千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2013年11月

「黒書院の六兵衛 上・下」


◆2013年11月28日
「黒書院の六兵衛 上・下」(日本経済新聞出版社)
浅田次郎

着想の面白さには、さすが著者、と思いました。
大政奉還後の江戸。無血開城されたはずの江戸城・西丸御殿に、なぜかじっと居座り続ける一人の男。
官軍の先触れとして城に入ることを命ぜられた尾張藩の下級武士・加倉井隼人は、この異常事態を無事納めることができるのか!?
(以下、ネタバレあります。未読の方はご注意願います。)

最初は可笑しみがあります。
突然大役を仰せつかって、精一杯官軍らしく振る舞おうとする加倉井と、時ならぬ事態に右往左往する幕臣たち。しかし、この六兵衛が“いないはずの武士”であることが分かってくると、不自然な状況の圧迫感がじりじり迫ってくるようになります。
六兵衛が玄関に近い書院番士の詰所から移動していくに従い、対する人物もどんどん格上に。六兵衛の正体は誰か?という疑問はやがて、彼は何故こんな行動をとっているのか?という興味へと移っていきます。
私が思わず感動してしまったのは、皆で謀って六兵衛に鰻を食べさせようとするくだりでしょうか。ここの加倉井の大村益次郎への言葉が良かったです。
大村は新政府軍の将として、上野に立て籠る彰義隊に大砲を打ち掛けた人物。一方の加倉井は、官軍先手の尾張藩士といっても江戸生まれ。故郷への愛着が立場を超えてほとばしり出た、という感じでした。ここから続いて、徳川宗家を幼くして継いだ亀之助君の行動が描かれるに至り、うるっときました(この場面の挿絵にも)。
旧時代の武士道の精華をうたった幕切れには、爽やかさとある種の滑稽さ、そして時代の転換に伴う寂寥感が。
複雑な設定がなく、ほぼ語りの力でラストまで持っていくので、途中やや中だるみなところもあるとはいえ、それでも面白い小説だったと思います。

写真は、東京・田町の「西郷・勝会見の地」。両者が江戸城無血開城を話し合った薩摩藩屋敷跡だそうです。
(2013年-97冊目)☆☆

ミュージカル「レ・ミゼラブル」


昨日で帝劇の「レ・ミゼラブル」が大千秋楽を迎えました。
演出変更に加え、山口祐一郎さんの降板、福井さんの怪我休演など、実にいろいろなアクシデントが起こった公演でしたが、とにもかくにも無事、長期にわたる公演が終了して、関係の皆様には心からお疲れ様と言いたいです。

今回のバージョンを、私は4回観劇しました。
新演出版がベースになっている映画を先に観てはいましたが、それはそれ、やはり舞台で観ると違和感がありました。
強い象徴性を持つ作品に、現代的リアル感覚を持ち込んだような。
しかし回を重ねるうちに慣れたとまではいかなくとも、形こそ変われ、そのエッセンスは根本では変わりないのかな、と思うようにもなりました。
新旧版演出に関わらず、「レ・ミゼラブル」を観ると、やっぱり泣けますし感動します。
「文学界」5月号で鹿島茂さんの「なぜ『レ・ミゼラブル』は人の心をうつのか?」という記事を読みました。それによれば、この小説は「作者の意図を超えて神話的作品であり、それゆえ人間の無意識に届く」こと、さらにバルジャンを見る時「(目の前にいる人を救うという)義務の観念を自覚する」ことによるのではないかと書いています。さらに執筆段階で、バルジャン=イエス・キリストという図式がユゴーの中にあったのではないかとも。
ミュージカルを観て、私達はバルジャンの生き方に、神の愛というものを見出します。
冒頭、司教を通して神の愛を知ったバルジャンは、法の遵守こそが神の御心であると信じるジャベールの心を揺さぶり、やがて自らコゼットに愛を与える存在となります。
「誰かを愛することは神様のおそばにいること」という歌詞は、本作の思想をもっとも簡潔な形で表現していると思います。

