千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2016年05月

映画「遊戯王」2回目

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◇2016年5月28日
映画「遊戯王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS」

公開中の映画「遊戯王」の大喝采上映会に行きました。
上映中のかけ声や歓声、拍手、ペンライトなどの持込、さらにコスプレなども全てオーケー。皆で大喝采しながら映画を楽しもうという企画です。
これが面白かった!
劇場は夜の上映にも関わらず、ほぼ満員。
場面に応じて何色ものペンライトが光る中、海馬が出てきたら「社長ーっ!!」、ブラックマジシャンガールには「かわいいー!!」、また場面に合わせて「デュエル!」「ドロー!」「バーストストリーム!!」(笑)とか、ほぼ全編に渡って、声が飛びます。
でも海馬の演説の時には皆、ペンライトをじーっと掲げて静聴。演説が終わると「海馬」「海馬」の大コールが!!(笑)
なんか、新しい映画の楽しみ方なのでした。

今回の「遊戯王」の映画、連載開始から20周年を記念して製作・公開されています。
原作者自ら脚本やキャラデザを担当しているだけに原作テイストが溢れていて、ファンから見れば嬉しい内容。
闇遊戯がいなくなってしまった後、海馬がどうしてるか考えたこともなかったけど、今回の映画でとても腑に落ちました。
終盤の遊戯と海馬の共闘、そしてその後の、あの方の降臨(と彼を守り続けるあの神官の登場)には感動です。
原作、アニメが終わって10年以上経ってからアニメの劇場版ができるなんて余り例がないことだと思いますが、それだけ熱心なファンに愛された作品だったんだなと思います。

「サブマリン」

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◆2016年5月26日
「サブマリン」(講談社)
伊坂幸太郎

前作「チルドレン」はずいぶん前に読んだきりで、ああ、ベンチと盲導犬が出てきた話、と思い出しました。
主な登場人物は、家裁調査官の武藤と陣内。彼らが相手にする少年たち、以前相手にした元少年たち。陣内の友人である永瀬と妻の優子。
「チルドレン」の12年後の話。

武藤の一人称で、家裁調査官の毎日が綴られます。家裁調査官は、少年事件についての調査や報告、観察などを行う仕事。
世間の「少年も大人と同等に裁くべき」という大合唱の中、当事者たる少年たちの事情を調べれば調べるほど、武藤の中で深まる世間とのズレ。疑問。
事件を起こした少年をどう扱うべきか。
罪を償うということはどういうことか。
法が裁かない事件に対し、これに私的に制裁を下すことは許されるか。つまり、悪い人間になら勝手に罰を与えていいか。
ストーリーに織り込まれたこれらの問題は難しいです。

登場人物の中で、ひときわ異彩を放っているのは、言うまでもなく武藤の上司・陣内です。
自由奔放、変人。こんなに深刻な内容なのに、ついつい笑ってしまうのは、ほぼ陣内の場面。
伊坂作品には「陽気なギャング」の響野とか、このタイプの人が出てきて深刻さを一瞬のうちに吹き飛ばしてしまいます。お話の中ではありますが、こういう滅茶苦茶な人って空気を変える力を持ってるのかも知れないです。
理屈だけで考えると辛い内容になりそうなところ、この小説では、陣内の存在が不思議な温かみを生んでいると思います。
(2016年‐26冊目)☆☆

「美の祝典Ⅱ 水墨の壮美」

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○2016年5月
開館50周年記念「美の祝典Ⅱ 水墨の壮美」(出光美術館)

出光美術館で美の祝典の第2弾「水墨の壮美」が始まりました。
ほぼ水墨画、文人画だけの展示。でも豊かなイメージが広がります。
玉澗の「山市晴嵐図」なんて、墨の濃淡で山肌と空気、あと描かれてるのはちびちびとした屋根や橋、蟻んこみたいな人間だけなのに、山里の風景が思い浮かびます。上の写真はその一部分。

等伯の「竹鶴図」に雪舟「破墨山水図」。そして牧谿の「平沙落雁図」の雁、小っちゃい!!
いいなと思ったのは、狩野元信の「西湖図屏風」。
前に立つと、目の位置より高い山と低い山、橋のように左右に走る堤が目前に広がって、とても面白い景色。
鶴を連れた林和靖、ろばで行く蘇東坡が小さく描かれていますが、これもちゃんと説明があるので見つけられました。
もう一つ、蕪村の「山水図屏風」。蕪村の山水図の中でも、奥行きがあるためか空間の広がりが出色だと思います。どこか温かみもあります。
伝周文「待花軒図」も久し振り。好きな絵は何度見ても嬉しい!
小さい作品では、谷文晁「戸山山荘図稿」が、ちょうど読んでいた「公方様のお通り抜け」に出てくる尾張徳川家の庭園を描いていて、自分的にはタイムリーでした。

