千両過眼

東京在住の会社員の男性です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「1789 バスティーユの恋人たち」

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●2018年4月18日
「1789バスティーユの恋人たち」(帝国劇場)
出演:小池徹平 夢咲ねね 凰稀かなめ 三浦涼介 上原理生 渡辺大輔 ソニン 吉野圭吾 坂元健児 広瀬友祐 岡幸二郎

3年ぶりの「1789」、見応えありました。
音楽の質が高いことは言うまでもありませんが、今回、楽曲テーマごとに独立しているように見えていた各場面の流れがよくなり、ストーリーや人物の感情推移がわかりやすくなったように思えます。
ロナンたちだけ見ても、ロベスピエールらと仲間になる⇒身分差を思い知り、袂を分かつ⇒パンをめぐり民衆が暴動するが和解⇒王宮側の強気姿勢によって、団結して戦うことを選択、という流れが自然で、全体像が把握できました。
この流れが、楽曲やダンスと呼応しているのがこの作品のいいところだと思います。
ボディパーカッションなども含めた後半の激しいダンスは、民衆たちの革命へのごたまぜの熱量、エネルギーを表現しているようです。
高邁な理想、理論のみで革命は成るのではなく、不安、不満などのエネルギーが臨界点に達したときに爆発する。そのことが感覚として伝わってきました。

この日のキャストは、小池ロナン、ねねオランプ、凰稀かなめアントワネットでした。
小池ロナンは感情がわかりやすくて主人公感が強く、見やすいです。
夢咲ねねのオランプは根の明るさが見えて好感が持てます。感情表現が明快で、これは彼女本人のキャラクターなのでしょうね。王妃とフェルゼンの密会が露見しそうになった時の秘密警察とのやりとりなども、表情がくるくる動いて面白い。
凰稀かなめのアントワネットは肖像画で見る王妃に面差しが似ていて、見た目がとてもいいのですが、話し方や歌が軽めなので、もっと王妃らしさが欲しいところです。 
前回公演に続き、王妃が脱出を断る場面の広瀬フェルゼンには泣けました。恋する男の悩みがよく表現された、いいフェルゼンでした。
岡幸二郎さんのペイロールがとてもカッコよくて目が釘付けでした。

この日は終演後、サイン入りグッズの抽選会がありました。
秘密警察の二人が司会で、メイン3人が舞台上に残りました。箱からくじを引くとき、夢咲ねねが「何が出るかな♪」と言い「半券だから!」と突っ込まれていました。

「魔力の胎動」

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◆2018年4月15日
「魔力の胎動」(KADOKAWA)
東野圭吾

約3年前の作品「ラプラスの魔女」の前日譚です。
前作感想⇒

様々な物理条件から未来を予知する能力を持つ少女、羽原円華をめぐる短編集です。(以下ややネタバレあります。ご注意ください)
鍼灸師のナユタの顧客たちーー多くはスポーツ選手ですがーー彼らの悩みを特殊能力を用いて円華が解決します。
正直この能力にはさほどリアリティを感じないのですが、短編だと人物のドラマといい具合に結び合って、面白く読めました。
円華のキャラクターもややとんがっているところがいいし、最後には人間の意志の力、不可能を可能にする力といったものに行きつくので、そこがいいと思います。

ナユタの過去にまつわる秘密に触れる章は、予想していなかったので驚きました。この人物が急に生き生きと動き出しました。
これが前作の映画監督の話につながっていくという展開。
前作の内容については忘れてる部分も多かったのですが、俄然そちらに興味が出てきて、映画も観てみようかなという気になりました。
このあたりの著者の手練れっぷり、さすがです。
(2018年6冊目)☆☆

「プラド美術館展」

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○2018年3月
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」(国立西洋美術館)

国立西洋美術館に「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」を見に行きました。
ベラスケスら、バロックなどの17世紀絵画中心に展示しています。
カトリック復興と密接に結び付いた宗教画は、重厚かつ劇的。さらにスペイン独特のものも感じさせて面白いです。