今回もいろんな役者さんの組み合わせで楽しませてもらいました。
私が一番感動したのは、東京凱旋の25日でしたが、それ以外の日もそれぞれの良さがありました。
吉原バルジャンの不器用そうな魅力とか川口ジャベの冷徹な執拗さ、和音ファンテのセイントなところ、新マリウス・田村良太の持つ雰囲気や昆エポの歌唱力…、それぞれが印象的でした。ジャベール役は福井ジャベの公演数が少なく、結局見られなかったのが残念。他にも見逃したキャストが何人か。 役者の組み合わせによって様々なニュアンスが生まれ、それが新たな感動ポイントになるのが面白いと思いました。
すべての場面が響き合うだけでなく、闇を照らす照明や役者の口からこぼれでる何気ない台詞に意味が感じられる、こんな作品は滅多にないのではと思います。
欲を言えば、旧演出で顕著だった、言葉に表せないこういった良さがやや薄まった気がするので、次回以降、工夫が加わるといいなと思います。あとは、盆が復活するといいなあと…。
次の公演は再来年と発表されました。次回はどのような「レ・ミゼラブル」なのか。楽しみに待ちたいと思います。

「レ・ミゼラブル」


●2013年11月25日
「レ・ミゼラブル」(帝国劇場)
出演:福井晶一 吉原光夫 田村良太 若井久美子 駒田一 浦嶋りんこ 昆夏美 和音美桜 上原理生 ほか 18

帝国劇場で「レ・ミゼラブル」の凱旋公演を観ました。
これまで散々、新演出じゃ感動できないとか言っていましたが、終わったら鼻をぐすぐすいわせてる自分がいました(笑)
今日は二階前列で観たのですが、見下ろす感じだと、後ろの違和感のある背景もあまり気にならないですね。むしろステージのあの石畳みたいな模様がパリっぽく?見えました。
今日は福井バルジャン、吉原ジャベールという組み合わせでしたが、この二人が拮抗してるのがまず良かったです。
吉原さんは映画のラッセル・クロウを思わせるデカさ。福井さんも結構乱暴で負けていません!「対決」がヒグマと虎の決闘みたいで、迫力がありました。
福井バルジャンは「独白」みたいに声を張るところではなかなかですが、「彼を帰して」みたいな裏声の高音ではやはり弱いですね。少しぐらい外してもいいから地声で歌って欲しいです。キャラ造型的にはいい人っぽさが抜けず、神の愛に出会う前はもっと怒りの感情が出て欲しいところです。
とはいえ、全編通じて歌も芝居も安定しているので、やはり貴重な存在です。福井さん、四季時代はいつも猫だったと述懐していたそうですが、人間がやりたかったんだなあ、人間になりたがった猫だったんだなあと、しみじみ思いました。

今日のファンテーヌは和音美桜。「夢やぶれて」で絶望を歌いながら、綺麗に聞かせることのできる稀有な人です。ファンテやエポがいいと感動する場面がぐっと増えます。
「対決」のあと、バルジャンがコゼットを迎えに来るシーンは私の泣きポイントです。散々テナ夫人に苛められた後だけに、バルジャン来てくれて良かったねえ、と感情移入してしまいます。今公演ではリトコゼの子役さんが上手ですね。そういえば、この時のバルジャンのコートが普通のデザインになってた気がしました。前はもっとロボットみたいだった気が…。
ここから「ベガーズ」のセットがせり出してきますが、ここの転換は旧版より見劣りするものの、それ自体は迫力があります。
マリウスとアンジョルラスの登場シーンは新演出で群像っぽくなりました。ここばかりでなく、カフェのシーンなんかでもアンジョが話してる時にガヤガヤしていて不満です。私は、アンジョはもっとカリスマっぽく描いて欲しいです。今日は上原アンジョで、彼自身はカリスマっぽくも見えるのですが、他の学生たちとの落差を感じる演出です。
マリウスの田村良太は大人しい印象ですが、堅実で誰にも合わせられるキャラクターを感じさせます。マリウスは主人公で、いわば観客の等身大キャラでもあるので、私は合ってると思います。エポニーヌは昆夏美。マリウスを思う「オン・マイ・オウン」「恵みの雨」が良かったです。
バリケードでは今回、いろいろ思うことがありました。
陥落直前、砦の外で弾を拾うと言うマリウスの代わりにバルジャンが行こうとしますよね。私はこれまでバルジャンの行動動機について深く考えてなかったんですが、これはマリウスを死地に行かせないためだと気付きました。まさに「彼を帰して」通りの行動。結局、ガブローシュが出て行き、倒れてしまいますが、この身代わりの連鎖は、人の生が誰かの犠牲的精神の上に成り立っていることを示しているように思います。
いよいよ陥落というとき、怪我をしてるにも関わらずマリウスが砦に走り寄ろうとします。それを必死で止めるバルジャン。そちらを見ていたら、アンジョが落ちるところを見逃してしまいました。

