だけで進んでた話がやっと核心に触れた感じで。とはいっても、この部分はこれ以上深まらないのだけれど。

一方好きな部分もありました。
本村の指導教授の松田。この人の造型は深い気がする。とくに本村が失敗して悩んでいた時の言葉にぐっときました。
そうだなあ、研究結果を予想するのは大事かも知れないけれど、出てくる結果をあらかじめ予測して決め込んでしまうことで、過程を楽しむことは難しくなるのかも。そして何よりも、一番必要であるはずの発想の広がりを、自ら制限してしまうことにもなる。確かにこれは「面白くない」ことだ。ハプニングが新しい発見を生むことは現実にままあるのだから。
これ研究に限らず、人生においてもそうなのかも知れないなあ、けっこう深いぞと思いながら読みました。
(2018年23冊目)★

ミュージカル「キャッツ」2018年3回目

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●2018年12月4日
ミュージカル「キャッツ」(劇団四季,キャッツシアター)45
出演:江畑晶慧 小野実咲季 笠原光希 山中由貴 松山育恵 渡辺智佳 三代川柚姫 杉野早季 町真理子 馬場美根子 藤岡あや 金本和起 藤田光之 北村優 大森瑞樹 山科諒馬 新庄真一 カイサータティク 押田柊 政所和行 大山五十和 肥田晃哉 中村智志 田極翼

「キャッツ」を観に行きました。
演出が変わって馴染めない点もあるといいながら、この日の公演はこれまでのキャッツ観劇歴でもかなり好みでした。
初見の役者も含め、キャストがとてもよかったです。
まずディミータの松山育恵さん。ダンスのキレがすごくて釘付けです。キリッとしてて実に格好いい。以前やはりこの役を演じてらした団こと葉さんを思い出しました。
シラバブの三代川柚姫さん。容姿もですが、声が子猫ぽくてぴったり。
ガスの金本和起さん。今まで見た中で一番弱々しいガス。そしてグロタイはパワフル。この差が際立っています。とくにガスのくだりで「この世の名残に見せようか」というのがぐっと胸にきました。そうか、この猫にとって最後の、一世一代の大舞台を見せようと言ってくれてるんだ!なんか泣けるぞ。そして始まる「海賊猫の最期」ではコケティッシュな小野グリドルとよく息が合っていて、これもよかったです。
新庄マンゴと山中ランペ。泥棒猫のくだりは本当にすごかった。高難易度の技がことごとく決まって、見ているこちらも興奮しました。しかもランペがのびのびしてて可愛い。
ジェミマの町真理子さん。町さんを見るのはコーラスライン以来かな。表情がとても素敵です。
このほか、どの猫たちもよくて、まとまりという点ではこれまでで一番だったかも。

もちろんキャッツの魅力はそれだけではなくて、内容の深さにはもっとも惹かれるところです。
大井町の公演では江畑さんがグリザベラを演じることが多くて(私は3度とも江畑さんだった)、彼女の演技に感動させられる部分は多いです。
たとえば、踊ろうとしてふと、自分のみすぼらしい尻尾をじっと見つめる表情、皆に受け入れられて、しばらく何が起こったか分からずぼんやりするところ、やがてやや嬉しそうな顔になりながら地上に別れを告げるところ、こういうところが過剰にならない程度に程よくて、崇高ささえ感じます。
また鉄道猫のくだり。スキンブルの旅が未来へと向かう旅、人生の旅と重ねられて、いろんなことを思うのです。役者が変わり演出が変わっても、この舞台がある普遍性を持って観客に迎えられる所以だと思います。
この日、握手はオールドデュトロノミーでした。最後はいつものようにタガーが締めてくれました。

「沈黙のパレード」

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◆2018年11月24日
「沈黙のパレード」(文藝春秋)
東野圭吾

物理学者・湯川が活躍するガリレオシリーズの新作です。
このシリーズだとやっぱり「容疑者xの献身」が傑作だと思いますが、「真夏の方程式」も好きでした。
正直、この2作に比べると私的には今ひとつの印象を持ちました。

