千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

「美輪明宏 ロマンティック音楽会」


○2012年9月20日
「美輪明宏 ロマンティック音楽会」(ル テアトル銀座)

美輪さんのコンサートに行きました。
振り返れば、もう20年ぐらいほぼ毎年行っています。その間、パルコ劇場を始め場所もいろいろでしたが、ル テアトル銀座でのコンサートは、劇場閉館のため今回が最後になります。
前回までの『L′amour -愛-』に変わり、今回は『ロマンティック』の副題で、<物語仕立て>の楽曲が中心。

一部はオリジナル曲や「人生の大根役者」などのシャンソンなどで構成されています。相変わらず美輪さんの歌唱は圧倒的です。
圧巻は今回久々に聴いた「ヨイトマケの唄」。
「父ちゃんのためならエンヤーコラ!」というフレーズがびっくりするぐらいの声量で。いや、凄い迫力でした。
考えてみると、今は使われなくなった「ヨイトマケ」という言葉に時代を感じますね。「今じゃ機械の世の中で」というフレーズも、今ならさしずめIT時代というところでしょうか。
しかし、それにも関わらず、現代もなお聴衆の心をこんなにも揺さぶるのは、この歌の持つ根源的な力なのでしょう。

二部は「想い出のサントロペ」「王様の牢屋」「ラストダンスは私に」「ミロール」など、おなじみのシャンソン曲が中心。ラテンの名曲「ベサメ・ムーチョ」もありました。激しいダンス付き。
ラストは「ボンボォアヤージュ」。一人の女性の人生の変転を歌ったものですが、数分の曲が美輪さんの手にかかると、まるで一場の舞台のようにドラマチック。
そしてアンコールは「愛の讃歌」。
すべてを浄化するような美輪さんの歌声の力強さが、劇場を出た後も胸に残りました。

泉屋博古館「近代日本洋画の魅惑の女性像」


●2012年9月21日
「近代日本洋画の魅惑の女性像-モネ・印象派旗揚げの前後-」(東京・泉屋博古館) 
 
館所蔵の近代日本の洋画数十点と、“印象派旗挙げ展”(1874)前後のクロード・モネ作品が中心の美術展です。
藤島武二、 岡田三郎助、山下新太郎らの描く典雅な女性像。いずれも西洋の影響を色濃く受けながら、その作風は様々ですね。岡田三郎助の「五葉蔦」(1909)のモデルは、堀北真希そっくり!
 
いかにも坂本繁二郎らしい、馬を描いた大作(「二馬壁画」1946)、梅原龍三郎のルノアールっぽいタッチの薔薇の画や、珍しい岸田劉生の日本画(「四時競甘」1926、今回初出品)もありました。
モネは、「サン=シメオン農場の道」(1864)と「モンソー公園」(1876)の2点。
前者はモネ初期の作品。西洋美術館にある同名作品に比べると、土の匂いがするというか、どこかごつごつした印象。
空も重苦しくさえ見える曇天で、「光の画家」という言葉から受けるイメージとは異なる感じを受けます。
一方、後者は光と影の効果がいかんなく発揮されている、いかにも印象派・モネらしい作品。両方を並べてみると作風の変化が面白いです。

映画「天地明察」


◇2012年9月16日
映画「天地明察」
原作:冲方 丁/監督:滝田洋二郎
出演:岡田准一 宮崎あおい 中井貴一 松本幸四郎 ほか
 
映画「天地明察」を観に行きました。
原作の小説を読んだのはもう3年近く前なので、細部はかなりおぼろげでしたが、それでも原作のエッセンスがよく表現されていると感じました。
小説と同じく、めっちゃ泣ける!というわけではないんですが、好感が持てました。(以下ネタバレあり。小説・映画未見の方はご注意下さい)
 
