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⚪︎2018年3月17日
「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」(国立近代美術館)

終了間近の熊谷守一展に行きました。
正直この画家について「猫の画家」ぐらいの知識しかなかったのですが、複数の行った人から、これは面白いよと言われて。
口コミってやつですね(笑)。
夜間開館だったにも関わらず、けっこう混んでいました。

この人の絵の変遷を見ていると、好き嫌い、好みを超えて、絵は画家そのものを表しているのだ、と感じます。
最初はいかにもな西洋画ふう。黒田清輝や藤島武二らに師事していたというのが分かります。しかし画面がどれも暗いです。
画面を縦にしたり横にしたりしたときの効果を追究する一方、光の表現に関心を持った守一は、逆光による輪郭線を描き入れ始めます。
輪郭線はやがて赤い色になり、守一の絵の特徴になっていきます。
画風は「日本の洋画」からフォービスム的になり、やがてナビ派的な感覚、キュビスム一歩手前の抽象性などが現れてくるのが興味深いです。
の変遷を見ていると、面と線の色彩と、対象のかたちを組合せて、さながら「線と色の実験室」のようだと思えてきました。

「雨滴」や「日輪」といった絵、風景を描いた絵。
これはふだん私たちが見る雨粒や太陽、風景の姿のように複雑ではありません。しかし極度に単純化された線と色、かたちの組合せは、なにがしか、本質に迫っている気がしてきます。
「猫」もそう。栖鳳の猫の毛のような質感もなく、輪郭線と、いくつかの色を塗り分けただけなのに、やはり猫そのものを掴んでいるような。

守一は、感覚だけによらない、実験による科学的探求によって線や色彩、そして絵とは何かを究めようとしたのではないでしょうか。彼の絵に茶色や深緑、白が多用されているのは、赤い輪郭線との相性のよさを追求した結果かと思われます。
理系的な手法。その絵は、熊谷守一という画家の特異なキャラクターを表現しているようです。
彼の絵は、物事のいろんな装飾を削ぎ落としていくと残るのは驚くほど単純な本質である、と示唆しているようで、絵とは、世界とは何かということを考えさせられます。