千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「フェルメール展」

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○2018年10月
「フェルメール展」(上野の森美術館)

フェルメール作品のうち同時に8点が見られるという今展。正直そんなにフェルメール好きではなくても、行かなくちゃという気になります笑。
なんといっても背中を押したのは、日時指定入場制の導入です。事前に指定予約した90分の時間内に行けばいいので、ある程度以上の混雑はなさそうだし、何より待ち時間が少なくなりそう。
このやり方を採用したのは大英断で、それだけでも高い入場券の価値があると私は思います。どんなに好きな美術展でも何時間も外に並ぶ気はないので、この方式が広まって欲しいです。

土曜朝の11時の枠に予約して、12時頃行きました。行列ができてはいましたが、10分ほどで中に入れました。
入口で解説の小冊子とイヤホンガイドを受け取ります。私は絵を見ながら解説を聞くというのがどうしても苦手なので、使わないんだけど…とやや困惑。
肖像画から始まり、宗教画、風景画、静物画とオランダ絵画が続いていきます。それぞれの絵には解説文がなく、小冊子を読めということなんでしょうが、大勢の人が絵の前でイヤホン聞きながら冊子読んでるのは見たことのない光景です。でもこれも混雑緩和のためならグッジョブです。
それにしても、もともと狭い美術館である上、さらに狭い展示室もあって、満員電車並みに混んでいるところもありました。その割にムダな廊下があったりするのが、なんかなあと思います。
入場時間は決まっているのですが、中での滞在時間は決まっていない(入れ替え制ではない)ので、後の時間になるに従い、もっともっと混雑していくのではないかと要らぬ心配をしました。

いくつか気になる絵がありました。
ブルーマールトという人の「トビアと天使のいる風景」。大天使ラファエルとトビア君が二人で歩いています。トビア絵にいつもときめいてしまうのは何でなんだろうと自分でも思いますが笑笑。
ダウという画家の「本を読む老女」。レンブラントの弟子だそうです。なるほどと思います。
読んでいるのはルカ伝。敬虔な信仰が伝わってくる、こう言う絵は好きです。
メツー「手紙を読む女」。一見してフェルメールぽい!と思いました。フェルメールぽい絵を描く人がフェルメール以外にもいたんだなあ。
オランダ絵画というと、いつも楽しみにしてるヤン・ステーンの諺や寓意の絵は、今回は少なくて残念。

最後のコーナーはフェルメールルーム。大きな部屋にフェルメール8作品が展示。
ここの混みようもすごいです。「マルタとマリアの家のキリスト」以外は比較的小さいので、間近で見るには辛抱強く待たなくてはなりません。
フェルメールの絵って不思議ですよね。描きかけっぽいのがあったり、光の描写や奥行き表現、が綿密な割に、妙に人物の印象が薄いのがある。この時代だから内面表現ではなく寓意や風俗そのものを描く意識が強いのだとしても、「真珠の耳飾りの少女」などとの、絵のあり方の乖離が気になるんです。
今回「赤い帽子の娘」が見られて嬉しかったです。いろんな人が言うように、この絵はフェルメールぽくないのだけれど、絵そのものは人物の実在感があるし、衣服や獅子頭の質感表現にもはっとさせられる。写真だとそれほどでもないのに、実物は見るものを引きつける何かがあるように思える。
西洋美術館に寄託されている「聖プラクセディス」と違い、フェルメール作ですといわれればふうんとは思うのだけれど、どこか違う個性というか自己主張が感じられるような不思議な絵でした。
このほか、本当は「取り持ち女」も見たかったのだけれど、展示がまだなのが残念。

グッズコーナーで、今日見た作品の絵はがきと、記念にボールペンを買いました。
それにしてもフェルメールの人気はすごいですね。私にとってフェルメールはよくわからない画家だけれど、構図や明暗への執着や、なぜだか生まれている静謐感は感じられる。人混みに圧倒されて疲れましたが、見られて良かったです。