それまで使われていた宣明暦に代わり、貞享暦を発明した安井算哲(渋川春海)の話です。
原作もそうですが、この作品の良いところは、主人公をスーパーマン的偉人として描くのでなく、悩んだり迷ったりしながら一歩ずつ歩んでいく、等身大の人間としたところだと思います。
一人の算術マニアの碁打ちが、いろんな人と出会い、その思いを引き継ぐことで自身も成長していく姿が自然に描かれます。
映画を観るまで、主演の二人以外のキャストについて何の予備知識もなかったのですが、配役が面白かったです。
北極出地(北極星を各地で観測することにより緯度を算出する)隊をまとめる二人に笹野高史と岸辺一徳、関孝和役に市川猿之助、公家役の市川染五郎と小須田康人にはウケました!
総じて誰もが出過ぎず、自分の役を丁寧に演じている印象です。
主演の岡田准一はくよくよしがちな文系の若者を好演。妻えん役の宮崎あおいは、今更ですが特別な存在感。単なる算哲の妻と言う役柄を超えて、作品自体をあおい色に包んでしまうところは凄いですね。二人の関係は原作のストーリーを改変、整理してあり、映画としてはこの方がすっきりしたように思います。
 
終盤の日食勝負は小説ではなかなか場面をイメージできなかったのが、映像では納得できました。分かっていたこととはいいながら、ラストの場面はカタルシスがあります!
辺りが暗くなり突風が上空に舞い上がる日食の描写。嵐の中での観測や、豪雨の泥道を助け合いながら歩んでいく出地隊の描写。これらが映像ならではの臨場感。
農業や占術のための暦が今以上に重要だった時代。現代よりもずっと自然の移ろいや太陽や月の動きに敏感であっただろう当時の人々が、身近に感じられるような気がしました。
 
画像は染五郎さんの宮栖川友麿を書きました。一日も早いご快癒をお祈りします。

「南十字星の誓い」


◆2012年9月8日
「南十字星の誓い」(角川書店)
森村誠一

1940年、外務書記生の富士森繭は現地での情報収集のためシンガポールに派遣される。やがて第二次大戦が始まり、シンガポールは日本占領下に。
軍による住民弾圧と、それに対する抗日ゲリラの激化、さらに略奪や群盗が横行するなか、英国人や中国人と共に博物館・植物園に依って双方から文化財を守る繭たち。国籍や政治的立場を超えて文化のために団結した人々の物語。

巻末にずらりと並んだ参考文献を見ると、本作は実話がベースなのだと思われます。重い内容ですが、私はこのことについて今まで知りませんでした。
現地の人たちを軍の粛清から救う、戦時下でありながら人命を優先したエピソードは、あの「シンドラーのリスト」や杉原千畝を思い起こさせます。
孤立した博物館・植物園を次々に襲ってくるトラブル。人命と文化遺産を守るために、協力して立ち向かう繭たち。
のちに館・園の強力な庇護者となった徳川義親侯爵の「私たちが守った文化遺産が無事に平和な時代に伝えられたとき、私たちの使命は達せられます」「それを守り、伝えた人間たちの心は文化遺産に宿って、人類を照らす永遠の光源となっていく」というスピーチが胸を打ちます。

一方で、小説としては少々きつい部分もありました。
氏ほどの大作家が、これだけの大部を費やして戦時下のことを描くと聞いて期待したのですが、あまりにも淡々と話が進んでいくので拍子抜けしました。勿論、あえて余計な感情を交えない、このような書き方を選択したのだと思いますが、何だか新書版の歴史本を読んでいるような感じがしました。
文化、文化財という言葉も抽象的で、読んでいてどこかピンときませんでした。
また戦時中、繭が何故危険を冒してまで帰国を断り現地に留まったのか、作中ではテオの存在が大きな理由になっていますが、その後のことを考えると今一つ納得できない気がしました。

ラストの前の章、歴史を俯瞰的に述べた部分、「(戦争は)戦争から甘い汁を吸って肥え太る人類の天敵であるような人間を養成する。つまり、戦争を商品化する戦商をはびこらせる」というくだりには考えさせられました。
写真は、夕暮れ時の雲。光の帯のような不思議な形だったので撮りました。昼間はまだまだ暑いですが、夜は少しずつ秋の気配です。(2012年-81冊目)

