◆2017年11月8日
「デンジャラス」(中央公論新社)
桐野夏生

ある意味、ショッキングな内容の小説でした。
谷崎潤一郎の作品について考えるとき、その時々に谷崎を取り巻く女性たちのことを顧みないわけにはいきません。ですが、こうやって、あえて当事者の独白の体裁で書かれてみると、やはり生々しい。
小説だとわかってはいても。

この小説は、谷崎の妻・松子の妹で、「細雪」の雪子のモデルとされる渡辺(作中では田邊)重子の視点で書かれています。
「細雪」が執筆された頃の重子の結婚生活に始まり、谷崎老年期に至っての「家族帝国」の変容、とりわけ渡辺家の嫁・千萬子をめぐる重子たちの葛藤が描かれていきます。
谷崎と姉・松子のそばに常に寄り添い、雪子のモデルという誇りを胸に秘めながら、松子と表裏一体の存在であり続ける重子。
若さを武器に、谷崎の新しいミューズとなる千萬子。
作中で描かれる、谷崎家の緊張関係は、経済的に彼女たちが谷崎の庇護下にあったからというだけでなく、「自分こそが創作活動の源泉である」というプライドの戦いに他なりません。
小説と実生活はもちろん別物で、これを同一視するべきでないと分かっていながらも、当事者の立場になってみれば、心穏やかではいられない。
そして、読者から見ても(下世話な話ではありますが)、谷崎文学と実生活との関係というのは気になってしまう。とくに「瘋癲老人日記」のようにスキャンダラスな内容の作品であってみれば。
この辺りの興味が著者にこれを書かせたのだと思うし、読者もそれを踏まえて、この本を手に取るのだと思います。

この本の凄いところは、文章から著者・桐野夏生の気配を消しているところです。
昭和初期~中頃の時代感や、関西の富裕層出身の女性の言葉として自然だし、かなり事実に沿って書かれてる(らしい)。読んでいてしばしば、あたかも本当に重子の独白であるように錯覚させられました。
一点受け付けなかったのは、ラストです。
ネタバレになるので詳述しませんが、作中で松子および重子VS千萬子の戦いに決着をつける出来事が起こります。
この部分、「刺青」を下敷きにしており、全体から浮いています。ここだけ作品が現実を侵食した「物語」になってしまっています。
現実には谷崎はこうはしないと思うのです。周囲の声を余所に、本人はあくまでも現実と作品を区別していた人だったのではなかろうか。その折り合いの付け方は本人にしか分からなかったとは思いますが。(2017年40冊目)☆