始めのほうのコーナーに、キリストを「聖衣に超自然的な自画像を残した芸術家」とみなし、父なる神が絵筆を握って「無原罪の聖母」を描いている絵や、十字架上のイエスと画家を対比的に描いた絵があり、とても興味深かったです。こんな絵、これまで見たことないと思います。
絵とは、芸術とは何か?職人と何が違うのか?
スペインの画家たちはまず自分が拠って立つ場所を定めようとしたのでしょうか。
さらに「聖ベルナルドゥスと聖母」では聖人の祈りに応じて聖母マリアの彫像が乳を迸らせる絵があります、ぎょっとする絵ではありますが、これも神と芸術の関係を示唆しているのでしょう。

国王フェリペ4世の頃に宮廷画家として仕えたベラスケスは特筆すべき存在です。
ベラスケスの絵は、まさに動き出しそうなぐらい迫真に迫っており、人間の個性、リアリズムを描き出しています。新しい絵画の時代の幕開き、という感じです。
それまでの絵と比べ、明らかに表情が違うのですよね。どこか遠い世界の絵ではなく、私たちにも理解できそうな人間的な表情が表されている。あ、こんな人いるいる、という感じなのです。
「東方三博士の礼拝」では、ベラスケスは自分の家族をモデルに聖母子と博士を描いたそうです。幼い娘がモデルという幼子イエスの表情が生き生きとしています。
同じコーナーには、ベラスケスによって修道院を飾る絵として選ばれたというルーベンスの「聖アンナのいる聖家族」もあります。この聖母マリアも美しいだけでなく個性の輝きがあります。
現代人にとってだけでなく、中世の人達にとっても、こういう絵が魅力的で親しみやすかったということなのでしょう。

常設展示では、新収蔵のシャセリオー「アクタイオンに驚くディアナ」、モリゾ「黒いドレスの女性」、コラン「楽」「詩」などが見られました。
モネの朝の積みわらの絵。朝のピンク色の光が積みわらを照らしている絵で、素敵でした。
浮世絵にならったのか思い切って対象を平面的に展開したボナール「坐る娘と兎」が、この画家の絵の中でも魅力的で、この機会にばっちり写真に収めました。

映画「グレイテスト・ショーマン」

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◇2018年4月5日
「グレイテスト・ショーマン」

映画「グレイテスト・ショーマン」を観ました。
(以下やや辛口です。この映画好きな方はご注意ください)
19世紀に実在した興行師バーナムを、ヒュー・ジャックマンが演じています。
とにかくダンスと歌が素晴らしかったです。
バーナムが劇作家のフィリップを酒場で勧誘するくだり、フィリップとアンの空中での告白シーン、有名歌手ジェリー・リンドの歌唱など、鳥肌もののすごい場面がいくつもありました。
加えて家族や仲間への愛が描かれる点、栄光に目くらまされて本当に大事なものを見失うなというメッセージなど、一見、ハリウッド的王道作品の雰囲気があるのですが、頭の片隅で、ん?待てよという警報がチカチカ点滅したのも事実。
ヒュー・ジャックマンのいい人っぽさに紛れてはいるけれど、果たしてバーナムという人物は愛すべき人物といえるのだろうか。
人権意識とかが現代と違うのは仕方ないのかも知れないけれど、私はどうも、この人は好きになれないですね。というか、嫌いです。
そして、昨年の「ファウンダー」みたいに、それを客観的に描くのならいいけれど、無理やり楽しい映画にしようという意図がありありなのが、もやもやする原因だと思う。
そういうわけで、観ているときはとても楽しかったのですけれど、あとからいろいろ気になって、その両極端さが今ひとつスッキリしない気分にさせるんだと思います。

「ブリューゲル展」

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○2018年3月
「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」(東京都美術館)

オランダ絵画、フランドル絵画の展覧会にいくと、必ずと言っていいほど出てくるブリューゲルの名前。でも私にはやたらにいる(ように思える)ブリューゲルさんの区別が、いつもつかなかったのでした。

整理します。
まず、最初の人がピーテル・ブリューゲル1世(以下、簡便に父ブリューゲルと呼びます)。
その子供、兄のピーテル・ブリューゲル2世(以下、兄)、弟がヤン・ブリューゲル1世(以下、弟)。
弟ブリューゲルの息子、ヤン・ブリューゲル2世(以下、孫兄)。その弟がアンプロシウス・ブリューゲル(孫弟)
孫兄ブリューゲルの息子がアブラハム・ブリューゲル、甥がヤン・ファン・ケッセル1世。この二人は父ブリューゲルから見るとひ孫に当たります。