「国宝 (上)青春篇」「(下)花道篇」

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◆2018年10月8日
「国宝 (上) 青春篇」「(下) 花道篇」(朝日新聞出版)
吉田修一

歌舞伎の世界に取材した小説としては宮尾登美子の「柝の音」が思い浮かびますが、新たな傑作の誕生といってもいいのではないでしょうか。
終戦後、復興途上の長崎。丸山の料亭で開かれていた任侠の宴会が血みどろの抗争となり、目の前で父親を殺された立花喜久雄は、郷里を離れ関西歌舞伎の名門に弟子入りすることに。やがて天性の美貌と品によって頭角を現した彼は、歌舞伎役者としての道を歩き始めます。
冒頭から、さながら歌舞伎の演目たとえば伊勢音頭の「貢の十人斬り」のような凄惨な殺戮シーンが繰り広げられます。語り口も講談のような語り物調。
考えてみれば、この小説自体がわが国の戦後の道程を背景にした語り物といえるのでは。

喜久雄が芸養子となった丹波屋には一人息子の俊介がいて、同世代の彼と切磋琢磨しながら喜久雄は成長していきます。伝統の上に脈々とつながる血筋と、努力と天稟により成り上がった芸。丹波屋の跡取り問題も絡み、喜久雄と俊介が対比的に描かれます。
ここで私たちは、歌舞伎の芸とは何だろうと考えます。
歌舞伎には基本、演出家はおらず、家に代々継承された芸を持ち寄って演じるという側面が強いのですよね。もちろん役者個人の創意はあるものの、その根底には文化とか古典芸能とか言われる以前から伝わる「家の芸」があり、先祖から連綿とつながる血統による継承がある。
となれば、役者たちは唯一無二の家の芸を体現する存在であって、一個の意思を持った人間である以前に役者である、という状況が生まれます。そして、ここが歌舞伎と他の演劇が決定的に違う点なのではないかと思います。
下巻の後半で、家族よりも芸を優先することを隠そうともしなかった喜久雄を、娘がなじる場面があります。正直、読む方もこの喜久雄の行動にぞっとする場面です。役者という存在の業の深さを表しています。
そして、これはラストの喜久雄の、芸道の究極的昇華と、その結果生まれる人間社会からの逸脱へとつながっていきます。

著者によれば、この作品は当代の中村鴈治郎さんに取材して書いたとのこと。鴈治郎さんは著者のために黒子の衣装を作ってくれ、文字通り舞台裏に出入りさせてくれたとのこと。
そのためか、楽屋でかわされる会話や興行元とのやりとり、役付きにまつわる駆け引きなどがリアリティをもって描かれています。役者が行き場を失って、映画や新派に転じるのもどこかで聞いたような話です。
登場してくる役者たちも過去の名優たちを想起させるものが多くて、作品のあちこちに、私たちが歌舞伎から感じる生の息づかいのようなものが溢れているように思いました。
(2018年18冊目)☆☆☆

「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」

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○2018年10月6日
「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」(東京国立博物館)

朝から東博に行きました。目当ては大報恩寺の快慶仏です。
大報恩寺は、千本釈迦堂の名で親しまれている、鎌倉時代開創の古刹。パネルでお寺の説明、北野天満宮との関係など説明されていて、わかりやすいです。

快慶の弟子、行快作の本尊釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子が一つの部屋に集められています。
十大弟子は、チラシで見てもそんなにインパクトがあるわけではないのですが、実物は迫力がありました。
中でも目犍連のリアリティはすごいです。肋骨が透けてる感じや、横から見たときのやや前かがみの姿勢、顔のシワ一本一本に至るまで、非常に神経細かく造像されたことがわかります。
面白いのは東博が作ったチラシで、十大弟子の特徴が一人一人書いてあるのですが、この木犍連は「いざという時は、超能力が使えるのです」とありました。