「伴大納言絵巻」は中巻です。
放火の罪をかけられて悲嘆にくれる源信の女房たち。そこに赦免の使者が到着し、今度は嬉し涙の奥方。
ここから事態は急展開。
大納言家の家人に子供を足蹴にされた腹いせに、真犯人が大納言だと言い触らす隣家の舎人夫婦。噂はまたたく間に都中に広まり…。
子供の喧嘩から始まる一連の問題場面を、絵巻は迫真の筆で伝えています。舎人夫婦が「あたし達は見たんだよぅ!!」とばかりに大きな口を開けて喋っています。
朝廷の権力闘争と子供の喧嘩というかけ離れた事件が結び付く瞬間です。ありえなさそうなことを、あたかも見てきたように劇的に伝えてくるのもこの屏風の魅力かと。

「バベル九朔」

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◆2016年5月21日
「バベル九朔」(KADOKAWA)
万城目学

祖父が残した雑居ビル「バベル九朔」の管理人をしながら、小説家を目指す主人公「俺」。得体の知れないトラブルに巻き込まれ、たどり着いたのはバベルという名の別世界。そこには巨大な塔が立っていて。
謎めいた住人に導かれ階段を上がっていくと、かつてビルのテナントとして存在した店が次々出現。
徐々にこの世界の秘密が明かされ、主人公はある決断を迫られます。

うーん、難しい。作者が作った世界のお話を延々拝聴している感じです。
内容はパラレルワールドものなんですが、なんかゲームかアニメの設定みたいで。
この主人公、小説の新人賞に連敗中ということなんですが、かつての作者自身を投影しているようです。主人公をこの世界につなぎ止める罠として、「こうなっているはずだった」未来、授賞式やサイン会の様子まで現れます。そういう情念が根底にあるためか、暗いです。
同じ不思議話でも「鴨川ホルモー」や「鹿男あをによし」みたいなのが、また読みたいです。

(以下、ネタバレ感想。未読の方ご注意お願いします)
ラストで主人公がとった計画というのは、自分が辿って来た道を、新たに異空間に追いやった過去の自分に追体験させるということなのだろうか?九朔満男になり代わって。
確かにそれであれば、新しい自分が次々と異空間に出発し、現実世界に帰還し続けることで、永久に破たんしない状態を作り出すことができそうですが…。
もっとも、現実世界に干渉できないはずの主人公が、なぜ現実の自分や原稿に接触できたかはよくわからなかったです。
この小説、パラレルワールドに時間移動を組み合わせて落としどころを作った感じですが、爽快感や気持ち良さはほぼなし。むしろ徒労感が残る小説でした。
(2016年-24冊目)

「公方様のお通り抜け」

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◆2016年5月18日
「公方様のお通り抜け」(日本経済新聞社)
西山ガラシャ

これまで読んだどの小説にも似ていない、だけどとっても愉快な小説です。
日経小説大賞受賞作というのも意外。確かに主人公は目端が利いてて、経済と関係なくもないのだけれど。

お話は寛政4年、現在の新宿区戸山にあった尾張徳川家の広大な庭園に公方様(家斉)が御成りになることになり、出入りしていた大百姓の甚平が、この工事を請け負うことに。
甚平は公方様に思いきり楽しんでもらおうと、さまざまな仕掛けを考え出す。今でいうテーマパークですね。
ネタバレになるので書きませんが、このアトラクションが楽しい!
身分差のわりにフランクな関係は互いへの信頼ととればよいのか、屋敷奉行にいろんな提案を持っていく甚平。この屋敷奉行の人間味がいい。やがて殿さま(尾張藩主・徳川宗睦)にも拝謁、その反応も可笑しい。
堅苦しい時代物でなく、どことなくゆるい感じが新鮮でした。

そういえば出光美術館で、ちょうど今、寛政10年に谷文晁が描いたという「戸山山荘図稿」が展示されています。
園の風景をささっとスケッチした、という体の絵です。これにも川や橋、社が描かれていて、この本の内容を彷彿とさせました。
と思ったら、終わりの方で谷文晁の名前も出てきました。そうか、あの絵も素材の一つなのね、と納得。
史実を膨らませて小説にした作品は多くありますが、まだこういう題材があったんだ!と目の付け所にびっくりです。
(2016年-23冊目)☆☆

「クロコダイル路地 I」

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2016年5月11日
「クロコダイル路地I」(講談社)
皆川博子