「忍びの国」


◆2012年8月24日
「忍びの国」(新潮文庫)
和田 竜
 
もうすぐ劇場公開される「のぼうの城」に続く、和田 竜さんの2作目の小説です。
舞台は戦国時代。織田信長の次男で、北畠氏に成り代わって伊勢の国主となった織田信雄と伊賀勢の戦い、いわゆる「天正伊賀の乱」が題材になっています。
「術をかける相手の心を読み解き、その心につけ込むことで勝ちを得る」「目的のためなら他人を出し抜き、人を殺すことなど屁とも思わない」という忍者の心得に凄みがあります。
六角氏に仕えていた甲賀流に比べ、独立性が強く、親や子、仲間にも容赦しないという伊賀流の非情さは、本作にもよく表現されています。「仲間を大事にしない奴は人間のクズだ」というカカシ先生の教えとは大違いですね(笑)
 
物語は、伊賀忍者の中でも「その腕絶人の域」と言われる百地家の忍び・無門(むもん)と、北畠具教の死後、織田家に仕えた日置大膳(へきだいぜん)の対決を軸に描いていきます。日置は実在の人物らしいです。
冒頭の、信雄と北畠家譜代の臣らによる具教謀殺から、つかみはバッチリ。戦を引き起こそうとする伊賀方の策謀、忍者VS武士の合戦と、むだなくよく練れていて、展開に厚みがあります。
武士の価値観、忍びの掟の厳格さが窮屈に見える一方で、無門のキャラの自由奔放さと人間味が魅力的。
平凡に見えるタイトルと文庫表紙のイラストが私的にイマイチだったので、これまで手に取る機会がありませんでしたが、想像してたよりずっと面白かったです。
 
写真は京都・本能寺。信長の死後、秀吉の時代にいまの場所に移転したんだそうです。寺町通のアーケードに面して、山門が今も静かに佇んでいます。(2012年-77冊目)☆

「新生ROCK MUSICAL BLEACH REprise」


○2012年9月5日
「新生ROCK MUSICAL BLEACH REprise」(品川ステラボール)
出演:法月康平 佐藤美貴 鯨井康介 河原田巧也 太田基裕 大山真志 石坂勇 津田英佑 彩乃かなみ 新納慎也
 
今年も「BLEACH」ミュージカルを観に行きました。
昨年のクリエから1年。前回よい出来だったので、今年も期待してました。
今回は新キャストで浦原喜助が登場。作品の世界観から来る複雑なメカニズムの説明を浦原が担当することで、原作やアニメに馴染みが薄い人にも理解しやすくなったのではないかと思います。その浦原役は大山真志さん。下駄タップもあり!
主役の法月康平は前回途中から、安心して見られるようになりました。死神の面々も安定してます。
代役で出演の河原田さんは、よくもまあ短期間でここまでと思える大健闘。初登場の津田さんは歌が上手でした。
 
射真役の新納慎也さんは、相変わらずほとんど出ずっぱりの上、アクションや歌も多く、本人が大変というだけありますね。一幕終盤「お前も大切なものを守れなかったのか」と一護に問うところに、前回公演時より「哀しみ」「共感」が強く出ていて、良かったです。ここから全員で歌う「Fighting Soul」につながっていきますが、「身近な人を守るために戦う」というBLEACHのテーマが、脚本・演出・役者一体となってよく表現されていると感じます。
この射真と、彩乃かなみさん演じる遥華が、ストーリー展開の根幹に関わるキャラクターで、二人ともさすがの演技。
彩乃さんは透明感ある歌声がいつもながら素晴らしいです。宝塚卒業以来あまり舞台で見ないので、もっといろいろ出てくれると嬉しいです。二幕ラストの新納・彩乃のデュエットには感動します。
 