「カフェ・ソング」のあと、生き残ったマリウスをコゼットが介抱する場面。若井コゼットのにっこりと微笑む横顔を見て、バルジャンはまさにこの笑顔のために人生を賭けてきたのだなあと胸が熱くなりました。
「バルジャンの臨終」の場面、和音ファンテと昆エポの歌がとても綺麗だったので、いつにも増して泣けました。
新演出版になって不満なところもありますが、それでも根本のところで「レ・ミゼラブル」は変わらず私達の心に響いてくる物語なのだと改めて思いました。
カーテンコールでは福井さんと吉原さんがガシッと抱き合っていました。その周りをガブの松井月杜くんがぴょんぴょん跳ね回っているのが可愛かったです。

「江戸の狩野派-優美への革新-」


○2013年11月22日
「江戸の狩野派-優美への革新-」(出光美術館)

久し振りに出光美術館に行きました。
江戸時代初め、京都から江戸に進出し、幕府御用絵師となった探幽以降の“江戸狩野”を紹介する展覧会が開催されています。
狩野探幽というと、この間「京都展」で二条城の荘厳雄大な障壁画を見ましたが、本展では瀟洒な味わいの水墨画や大和絵風の優美な絵、細密な植物の写生や古画の模写など、探幽の様々な面を見ることができます。
入ってすぐのところにある「竹林七賢・香山九老図屏風」。他の絵師の同画題と比べて表情やポーズが洒脱で楽しげ!そして竹林の周りには大胆な余白!
よく「余白の美」ということを言いますが、探幽の「叭々鳥・小禽図屏風」は、遠近感とか、見えない木々や空気の存在とかの脳内補完を促してきます。等伯の「松林図屏風」なども連想されます。
探幽以外で楽しいのは、探幽の弟・尚信の絵です。剽逸な趣の「猛虎図」。ユーモラスな虎の絵ですが、岩やせせらぎ、草の筆使いも見飽きません。「叭々鳥・猿猴図屏風」も印象的。

一般に、狩野派=粉本主義、没個性といわれますが、それが実感される展覧会でもあります。
「粉本主義」は、お手本の模写重視。狩野派は血縁相続なうえ、実物写生よりもお手本を見て描いてたでしょうから、画一的になっちゃうんですね。
「京狩野VS江戸狩野」というコーナーで、同じような画題を描いた、京狩野の三代目・永納「遊鶴図屏風」と江戸狩野の安信(探幽の弟)「松竹に群鶴図屏風」を比較展示しています。松や牡丹がびっしり描き込まれた前者に比べ、後者は部分的に松や竹が覗いているぐらいで、いたってシンプル。その余白が何だか物足りなく見えてしまって…。
お城や御殿の襖絵なんかを描くときは「○○の間」とか呼ばれて、芸術性より権威主義や分かりやすい装飾性みたいなものが好まれたのでしょうから、御用絵師集団たる狩野派の形式性が強まっていったのは無理からぬところかも知れません。

「冬虫夏草」


◆2013年11月21日
「冬虫夏草」(新潮社)
梨木香歩

前作のときにも思ったんですが、水墨画のような小説ですね。淡い墨で描いたような不思議ワールド。
時代は明治の頃でしょう。ほぼ10年前に出版された前作「家守奇譚」は、居なくなってしまった友人の家を守っていたら、いろんな怪異に遭遇して…という内容でした。この家は京都の疎水の近くにあるという設定。
本作はその続編。相変わらず主人公・綿貫征四郎の身辺の出来事が淡々と綴られていくと思ったら、犬のゴローが行方不明に。今回は旅のお話ですが、そのまま山奥の異世界の話になってもちっともおかしくない感じがしました。怪異を怪異のまま受け入れる感覚がいかにも自然。主人公の友人で南川という人が出てきますが、南方熊楠がモデルなんでしょう。
わが国独特の季節感、古くからの民間信仰や死生観などが、言わず語らずのうちに盛り込まれていて、本を手に取ると私達の忘れていた感覚が呼び覚まされるような気がします。

