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〇2017年5月27日
特別展「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」(奈良国立博物館)

先週末に奈良の「快慶展」に行きました。
快慶に惹かれたのは、高野山展からです。運慶のリアルとはまた違った、四天王像や孔雀明王像の洗練、華麗さが、展覧会後にも思い出されて。
次に大津の石山寺。本堂の上にある多宝塔の中を何気なしに覗いたところ、暗がりに等身大の大日如来が、白目を光らせてじっと座っていたのが印象的で、まるで真っ直ぐこっちを見据えているように思えたのを覚えています。

土曜の午後で結構混んではいましたが、天井が高いと混雑がさほど気になりません。
入ってすぐに快慶初期の代表作、醍醐寺の弥勒菩薩坐像があります。
理知的、気品高い姿。金泥の沈んだ輝き、繊細な瓔珞や衣文の線が美しいです。近くで見ると截金が施され、掌上には五輪塔。
非常に調和がとれた姿で、しばらくぼうっと眺めてしまいました。
今回の展示を順番に見ていくと、やはり統一性というか、快慶風とでもいうべきものがあることに気付きます。これが安阿弥様というもの?
ふっくら丸顔で柔和なフォルムながら、表情に厳しさも感じさせる。四天王や明王だけでなく、如来や菩薩もそう。
快慶は醍醐寺の弥勒菩薩坐像を「如法」に則って制作したそうです。経典や恐らくは和漢の仏画等を学習し、この仏はこう、とひたすら真面目に造像していた姿が浮かびます。
快慶=絵画的とよくいわれますが、ミケランジェロ的な人体追究の(と私は思う)運慶に対して、あくまでも仏の理想像を目指した快慶、という気がします。それは、快慶が熱心な阿弥陀信仰者だったことに由来するのでは。

東大寺の僧形八幡神坐像とか、栃木・地蔵院の観音勢至両菩薩像とか、珍しい仏像神像をたくさん見ました。
地蔵院の観音、勢至菩薩は、後から造られた本尊阿弥陀如来の脇侍で、観音は大和座りから一歩膝を進めて立ち上がろうとしているように見える坐像、勢至は体をやや斜めに傾けた立像という珍しい組合せで、初めて見ました。
数多く造られた三尺阿弥陀の着衣の処理が、制作の時期によって変わっていくのがわかりました。
石山寺多宝塔の大日如来坐像は、明るいところで見ると、堂内とはまた異なる印象でした。
細身の体格。まなじりが上がり、若々しい顔立ち。お下げのような髪?が左右の肩まで垂れています。
大日如来=宇宙というだけあり、存在感がありました。本来の場で見るのが一番ではありますが、博物館の中にあってさえ、ついついもう一度振り返ってしまいそうです。

快慶の信仰者としての姿勢を考えると、この展覧会は仏教や仏像について知識があれば、もっともっと面白いだろうなと思いました。
見終わったら知らぬ間に時間が経っていて、かつての春日大社の塔の跡で鹿たちがのんびりと休んでいました。のどかな光景で、奈良に来られて良かったと思いました。