運慶の弟子、肥後定慶作の六観音は大きいです。
向かって右から、如意輪観音、准胝観音、十一面観音、馬頭観音、千手観音、聖観音と並んでいて、木肌の感じや均整のとれた姿、複雑な衣文などが印象的です。
聖観音のみ撮影可なので、写真を撮らせてもらいました。
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「仙厓礼讃」

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○2018年9月
「仙厓礼讃」(出光美術館)

出光美術館の仙厓展。
2年前は開館50周年記念ということで、館蔵品だけでなく福岡市美術館や九大所蔵の仙厓作品が集結した大々的なものでしたが、今回はすべてが出光美術館所蔵作品。
とはいっても、私には初めて見る作品も多く、ここってどれだけ多くの仙厓作品を所蔵してるんだろう?と改めて驚きます。

今回はおなじみの「指月布袋画讃」「堪忍柳画讃」「一円相画讃」「○△□」「座禅蛙画讃」などはもちろんとして、仙厓の目で見た博多の風物、近郊の旅行や趣味に関する品が多く展示されています。それがとても面白いです。中でも旅の備忘録ふうに書き留めた書画巻を、帰宅後に画讃に仕立てているようで、過程が想像されて興味深かったです。
もう一つは仙厓が集めて楽しんでいた亀石や神授硯。石が大好きだったのは分かるけれど、友人たちとそれを見せっこして楽しんでたんだろうなあ。そういうのが何となく伝わってきて、見ている方も楽しい気持ちになります。

仙厓が聖福寺住持を退いたのが62の時。以来25年間、虚白院に隠棲して、書画三昧、趣味三昧の生活を送ったということです。
これだけ作品数が多いのも頷けるし、老後を心から愉しんでいたことがうかがわれます。
いつもは最後のコーナーにある「老人六歌仙画讃」などが今展では冒頭にあって、親しみやすく楽しい仙厓さん、ということを表しているようです。

「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」

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◯2018年9月
「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」(サントリー美術館)

サントリー美術館は、時々私の好みにぴったりな展覧会をしてくれるので好きです。
今回は醍醐寺展。
私は残念ながら、まだ醍醐寺に行ったことがありません。
醍醐寺は、9世紀に理源大師聖宝によって開かれた真言密教の名刹。桃山時代には秀吉が有名な醍醐の花見を催したことでも知られます。
今回、醍醐寺所蔵の仏像、密教法具や書蹟、曼荼羅、経典類、古文書類など多くの宝物が来ています。

入ってすぐの部屋に、ポスターにもなっている平安期の如意輪観音坐像があります。
想像してたよりずっと小さくて、お決まりのポーズをとっていますが、そのバランスがこれ以上ないという姿。
有名な観心寺の如意輪観音は官能的と言われますが、同じ如意輪観音でもこちらは柔和で清らかな印象を受けます。
ちょうど何回目かに行った夜、この周りに誰もおらず一人だけになったことがありました。
暗い部屋の中、ピンスポットの中に浮き上がる仏像と、一対一で向かい合うのは不思議な気持ちです。得難い体験でした。

不動明王坐像は奈良博の快慶展以来です。像の右側どこから見ても、こっちを睨んでいるように思えます。快慶作らしく端正な姿に惹かれます。この像は、高雄曼荼羅由来の長賀筆不動明王図像をもとに造立されているそうで、両者を較べることのできるこの機会は貴重です。
醍醐寺には、同じ快慶作の美しい、三宝院本尊弥勒菩薩坐像もありますが、今回は来ていません。
力強い表現の鎌倉期の五大尊像。まとった焔が鮮やかで描き上げられたばかりのよう。かつてはお堂の薄暗い中で燭台の光などに明王たちが浮かんで、さぞや信仰の力となったことでしょう。
階段下の展示室の平安前期造立、薬師三尊像。重量感のある像で、元々は山の上の薬師堂本尊。この大きな像に山から下りてもらって、醍醐寺の霊宝館にお移しするのはとても大変だったということでした。