写真は、作中にも出てくる「むかご飯」。秋の味覚です。
(2013年-94冊目)☆☆☆

「オレたちバブル入行組」


◆2013年11月11日
「オレたちバブル入行組」(文春文庫)
池井戸潤

御存知「半沢直樹」の原作小説。
ドラマは後半の一話だけしか見てないんです。なので、前半はこんな話だったんだなとわかりました。石丸幹二さんが浅野支店長役だったということですが、見てみたかったです。
「倍返しだ!」という例の恫喝はほとんど出てこない代わり、
「オレがあんたを破滅させてやる」「あんたにはとことん、悩んでもらうしかない」
などという半沢の科白が怖っ!
お堅いと思っていた銀行員のイメージが覆されました。

「これで君たちは一生安泰だ」と言われて入ったという世代。そんな時代は過ぎ去ったと口ではいいながら、入行当時の夢や希望、プライドを今でも持ち続けている。半沢の半端ない強さはそういうところにあるのだなあと納得しました。
(2013年-92冊目)☆☆

「箸墓幻想」


◆2013年10月27日
「箸墓幻想」(角川文庫)
内田康夫

以前、大和地方を旅行したことがあります。
明日香村ののどかな景色や電車からの三輪山の眺めを見て、現代と古代が意外なほど近くにあるなあという気がしました。
「箸墓幻想」を読むと、そのときの感覚を思い出します。

奈良・箸墓古墳に隣接するホケノ山古墳の発掘調査を指揮していた考古学者が死体で発見されるのが発端。
数日後、ホケノ山から3世紀の画文帯神獣鏡が出土し、「邪馬台国近畿説を裏付ける発見か」と世間の注目を集めることに。
殺人事件の解決を依頼された浅見が、時空を超えた謎に挑む、という内容です。

「あとがき」によれば、ちょうどこの作品の執筆中(平成12年)に「画文帯神獣鏡発見」のニュースがあり、それを作品に取り入れたんだそうです。(ちなみに本作発表後の平成23年、奈良・九渡3号墳でも画文帯神獣鏡が発見されている)
邪馬台国論争に絡んだ話であり、その意味でも面白いのですが、何よりも私達が「古事記」などに感じる古代の大らかさや、それとは逆のドロドロしたものを、現代に焼きなおしたようなストーリーに惹き付けられました。
世代を越えて愛憎を引きずっている男女は古代の血縁社会を思わせるし、本作のヒロイン・為保有里はまるで万葉集の恋歌を地でいくような率直さ。彼女の爽やかな魅力はシリーズ中でも特筆すべきものと思います。
浅見が逗留した當麻寺が二上山の麓にあることもあり、記紀・万葉集だけでなく、折口信夫「死者の書」が引かれています。古代の息遣いが作中に感じられ、普遍的に変わらぬ人間の営みと違和感なく溶け合っているところが魅力だと思います。

写真は東京国立博物館の売店で購入した盤竜鏡(8世紀・中国)の香立です。(2013年-85冊目)
☆☆☆☆

「秋月記」


◆2013年10月17日
「秋月記」(角川文庫)
葉室 麟

福岡に行く機会があったので、葉室麟さんの「秋月記」の文庫本を携えて行きました。
秋月は、天神から西鉄電車とバスを乗り継いだところにある風光明媚な地。維新後の秋月の乱でも有名ですが、本作では、江戸中期の「織部崩れ」と呼ばれる秋月藩の内紛を題材にしています。

主人公の間(あいだ)小四郎とその仲間は、藩政を壟断する秋月藩家老・宮崎織部の行状を、命を賭して本藩の福岡藩に訴え出ます。訴えは取り上げられ、織部らは処罰されたものの、支藩・秋月藩に対する福岡藩の支配が強まり、藩消失の危機感を抱く秋月藩士たち。自分のしたことは正しかったのかと自問する小四郎でしたが…。

読んでいて「きれいはきたない、きたないはきれい」という言葉が頭に浮かびました。善事を行ったつもりで人に疎まれたり、悪を行うことで結果的に善をなしたりと、人間の善悪は表裏一体。藩内で孤立しながらも「逃げない」ことをポリシーに難局を乗り切ろうとした小四郎の姿に、現代にも通じる「生きることの難しさ」が表現されているようです。
個人的には、最近の柔らかみのある葉室作品の方が好みなのですが、本作も著者らしい、筋の通った作品だと思います。
作中に描かれた、本藩に対する秋月藩の反骨の気風や、自然豊かな風景描写などが印象に残りました。長崎の石工が作ったという「目鏡橋」が県の有形文化財として現存しています。建設から約200年間、一度も損壊したことがないそうです。本作では、その完成までの艱難辛苦も描かれていて、いつか実物を見てみたいと思いました。