行方不明になった若い女性が遺体で発見され、容疑者が浮上します。その容疑者はかつて草薙が担当した別の事件で限りなくクロに近いながらも証拠不十分で無罪に。
今回もひたすら黙秘を続ける男に町の人々の義憤は高まります。そして町の祭りの日、ある事件が…。

事件が陰惨で、遺族や彼女を愛した人々のことが事細かに描写されるだけに、読む方も暗い気持ちになってきます。
かといってつまらないわけではもちろんなく、それなりには読まされるんですけどね!でもそれは、湯川のキャラクターにずいぶん救われてという印象が強いです。
「容疑者x」ではラストシーンの慟哭に感動したし、「真夏」では少年との交流が胸に残りました。人間っていいものだな、という感想を湯川が媒介になって引き出していたんだと思います。
でもこの作品では、湯川のキャラをもってしても感動まで持っていけない気持ち悪さがあるんですよねえ。人間の負の部分の方がクローズアップされていて。
そういうわけで、このシリーズにしては期待ほどではなかったかな、と思わされました。
(2018年22冊目) ★

「狩野芳崖と四天王」

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○2018年10月19日
特別展「狩野芳崖と四天王 近代日本画、もうひとつの水脈」(泉屋博古館分館)

狩野芳崖とその弟子たち、また橋本雅邦、朦朧体と呼ばれた大観や春草らの作品を集めています。
はじめ行った時は、入ってから狩野芳崖「悲母観音」が展示されていないことに愕然とし、後期を待ってもう一回行きました。
ポスターにいつわりあり、ですよ!!「後期だけ」と書いて欲しいです。書いてあったのかも知れないけど…。
重文の「悲母観音」を見ると、荘厳の感に打たれます。
もともと楊柳観音と善財童子の組合せはあるのだそうです。善財童子は文殊菩薩の教えでいろんな仏様や人(善知識)を回って修行し、最後に普賢菩薩のところで悟りを開くことになっています。なので、文殊菩薩とのセットで見ることは多いのですが…。
それよりも「観音の水瓶からの浄水により赤子が地上界に下りていくよう」というイメージはぴったり来ます。濁世に送り出す観音の眼差しに、限りない慈愛が感じられて感動させられます。
狩野芳崖は木挽町狩野家に学び、明治以降はフェノロサ、岡倉天心らとともに日本画の革新を目指します。
芳崖の絵を見ると、いかにも狩野派だなと思わせる絵とそうでない絵がありますね。

芳崖と同時期に活躍した橋本雅邦の「西行法師図」が西洋画風でありながら、湿潤感や日本的余情も表現されていて、印象に残りました。
芳崖四天王と呼ばれる高弟たち、岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲、本多天城らの作品が展示されています。彼らは師の顕彰につとめたといいますが、「悲母観音」を模写したり同テーマの作品をいくつも手がけたりしています。
改めてそれらを見ると、芳崖の「悲母観音」のすごさがよく分かりました。

「新・桃山の茶陶」

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○2018年11月28日
「新・桃山の茶陶」(根津美術館)

桃山期に生まれたやきものは多いですが、なんとなく私たちは職人の創意によって新しい意匠や面白い形が生まれたと思いがち。もちろんそういう面も否定できませんが、一方で流通ルートがあることにより、消費者目線に立ったやきものが作られるようになった、ということを初めて思いました。
江戸時代の初めまで、京都の三条通り近辺には陶磁器を扱う店が軒を連ねていたといいます(本展では京都三条瀬戸物屋町といっています)。
商人たちは各国を回り、職人たちに売れそうな器を作らせて買い上げていたのでしょう。
本展では、根津美術館所蔵の茶陶のほか、三条通り周辺で出土したやきものや陶片を展示しています。
出土地は下記の通り。
弁慶石町
中之町
下白山町
油屋町
福長町

また、三条瀬戸物屋町の様子を描いた洛中洛外図の写真(福岡市博物館蔵)や、肥前藩主鍋島勝茂の手紙(「三条の今やき候者共」が職人からやきものを直接買い付けている)などの資料も興味深かったです。大変面白い展覧会でした。
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