今回は最後にレビューショーなるものがあります(笑)ちょっと宝塚っぽいです。客席下りもあってサービス満点!
そういえば、今公演では卍解のエフェクトが映像処理になっていました。私はクリエのときの氷輪丸や蛇尾丸も結構気に入ってた(笑)のですが、まあ、こっちのほうが洗練されてるかもですね。
平日にも関わらず客席はほぼ満杯。前回も終盤に近づくにつれ熱気が増していきましたが、今回も舞台客席一体で盛り上がりました。
全体として、キャストがよくキャラクターや作品テイストを理解していて、原作・アニメファンにも違和感がなかったのではと思います。一方でBLEACHを知らないミュージカルファンにも良さを感じられたのでは。
前回から公演を重ねることで、法月・新納中心に、よくまとまっているのが客席からも感じられ、いいなあと思いました。とても満足で劇場をあとにしました。

「ツアー1989」


◆2012年8月27日
「ツアー1989」(集英社文庫)
中島京子

著者の作品を読むのは初めて。直木賞受賞の「小さいおうち」も読んでいません。
ストーリーは、1989年の香港ツアーで一人の青年が消えた出来事を、当時の添乗員、同じツアーの客らがリレー式に回想していくもの。そのうち次第に「迷子つきツアー」なる都市伝説のような企画旅行の存在が明らかになっていきます。
「旅」というものは非日常への扉。この小説は、そこへ向かう漠然とした不安を、微妙にくすぐってきます。
十数年後、なぜか突然青年のことが気にかかり始める関係者たちは、自らの若き日になにがしかの「忘れ物」をしてきたような人達です。彼らの記憶が個々が抱える現実によって、あるいは願望によって改竄され、いつか真実として置き換わっている不思議。
終盤の種明かしを読んだときは少々肩透かしでしたが、ミステリーというわけではないので、まあ、これもありなのかなとも思います。

写真は、日本橋三越で撮った、アクアリウムを通して見た光景。金魚が空中を泳いでいるようです。(2012年-79冊目)

サントリー美術館「おもしろびじゅつワンダーランド展」




●2012年8月28日
「おもしろびじゅつワンダーランド展」(サントリー美術館)
 
「来て、見て、感じて、驚いちゃって!」というキャッチフレーズの、サントリー美術館の夏休み企画展です。
従来の美術展示にデジタル技術とアナログ手法を組み合わせて、美術を「体験」「体感」することができるユニークな企画。
 
学生の頃に博物館学芸員資格を履修していた際、学内の博物館の展示替えをしたりして結構楽しい授業だったのですが、ある時「実在の博物館や美術館の展示に関するレポートを書け」みたいな課題が出たことがありました。そういう目で美術館を見てみると、普段は気付かない作品の並べ方、照明の当て方…、いろんなところに目が行きます。
「作品の見せ方」ということですが、テクノロジーの発達と展示発想が広がったことで、現代は従来と全く違った観点で美術に親しむことができるようになりました。
 
今回の展示では、きらびやかな「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」(国宝)の隣に、ふた裏の模様のプラネタリウム部屋があったり、「洛中洛外図屏風」の横に巨大な屏風のタッチパネルがあり、手で触れると部分が拡大できたりと、今までに見たことがない展示でした。
アナログ発想のものでは「武蔵野図屏風」の部屋を、一面薄暗いススキ野原のアプローチにしたり。
面白かったのは、鍋島の大皿が展示されている横で行う絵付け体験。といっても、実際に筆を持つのではなく、ずらっと並べられたタブレット端末に指で花や流水文様を置いていきます。出来上がった作品は壁のパネルに映し出される仕組み。
フラッシュを使わなければ展示物とともに写真を撮るのも自由。子供たちにとっては夏休みのいい記念になるのではないかと思います。
最近、東京国立博物館の「トーハクなび」など、スマートフォンのアプリを使って美術館を楽しんだりと言うのもありますね。いろんな方法で美術に触れられるのは楽しいと思います。