写真は、作中にも登場する「久助」の葛湯。時代を超えて愛される秋月の名産品です。
(2013年-84冊目)☆

「さわらびの譜」


◆2013年11月8日
「さわらびの譜」(角川書店)
葉室 麟

扇野藩の重役の娘・伊也は、父親から手解きを受け、女子ながら日置流雪荷派弓術の上手として名を馳せていた。ある日、他流派の樋口清四郎に指導を受けたことから、彼に惹かれていく。しかしそんな折、妹・初音と清四郎との縁談が持ち上がる。
さらに、伊也と清四郎がともに御前試合に出場したことから、思わぬ災難が降りかかることに…。

表題の「さわらびの譜」は、源氏物語・宇治十帖「早蕨」の巻の人間関係になぞらえて付けられてるんですね。もう一つの出典「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも」は、主人公・伊也の性格を表してるようです。
弓士としての誇りと清四郎への思慕の情、妹への気遣い、それらの間で悩みながらも、真っ直ぐ生きようとする伊也を中心に、清四郎、初音らの胸中が描かれます。彼らの純粋な思いに、例によって藩のお家騒動が絡んできて…という展開。
双方離れて矢を射掛け合うという弓の立ち会いの場面が出てきます。弓術に馴染みがないのでぴんとこないんですが、これ、かなりの確率で相討ちになりそうです。
全体としては、結末から逆算されてるのが見えすぎていて、あんまり意外性を感じなかったかな、というのが正直な感想です。同じく女性主人公の話でも「螢草」のほうが私は好きでした。
それでも、ラスト2頁のまとめ方はさすが葉室氏、ちょっとうるっときました。

写真は京都・仁和寺の廊下です。
(2013年-91冊目)☆

「星籠の海」

◆2013年11月5日
「星籠(せいろ)の海 上・下」(講談社)
島田荘司

御手洗潔の活躍を描くシリーズの最新作。出版社のコピーでは「御手洗潔、国内編最終章」だそうです。
瀬戸内海の島に正体不明の死体が複数、漂着したところから、別の大きな事件が明らかになる、というもの。

この本、本当に面白かったです!!幾つかの話が平行して描かれてるので、始めどこがどう繋がるのか予想もできないんですけど、いつのまにか上下巻で900頁近くを夢中で読んでしまってました。
死体漂着の謎に始まり、表面のどかな地方都市に広がる闇の部分が次第に表面化します。
そこに、中世、瀬戸内海一帯に勢力を築いた村上水軍と、江戸幕府開国の折に老中主座を務めた福山藩主・阿部正弘という歴史のパーツが加わって、超・奇想天外な物語となっています。これだけでも読む価値ありです!!本作のタイトル「星籠」とは、一体何なのか!?興味が掻き立てられます。

大スケールの物語が展開する一方で、古くからの“潮待ちの港”・鞆の男女たちの生き方が描かれます。上京し挫折を味わう男女、移住してきた親子ら、それぞれの人生模様、一つ一つのエピソードが鮮烈な光を放ちます。彼らの人生が重なり合って、やがて大河のような本筋に流れ込んでいくのが圧巻です。(途中、「潮工房」のオーナーの名が、塩沢→黒田に変わっているのには、あれれ??と思いましたがー笑)
ラストに近い章、瀬戸内の海の美しさの描写があります。はるか古から変わらないその輝きに、人の世が重ねられてるようだと思いました。
お馴染み、御手洗と石岡君の掛け合いも楽しく、あらゆる意味で楽しめるエンタテイメント作品でした。(2013年-89,90冊目)
☆☆☆☆☆

「劇団四季ソング&ダンス60 ようこそ劇場へ」


○2013年11月6日
「劇団四季ソング&ダンス60 ようこそ劇場へ」(四季劇場<秋>)