革命前夜のフランス、貿易都市ナントから始まる物語。大ブルジョワの貿易商の後継者ロレンス、亡命した貴族に付き従う従者ピエール、貧しい労働者ジャン=マリ、したたかなその妹コレット、革命によって変転する若者たちの運命を描いています。

ちょうど舞台の「1789」を観て、この時代のことを知りたいと思っていたところでした。
「1789」では、農夫ロナンが指導者であるロベスピエール、デムーラン、ダントンらとともにバスティーユを陥落させるまでを描き、人権宣言で終わります。歴史的には、この後ロベスピエールの粛清によって、デムーラン、ダントンらも処刑されてしまいます。
本書では、革命政府の恐怖政治が地方都市に波及していくさまが描かれています。反革命的と言われないように、革命委員会から目を付けられないように、多くの市民が息をひそめている状態が怖いです。
とにかく今日を生きていくことがやっとという極限状態が、ただ食うための生存本能によって生きる鰐になぞらえられています。
Ⅱの「イギリス編」も楽しみです。
(2016年-23冊目)☆☆

「辛夷の花」

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◆2016年5月6日
「辛夷の花」(徳間書店)
葉室麟

爽やかさと力強さ、両方を備えていて、最近の葉室作品のなかでは一番好きかも。
辛夷の語源は、蕾の形が握り拳に似ているからということですが、これがほころんでいくさまを主人公たちの心の有り様と重ねています。

婚家と不縁になった志桜里が暮らす澤井家の隣に越してきた、木暮半五郎なる武士。この半五郎、なぜか抜くことができないよう刀を紐で結んでいて、城中でのあだ名は「抜かずの半五郎」。
庭の生垣越しに言葉を交わすようになる志桜里と半五郎。しかし志桜里に元の夫との復縁話が。
その頃、代々藩の要職を務める三家と藩主の対立が表面化し、志桜里の父、庄兵衛も巻き込まれてしまう。

いろんな引き出しから作品を産み出してくる著者には驚くばかり。でも私は「螢草」に連なるような、この系統の作品が一番楽しいです。
とにかく善悪がはっきりしているから、安心して読める!茶室の三悪人ならぬ三家老の悪役ぶりも際立っているし、志桜里の危機に駆け付ける半五郎の格好良さ!それに、志桜里の弟や妹たちが可愛い!
武家社会のしがらみに縛られて、互いに思いを伝えられない志桜里と半五郎がもどかしく、先が気になって仕方がない。
「こうあらねばならない」というしがらみは封建社会特有のように思われて、実はいつの時代にも共通する気が。「蜩ノ記」とは真逆に、悩みながらも「こうありたい」と、主人公たちが自らの生き方を選び取っていくところに共感しました。

写真は早春、泉屋博古館の前に咲く辛夷の花です。
(2016年ー22冊目)☆☆☆

「1789 バスティーユの恋人たち」(4回目)

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2016年5月14日
「1789 バスティーユの恋人たち」(帝国劇場)
出演:小池徹平 花總まり 神田沙也加 岡幸二郎 吉野圭吾 坂元健児 上原理生 古川雄大 広瀬友祐 渡辺大輔 ソニン (子役)万座みゆ 鈴木和弥

帝劇で「1789」を観ました。
東京千秋楽が明日。今日は一足早く主要キャスト3人、ロナン役の小池徹平、アントワネット役の花總まり、オランプ役の神田沙也加は千秋楽とあって、密度の濃い3時間でした。

見る回を重ねるごとに最初のヴェルサイユ宮殿の場面の印象が強くなりました。
この場面「全てを賭けて」の歌詞を聴いていると、アントワネットの哀しみについて考えてしまいます。
政略結婚でフランスに嫁がされ、彼女としては普通に宮廷生活を送っていただけなのに、いつの間にか民衆に憎まれ、退屈な宮廷に飽いてフェルゼンとの恋に救いを求めると、これがスキャンダルになる。
花總アントワネットの高貴な美しさはもちろん言うまでもないのですが、とにかく人物像に説得力があり、すごいのです。
そして、息子を失ったことをきっかけにした後半での悔恨と決意。「愛する対象を見極めなくては」という言葉に、心の動きが表現されています。
日本版制作にあたってアントワネットのイメージを膨らませたということですが、悲劇の王妃がこの演目の中心のようにさえ思えるようになりました。

小池ロナンは、プチブルジョワ層のロベスピエールやデムーランたちと違って、言葉もべらんめえ調(笑)で庶民的、というか下町的、明快な性格のキャラクター。沙也加オランプは国王一家に仕えながらも平民という位置付け。
このロナンとオランプという、いわば無名の市民をアントワネットの対極に据えたところが、この舞台の面白いところなのでは、と思います。