醍醐寺はその時々の天皇家や権力者と結び付いていたことが多くの文書からうかがわれます。
天皇の綸旨、足利将軍や信長の書状、秀吉ゆかりの金天目茶碗なども展示されています。
とにかく展示が多いうえ、何度か展示替えもあるようなので、また訪ねたいと思います。

ミュージカル「アラジン」(2018年4回目)

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○2018年9月26日
ミュージカル「アラジン」(劇団四季,電通四季劇場) 2018年4回目
出演:道口瑞之 小林唯 三井莉穂 牧野公昭 町田兼一 萩原隆匡 戸高圭介 白瀬英典 吉谷昭雄

雨の中、「アラジン」を観に行きました。
この日は久し振りの道口ジーニー、小林唯アラジンという組合せでした。
道口ジーニーは他のジーニー役者と比べ動きが軽快。魔人としての重厚さは薄いものの、どことなく異国の匂いがあるので、初期からキャスティングされていたのも理解できます。
この物語はアラジンの立身出世譚であると同時に、人間に使役される運命を持つジーニーの悲しみが底辺に流れていると思います。
でもそこはディズニー作品、これを無理に掘り下げることはしません。ジーニーはアラジンの助け手あるいは友として、ときには忠告までしながらひたすらアラジンを支えます。
私は、アラジンが「君に自由を」というところで一番感動します。限られた3つの願いを自分のために使ってくれたアラジン。その言葉をにわかには信じられない風情でいる道口ジーニーがよかったです。

小林唯のアラジンは歌もいいし、何しろ顔がハンサムなのがいいと思います。だって街でもモテモテの役ですもんね。この説得力は大事です。
前回観た笠松哲朗のアラジンもそうでしたが、ジャスミンに嘘をついていたことを認め、きちんと別れを覚悟しているのが筋が通っています。また、前半で泥棒稼業をしていても、開き直らず、いつかこの境遇から抜け出したいと強く思っている感じが伝わってくるのがいいと思いました。
三井ジャスミンは気の強さが一番出ています。牧野・町田の悪役コンビは完璧ですね。

この日は修学旅行中の学生団体が入っていて、ギャグもとてもウケていたので、役者さんたちはやりやすかったんじゃないでしょうか。

映画「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」

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◇映画「マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー」

映画「マンマ・ミーア!」の続編です。というより、劇団四季の舞台版の方が私にとっては身近ですが。
前作の映画では、何と言ってもドナたちが年齢上過ぎない?と思って、そこが不満だったのですが、今回はソフィーの話と、それにシンクロするような若き日のドナの話が中心です。

(ややネタバレあり。未見の方はご注意ください)
若き日のドナの境遇は私が想像していたのと大分違いました。
私は勝手に、母との相克とかお金の苦労とか、若干世知辛い過去を想像していたのですが、そうではありませんでした。
学校を卒業した若き日のドナがヒッチハイクみたいな感じでこの島にたどり着き、廃墟同然の家に住み着き、突然の大雨に打たれたり、暴れる馬を助けたりしているのを見ていると、若さゆえの自由、無謀ともいえる冒険心が感じられて、なんだか切ない気持ちになりました。あるいは、この前向きさがドナの人生との付き合い方なのかも知れませんが。
「I HAVE A DREAM」の歌詞「勇気出してやってみよう、どんなことも恐れずに」「川を渡ろう、人生の川を渡ろう」を思い出しました。

ソフィーが主催するパーティの日、懐かしい顔ぶれが集まります。ターニャやロージー。ハリーやビルも。ドナが昔助けた漁師が船を駆ってやってくる場面で、「ダンシング・クィーン」が流れて、思わず涙しました。
前作同様、海や景色の美しさが印象的でした。
私は「マンマ・ミーア!」の曇りないハッピーエンド感が好きなので、今回の映画でそちらまでが影響を受けてしまった感じはするのですが、別物と考えればとても魅力的な作品だったと思います。