「千鳥舞う」


◆2012年8月25日
「千鳥舞う」(徳間書店)
葉室 麟

博多(福岡ではない)を舞台にした葉室麟氏の新作です。
博多に滞在した狩野派の絵師・杉岡外記と恋仲になり師から破門されていた女絵師・春香は、破門解けた後、豪商・亀屋から依頼されて「博多八景」を描くことに。
3年後に戻るという外記を待ち続けながら、この絵に取り組む春香の姿が連作短編で描かれています。

以前読んだ葉室氏の他作品には、失礼ながらちょっと枯れた感じの印象を持っていましたが、本作には気品とともに、艶やかな情感が随所に感じられます。
八景のうち「長橋春潮」は、過去に那珂川の河口に架かっていたという幻の橋を描くために、ある寺を尋ねる春香と女中のお葉の話。寺に伝わる伝説に、夢幻の趣があります。
「香椎暮雪」はミステリー風味。かつて師の想い人だったという尼僧を尋ねた春香の前に現れたのは二人。目的の相手はどっち?雪中の尼寺に咲く藪椿のイメージが清らかな佳品。
それぞれの短編のエピソードはきわめて絵画的です。風景、人の思いが凝縮した一瞬が切り取られ、それが春香の目を通して、一つ一つ、八景の絵として仕上がっていきます。
本作には、「これくふて茶のめ」などの洒脱な書画で有名な仙厓和尚も登場します。
今でも出光美術館で仙厓展をやると、私はしばしば足を運びます。
かつて福岡に住んでいたもので、やさしい海の景色や博多弁の風情が、懐しく感じられました。

写真の扇子の図柄は、作中の「箱崎青嵐」に描写されている“お汐井取り”に使う“お汐井たぼ”。故・西島伊三雄画伯の絵で、中洲流が山笠の一番山をつとめた年に配られたものです。(2012年-78冊目)☆☆

「聖護院の仇討」


◆2012年8月16日
「聖護院の仇討 足引き寺閻魔帳」(徳間文庫)
澤田ふじ子
 
法の手の届かない悪を、庶民に代わって裁く「足引き寺」一党の活躍を描くシリーズの3作目。
人を殺して配流された過去を持つ地蔵寺の住職・宗徳、その幼馴染で奉行所同心の蓮根左仲、探索を担当する羅宇屋の与惣次、紅一点・町絵師のお琳、人間の言葉を解する紀州犬の豪、かれらが協力して悪人を懲らしめます。
最近の時代小説は、作家も読者も若くなってきているためかも知れませんが、良くも悪くもキャラクターの行動や心理解釈が現代風になってきているものが多いように思います。時代が変わっても描かれる人間の本性は変わらぬとはいえ、あんまり現実と近すぎると、折角の時代ものに遊ぶ気持ちが萎んでしまうこともあります。
その点本作は、いま全盛の、市井を舞台にした時代小説シリーズでありながら、古風な趣きを覚えます。ちょうどひと昔前のテレビ時代劇もそうでしたが、単純明快な勧善懲悪にこそ表現される何かがありますね。
ちょっと宗徳や左仲の推理が強引なんじゃないかとか、人間以上に豪がすご過ぎるんじゃないかとか(豪は人間の言葉が分かるだけでなく、哲学的なことを思索したりする)思う一方で、ま、細かいことはいいか、みたいな気になります。そういえば、現代風なヒューマニズムの観点から考えると、えっ、悪人とはいえ殺しちゃうの?みたいなところもあったりして…。
山本兼一さんの「とびきり屋」もそうですが、私は京都が舞台の作品が好きなので、面白く読みました。
 
写真は聖護院。代々親王が門主を務める格の高い門跡寺院です。昔はこの辺り一面寺領で、「聖護院村」と呼ばれていたんだそうです。聖護院大根や聖護院かぶらでも有名ですね。(2012年-75冊目)
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