並べてみるだけでも飽きてきますが、これでも有名人だけ。一族郎党の中で画家になった人は他にもたくさんいるので、覚えるのなんて到底不可能なのです。
ここで私たちが思い出すのは狩野派です。
狩野派も、初代正信から始まって、長い期間存続する巨大同族カンパニーを作り上げました。永徳や探幽といった天才をしばしば輩出し、流派を革新し続けることにより時代をリードしました。
狩野派が画業の傍ら工房運営、画風の整理とブランド化、粉本の活用によるクオリティコントロールなど、経営努力に怠りなかったのは言うまでもありません。
ブリューゲル一族間の関係がどのようなものだったかは分かりませんが、兄ブリューゲルは父ブリューゲルのコピーに徹する一方、弟ブリューゲルは花や城塞が得意といったふうに、画技や画風に応じて、一族で作品制作を分担していたのかも、と思えます。
あるいは、兄弟の経済状態はかなり違ったとも聞きますから、別の家を立てると全く無関係だったのかも知れませんが。
画風を継承していく中でオリジナルをトレースしたりもしていて、芸術家である一方で職人的集団制作のあり方が、やはり狩野派ぽいです。

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今展のポスターにもなっている兄ブリューゲルの「野外での婚礼の踊り」。見れば見るほど奇妙な絵です。
奥の方に描かれた、頭にショールを被ってない女性が新婦。では新郎はどこに?
フランドル地方はスペイン領だったから、カトリックでなければ結婚の許可が下りなかったと別のところで聞きました。他にも、婚礼の客の数を限定したりという縛りがあったそうです。
この婚礼に新郎が描かれなかったのは、プロテスタントとカトリックの結婚ということなのでしょうか。お客たちは新郎の不在などどこ吹く風で楽しげに見えるのですが。
でも、何よりも気になるのは、男たちが付けているコッドピースかも…。

孫兄ブリューゲルや孫弟ブリューゲル(なんかややこしくなってきた。笑)の描いた寓意画が面白かったです。
聴覚や嗅覚、愛や、四大元素と呼ばれた大地、水、大気、火を事物に託して描いています。たとえば聴覚だったら楽器や、耳がいいとされる鹿を絵の中に所狭しと詰め込むのです。
フランドル絵画というと寓意画、というイメージさえ私は持ちますが、今展では寓意の解説が極端に少ないのが不満です。
タイトルは忘れましたが、へべれけの農民とお酒をたしなむ程度の農民を対比している絵で、前者の前には煙の出ているパイプが落ちている、というのがありました。酒浸りの悪徳とむなしさを暗喩してるんだと思いますが、こういうのは最低限、説明をして欲しいです。
下の写真は絵葉書より。
「聴覚の寓意」と「鳥罠」。
「鳥罠」は、鳥罠と同じでスケートしてる人たちも一歩間違えると氷の下に転落だぞ、という教訓だか寓意。皮肉が効いています。
私にとってフランドル絵画の魅力は、絵解きの面白さです。
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「シェイプ・オブ・ウォーター」

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◽︎2018年4月2日
映画「シェイプ・オブ・ウォーター」

映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観ました。
舞台は冷戦時代の米国。声の出せない女性イライザとアマゾンから連れてこられた生物との心の交流を描いています。
公開当初は、この映画を自分が観ることになるとは思わなかったです。
いろいろ考えさせられました。
異類恋愛譚というと、「美女と野獣」「人魚姫」などが思い浮かびます。「キングコング」は恋愛とは違うと思いますが…。
この話を受け入れられるかどうかは、イライザと「彼」の関係を、人間同士となんら変わらない恋愛ととらえられるかどうか、だと思います。 
水中でのシーンに力が入っていることはわかりました。
ところどころ見ていてキツい場面もある一方、突然楽しげなダンスが始まったりして、もしかして映画丸ごと、全部イライザの想像なんじゃないか?とさえ思えて、不思議な映像体験ではありました。音楽の効果も大きかったと思います。