「没後50年 藤田嗣治展」

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◯2018年9月
「没後50年 藤田嗣治展」(東京都美術館)

藤田嗣治展に行きました。
何年か前に展覧会でフジタの絵を見て、ああ綺麗だな、と思ったのが実質的な最初の出会いです。(それまではそんなでもなかったのですが笑)
他の多くの人と同じように、あの乳白色の白に惹かれます。
これ、下地に和光堂のベビーパウダーを使ってるのですよね。このことも、その時初めて知りました。

今展では、その乳白色の人物像の展示は思ったほどは多くなく、その点では少し残念ではありました。
それでもタピスリーなどの装飾布を背景として1920年代頃に描かれた人物像には、穏やかな気品が感じられます。
この頃のフジタの人物像は、後のややどぎつさが感じられる色合いや、グレーの陰翳なども強くなく、ふわりと軽みのある美しさで心惹かれます。

人物画以外にも風景画、戦争画、宗教画、それから子供を扱ったシリーズなど多彩です。
フジタの残した言葉。
「私は世界に日本人として生きたいと思う」。
東京美術学校時代に黒田清輝とそりが合わず、フランスに渡り、パリで華々しく活躍。しかし母国日本では画業が認められず、やがて帰国したものの戦時中に戦争画を描いたことで、戦後糾弾される。やがて再びフランスに戻って洗礼を受け、その地で没する。
今展はフジタの人生の旅路について考えさせられる展覧会でもあります。
今から100年も前に日本を飛び出した画家の一軒華やかな人生の裏に、アイデンティティと現実の相剋のようなものを感じてしまうのです。

「絵金、闇を塗る」

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◆2018年9月23日
「絵金、闇を塗る」(集英社)
木下昌輝

通称絵金。幕末の高知生まれ。江戸で狩野派に入門し林洞意の名を得て帰郷、土佐藩家老のお抱え絵師となるも、贋作騒動に関わったとがで土佐を追放、狩野派からも破門される。
この本を読むまで、私はこの絵師の存在を知りませんでした。
本の表紙に屏風絵が載っていて、確かに妖しくおどろおどろしい。本書では、絵金とその絵に人生を変えられてしまった者達が描かれています。

たとえば絵金の画塾に学んだ武市半平太、その盟友坂本龍馬。人斬りといわれた岡田以蔵。土佐勤王党の志士たち。そして上方の芝居小屋で出会った八代目市川團十郎。彼らとの関わりが描かれていきます。
どこまでが史実で、どこからがフィクションなのか。
作中の絵金は得体の知れぬ力で周りの者達を巻き込み、あるときは狂気を引き出し、あるときは後先も見えぬ行動に駆り立てようとしているようです。
実際に絵というものにどれだけの力が宿るものなのか私には分かりませんが、著者の描き出す絵金にはそれだけの説得力があって、こういうこともあるのかも、と思わせます。そして創作の合間に誰もが知っている小さな史実が挟み込まれることにより、よりリアリティが感じられます。
考えてみれば、この時代は歴史の大きな変わり目。幕藩体制の矛盾が噴出し、黒船来航により攘夷、開国と国論がめまぐるしく変わっていく時期。しかも舞台は封建と革新の両面持った土佐という土地。
その変革のエネルギーが絵金という人物の形をとって表れ出たということかも知れません。
著者の本は二度目でしたが、この本は奇想に満ちていて、とても面白かったです。
(2018年17冊目)☆☆☆

宝塚雪組「凱旋門」「Gato Bonito!!」

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●2018年9月1日
宝塚雪組公演
ミュージカル・プレイ「凱旋門」ーエリッヒ・マリア・レマルクの小説によるー
ショー・パッショナブル「Gato Bonito‼︎ー猫のような美しい男ー」
(東京宝塚劇場)
出演:轟悠 望海風斗 真彩希帆 彩凪翔 真那春人 彩風咲奈 朝美絢 朝月希和 永久輝せあ 美穂圭子