出演:佐野正幸 加藤迪 あべゆき 佐渡寧子 鳥原ゆきみ 岩崎晋也 坂田加奈子 ほか

初めて劇団四季の「ソング&ダンス」を観に行きました。
すごく良かったです!!このシリーズ、今まで何で観なかったんだろう、と後悔したほど。
とにかく歌上手いし、ダンスもすごいし。何より、俳優一人一人が観客を楽しませようとしてるのが伝わってきたのが良かったです。
ファミリーミュージカルも、昭和の三部作も、観たことがありませんでしたが、それでも全然OKでした。「南十字星」のバリ舞踊や演奏は真に迫っており、そのあと佐野さんの歌う「祖国」で会場が静まり返りました。
さらに、皆で歌う「共にいてアルゼンチーナ」の素晴らしさ。エンディングで久々の「キャッツ」のテーマと「ウィキッド」にとどめさされました。
自分が普段観ない演目の人や、観てても衣装やメイクの下で見えない(キャッツなんかはとくに)俳優の一面が見られるのも魅力。鳥原さん、歌うまっ!!とか、坂田さんカッコよすぎ!!とか、一和洋輔さんの素顔初めて見た!!!とか、いろいろ発見も。
最後はロビーで「ありがとうございました」の言葉と共に俳優のお見送り。こちらこそいいもの見せてもらって、本当にありがとう、と思い劇場をあとにしました。

「沈むフランシス」


◆2013年10月31日
「沈むフランシス」(新潮社)
松家仁之

建築家の山荘での共同生活を描いた「火山のふもとで」の著者、松家仁之氏の新作。
都会の生活を捨てて、北海道の小さな村で郵便配達をする桂子。仕事中に彼女が知り合ったのは、さまざまな音を収集する男・和彦。四季のうつろいとともに二人の時間を辿っていく小説。

前作では、毎朝の鉛筆を削る音とかコーヒーの匂いとか、目に見えないものを感じさせる点が極上でした。本作では音マニアの和彦が、自分が収集した音(ノイズ)の説明を延々と桂子にするのですが、その描写が煩わしく感じられました。
相変わらず文章は綺麗です。自然の描写とか清冽で美しいんですよね。しかし、この男女のありようが分かりにくく、遠い別世界の出来事を読んでるような気分になりました。
この作者は自然と人の醸す空気感、流れる時間の濃密さを描く稀有な作家だと思います。しかしこの小説に関しては登場人物に感情移入出来なかったためか、物語に対する関心が続かなかったです。

写真は、京都・龍安寺境内の萩の花です。
(2013年-88冊目)

「琳派の伝統とモダン-神坂雪佳と江戸琳派-」


●2013年10月27日
開館15周年記念特別展「琳派の伝統とモダン -神坂雪佳と江戸琳派-」(細見美術館)

京都・岡崎の細見美術館で「琳派の伝統とモダン」展を見ました。
明治から昭和にかけて活躍した神坂雪佳の作品と、酒井抱一以降の江戸琳派の画業を追っています。
館に入ると、まず雪佳の「金魚玉図」がでーんとお出迎えです。ちょっと見、月から金魚が飛来!?とか思いそうですが、昔は軒先に金魚吊るしたんだそうですね。正面からの顔もグロぎりぎり手前で、ユーモラス。
雪佳の画というのは琳派の伝統的意匠や、たらし込みなどの技法を踏襲しながら、とにかくデザイン性があってスタイリッシュ。宗達や光琳らの先人にもまして、画というより図案というほうがしっくりくるものがあります。近現代の画家でいうと、福田平八郎なんかは、もしかしたら影響を受けていそう。
光琳の「燕子花図」の花を部分的に白色に変えたような雪佳版「杜若図屏風」は、反復の美に不規則性が加わっています。また「楓紅葉図」や四季の草花を描いた「十二ヶ月草花図」の「籬に菊」は、対象のデフォルメや余白も含めた画面構成に洗練を感じます。

江戸琳派といわれる画家たちの作品が、残り半分ほどを占めています。
抱一は今回「槇に秋草図屏風」のみですが、弟子の鈴木其一、その子・守一、抱一の養子である酒井鶯蒲らの作品が展示されています。琳派の場合、違う絵師による同じ主題、同じ系統の絵が繰り返し出てくるのも面白いです。「先人に学ぶ」という意識が強いんでしょうね。あるいは注文主から「なんか目出度そうな富士山とか頼むよ。『伊勢物語』の『東下り』とかさ」などと言われた結果かも知れません。
細長いミニ絵巻物が異彩を放っています。其一「四季歌意図巻」や鶯蒲「近江八景図巻」。タテの長さは8センチから10センチ位か。筆遣いの細かさは工芸品を思わせます。

写真は、細見美術館の近く、平安神宮の横から西側を見た風景です。
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