「ルドンー秘密の花園」

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○2018年3月
「ルドン-秘密の花園」(三菱一号館美術館)

三菱一号館の「ルドン展」に行きました。
印象派と同じ頃に活躍した画家ですが、いつもここの美術館の出口に、大きなルドンの花の絵が飾ってあること以外、ほとんど知識ない状態で見ました。

ルドン展の冒頭、コローからルドンへの印象的な助言が掲げられています。「不確かなものの横には確かなものを置いてごらん」「毎年同じ場所に行って、木を描くといい」
ルドンの絵には多くの場合、木が登場します。揺るぎない存在感。
木が確かなものとすれば、傍らに描かれている花や蝶、人間など「不確かなもの」を補う存在と映っていたのかも知れません。

ルドンに影響を与えたものとして、東洋哲学や世紀末文学が挙げられています。また、キリスト教や神話、民間伝承、そして進化論もルドンの精神に色濃く影を落としているようです。
ダーウィンに影響されたらしいリトグラフ連作「起源」が展示されています。
海での種の発生から人類が生まれるまでを想像力を駆使して描いており、絵自体ははっきり言って気持ち悪い(顔のある植物とか)のですが、 この世の摂理や成り立ちの探究が画家のテーマだったんじゃないかと推察されて、興味深いです。

この探究は当然ながら宗教にも及んでいて、「神秘的な対話」は聖母マリアがヨハネの母エリサベツを訪問する場面と言われているそうです(キリスト教文明において重要な場面ではありますが、私はあまりマリアとエリサベツという感じがしません)。
「ステンドグラス」は光背を背負った老人のように見える人物と有翼の人物が描かれ、その真ん中で蝶や花かと思われる物体が乱舞しています。古代の色彩豊かな生命が、教会のステンドグラスに変化、収斂していくようなイメージを受けました。
下の写真は絵葉書より。左「神秘的な対話」、右「グラン・ブーケ」。
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ルドン自身「私のデッサンは息吹によって動機を与えるだけであり、何かを定義付けるものではない」と語っており、描かれているものが何かということは観る者のイマジネーションに委ねられています。
してみると、私たちは答えを見つけることよりも、神秘的なイメージや、あふれ出しそうな花々の色彩に身を委ねるべきなのでしょうか。
画家の謎は深まっていくばかりでしたが、見終わると、この世の秘密の一端に触れたような、不思議な感覚が残りました。

宝塚花組「ポーの一族」

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●2018年3月24日
宝塚花組公演
ミュージカル・ゴシック「ポーの一族」(東京宝塚劇場)
原作:萩尾望都 出演:明日海りお 仙名彩世 柚香光 瀬戸かずや 鳳月杏 桜咲彩花 華雅りりか 水美舞斗 城妃美怜 華優希

宝塚花組公演「ポーの一族」を観ました。
いや、すごいと聞いてはいたし、ポスターのビジュアルも美しいと思ってたのですが、観てみると想像以上で。
私は原作は未読なのですが、それでも十分過ぎる、魅力的な舞台でした。

とにかく明日海りおも柚香光も、少年にしか見えないのです。髪型とか衣装のマジックもあるのでしょうが、すごいことです。 
明日海りおのエドガーが素敵すぎます。 
心ならずもバンパネラ(吸血鬼のこと)、ポーの一族に引き入れられ、永遠の時を生きることになったエドガー。 美しく妖しいだけでなく、少年の底知れない孤独が伝わってきます。
エドガーとその妹メリーベルに惹かれながらも彼らの正体を知り悩むアラン。柚香アランは少年特有のわがままさと脆さ、両方がでていて、これもとてもよかったです。

二人の心の動きが丁寧に描かれます。この二人の関係が周りを渦のように巻き込み、やがて悲劇に繋がっていく流れが自然でした。
仙名彩世のシーラはほとんど人間には見えず、眠ったようなキャラがかえってリアリティになっています。瀬戸かずやのポーツネル男爵に 一族の陰鬱な気質が表現されていて、この二人とエドガーの関係の微妙さが伝わりました。
鳳月杏のジャン医師、桜咲彩花のジェインら、ほかのキャストも役がぴたりとはまって、緊張感ある舞台になったと思います。