雪組公演「凱旋門」を観ました。
18年前に轟悠主演で文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞した作品に、再び轟悠が同じ役で挑んでいます。
舞台は戦争前夜のパリ。ドイツから亡命してきた外科医ラヴィックは、知人(?)が急死して途方に暮れていた若い女ジョアンと出会います。
恋に落ちる二人。しかし過去に不幸な恋愛経験を持ち、戸籍も持たない彼はなかなか関係を進めることができません。
そうこうしているうち、ラヴィックは正体がばれ、国外に追放になってしまいます。

過去の名作だけあって、いまの宝塚歌劇と明らかにテイストの異なる重厚な展開。テンポも決していいとは言えないけれど、文学的な香りがします。
真彩希帆がジョアンを演じていますが、好演でした。
全力で目の前の男に寄りかかる、一言でいうと恋愛依存な女。普段の彼女のイメージと違う役を演じています。
とくに印象的だったのは声ですね。真彩希帆はもともと綺麗な声と思いますが、ほとんど男役しか出てこないこの芝居の中で、唯一高いトーンで無邪気に喋るジョアンの声が、すうっと心に入ってくるのです。
警戒しながらも惹きつけられていくラヴィック。ああ、この声にやられたなと思いました(笑)。

轟さんのラヴィックはぐいぐいダンディズムで押してきて、これもいまの宝塚にはなかなか見られない感じです。
ラヴィックとジョアンの相手への思いのベクトルの向きと強さが時々で変わっていきますが、そういう、人間関係の微妙な部分をデリケートに表現してもいて、さすがでした。
とくに帰還後、ジョアンと映画俳優アンリの仲を疑い、葛藤するところは見どころでした。
望海風斗がラヴィックの親友ボリス役ですが、語り手的な役回りでもあり、ベタベタしない、いい距離感。ラストのパスポートのところ、格好良かったです。
望海は今回は歌のシーンが多かったですが、歌の上手さにさらに磨きがかかっていたと思います。寺田瀧雄先生が最後に作曲を担当した作品だそうで、さすがの寺田メロディー、印象に残る曲が多いです。
銀橋で最後にラヴィックがいう、凱旋門が見えないというセリフが、当時のパリの空気感と、失意の異邦人であるラヴィックの心情を的確に表現していて、宝塚的ロマンチシズムを感じました。

ショーは藤井大介作「Gato Bonito!!-美しい猫のような男-」
たぶんトップスター望海風斗の鋭さと柔らかみ両方兼ね備えたイメージから着想したんだと思いますが、藤井先生にしては面白みに欠ける印象を持ちました。
藤井作品には、常識を超越した突き抜け感を期待してしまいます。たとえば「Sante」の時に白ワインを純白のワインと言い切ってしまったような。いや、白ワインは白くないし。でも理屈じゃないのです(笑)。
生徒たちがところどころ猫ポーズを決めてくれますが、それも素敵なんだかどうだかよく分かりません。
あ、でも巨大鍵盤セットの前で、彩風咲奈演じる作曲家の仕事を邪魔する、朝月希和の猫はかわいかったです。こういうのは猫らしくてぐっときます。
来るか来るかと心の中で予測していた(笑)「黒猫のタンゴ」がやっぱりあって、望海風斗が客席を回ります。この日は貸切公演だったのでVISAネタの連呼でした。
ラテンの化粧な上、動きが激しいので、顔をぱっと見しても誰が誰だかあまり判別できない、歌詞もあんまり聴き取れない〜と思いながら観ていたのですが、その中でも今回、永久輝せあが目立っていたのと、彩凪翔が格好良かったです。凪さまは芝居でもいい役でしたね。

終演後、トップスター望海風斗の挨拶がありました。いつもの「宝塚歌劇、中でもとくに○組を!!」というのがなく、「雪組もお願いします」的にさらりと流したのが、むしろ素敵でした。

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