ふだん宝塚を観るとき、明日海りおのトートは美しくていいな、とか、仙名彩世のマリアは上手いな、とか役者の名前が先に来て「役」の感想となるのですが、今回観ている間中、役を演じているはずのどのキャストも、まさに「マンガから抜け出てきたように」役柄そのものとしか考えられなかったです。
私が原作未読なこともあるのでしょうが、あまりに強烈な世界観と、役者が生の気配を消してしまったような、明日海りおや柚香光扮するキャラクターのビジュアルと世界観に則った演技ゆえかも知れません。
そういうわけで、初めから終わりまで、作品の世界に没頭。宝塚の新たな名作の誕生に立ち会えて良かったです。

ミュージカル「Romale」

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●2018年3月25日
ミュージカル「Romale(ロマーレ) ~ロマを生き抜いた女カルメン~」(東京芸術劇場)
出演:花總まり 松下優也 伊礼彼方 KENTARO 太田基裕 福井晶一 団時朗

東京芸術劇場で「Romale」を観ました。
謝珠栄演出・振付、主演・花總まり。以前宝塚宙組で初演した「激情 ホセとカルメン」も同じ組合せでした。それだけあって、後半途中まで筋立てがよく似ています。
花總まりさんは、宙組時代のイメージそのままです。
相手役の松下優也は声がきれいです。初めから冴えない感じに見えてしまうのと、いまいち「堕ちていく感」がなかったのが残念です。

以下、ややネタばれありますので、未見の方ご注意お願いします。
観ながら、なぜいまカルメンなんだろう?と考えさせられました。
私のカルメンのイメージは、ホセを誘惑し、破滅に導く多情の女。しかし、自由を求める誇りを持っている。
このミュージカルではカルメンの劇的な死を描いたあと、さらに彼女の真の姿を掘り下げようとします。福井晶一演じるフランス人学者が、団時朗ふんする謎の老人に、いくつかのカルメンに関する疑問を突き付けるのです。
ここからいくつも始まる再現シーン。これが、カルメンの死により盛り上がったテンションをだだ下がらせました。
意図はわかるのですが、こうするぐらいなら、初めから「カルメンの真実を掘り下げる話」として描いて欲しかった。再現場面は途中途中で挿入すればいいし。そのために福井さんと団さん登場させたんでしょうに。
「エリザベート」方式で先に問題提起して、クライマックスでカルメンの真実を示す、というふうにしたほうが、面白く観られる作品になったのではないかと思いました。

「ラ・カージュ・オ・フォール」(2018年3回目)

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●2018年3月20日
「ラ・カージュ・オ・フォール」2018年3回目(日生劇場)

日生で今季3度目の「ラカージュ」を観ました。
連投のお疲れもあるのか、少々怪しいところもありました(笑)が、それが全然気にならないのがこの舞台です。
何といっても夫婦役・鹿賀丈史さんと市村正親さんのツーカー加減が好ましいです。
市村さんの芝居を見ていると、どんどんアルバンが好きになります。そして男性らしさ、女性らしさって何だろう?と考えてしまいます。

この日は日生で一番好きなGC前方席でした。ここからだとカジェルたちのカンカンもよく見えます。
この舞台、カンカンの時には出演者たちが舞台袖に集まって、皆で応援しつつカジェルたちのパフォーマンスを見ることが恒例になっていると聞きました。
カジェルたちのこのパフォーマンスと市村ザザの客席降りあたりの一連が引き金になり、劇場が一つになるのを感じます。
いわゆる、場があたたまるというやつですね! 
後半ダンドン一家が到着すると、セリフやしぐさ(たたいたり、どついたりも。笑)で笑わせる場面が多くなりますが、見てるこちらの笑いの導火線も、思いっきり短くなってるのに気付きます。

この席からはオケピの中もよく見えるので、たびたび目に入りました。指揮者の塩田さんがジャンプしながら指揮棒振るのも、どことなく和やかな中の様子も。
席によっても違う楽しみ方ができるのでお得です。
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