この日の公演では王弟アルトワ伯のテンションが高くて、ほとんど国王を恫喝しているように見えました。ネッケルも負けてなくて「たぁーつ」って(笑)。その後ろには岡ペイロールが冷たく控えていて、緊迫感ありました。
フェルゼンが任地を抜け出して王宮に駆けつける場面、いつもなら広瀬フェルゼンのブルブルを楽しみにしているのですが、この日はルイ16世から目が離せませんでした。アントワネットの言葉を聞いた増澤ノゾムの陛下が、国王だからあからさまではないのですが、じわっと心を動かされているのが見て取れました。
もう一つ、「フランスに残る」というアントワネットの決意を聞いた飯野めぐみさんのポリニャック夫人が、一瞬、王妃の威に打たれて息を飲んだように感じられました。そのあと、ことさら距離を置こうとするようによそよそしく帰って行くのが印象深かったです。

「武器を取れ」以降の民衆たちは、もはや誰にも止められないエネルギーを激しいダンスで表して、怖いほどです。
実際、革命で共和制に移行した後、フランスでは市民たちによる密告とギロチンの混沌とした時代が訪れますが、ちょっとそういうことも予感させるような気がしました。

終演後、小池、花總、神田3人の挨拶がありました。
小池徹平が「まだ実感湧いてない。駆け抜けたという感じ。たくさんの人に観てもらって感謝でいっぱい」
沙也加が「毎日新しい発見があって初日感覚だった。小池先生やキャスト、スタッフの皆さん、そしてお客様に感謝」
花總「大千秋楽は明日なので、まだ終わっていない感じだがほっとしている。キャストやお客様に感謝。大阪でも頑張る。明日の大千秋楽が素晴らしい千秋楽になるようお祈りします」大体こんな感じ。
カーテンコールは、4回目で小池君と沙也加が抱き合い、国王役の増澤さんが花様の手を取りエスコート。会場が沸きました。5回目では、小池君が沙也加、花總二人の手を取ってたら、引っ込むときに沙也加と花様が抱擁、小池君がお辞儀。
いろんなことを考えさせられる公演だったし、今後ぜひ、また再演してほしいと思いました。

「ルノワール展」

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○2016年5月8日
オルセー美術館、オランジェリー美術館所蔵「ルノワール展」(国立新美術館)

ルノワール展を見ました。やはりというか、結構な混雑です。
印象派の中では、ルノワールの絵は華やかで好きだと思っていたのですが、こうしてずらっと並べられているのを見ると、ちょっと食傷気味でした。
ルノワールのいかにも印象派らしい、ぽわぽわした人物画が私は好きなのですが、その手のものは思ったほど多くなかったかも。

今回、大作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」が来ていて、絵の前は人だかり。衣服や地面に映る木洩れ日が、内から輝くようでやっぱり素敵。光に包まれて、都会の広場に集う人々が楽しそうで、見ているこちらまで嬉しくなる。
この絵が見られたのは良かったです。

展覧会はテーマ別の構成ながら、おおむねルノワールの画業を追っていく形。初期の頃の風景画などはモネを思わせるものもあって、共に活動していた影響を感じさせました。
「猫と少年」は写実っぽい絵で、しかも背景は暗闇で印象派的ではないにも関わらず、やはりルノワールらしさがあって不思議。
後半、1890年代以降の絵。人形のような顔の人物が多い中で、「薔薇を持つガブリエル」のモデルの表情が生き生きとしていて、目を引きました。
ルノワールはバラの花の色を人物の肌の色に応用していたと解説にありました。なるほど、ルノワールにはバラの絵や、バラを人物とともに描き込んだ絵が多いです。花に限らず、音楽、ダンス、子猫、美しい人々、ルノワールの絵には美しいものや可愛らしいものへの志向性が強くて、その辺りファンが多いゆえんだと思います。

「コーラスライン」(2016年2回目)

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●2016年5月11日
「コーラスライン」(劇団四季,自由劇場)
出演:田邊真也 政所和行 中村巌 和田侑子 沖田亘 高野唯 塚田拓也 井上佳奈 恒川愛 丹下博喜 大橋美絵 川井美奈子 深堀拓也 小原哲夫 小坂華加 三平果歩 大村真佑 斎藤洋一郎 町真理子 6

千秋楽間近の「コーラスライン」を観ました。
演出家ザックのコーラスダンサーを選ぶオーディション。受験者たちに向けてザックが語りかけます。「履歴書に書いていない、君たちの個性が知りたい」
この言葉を受けて、自分の過去や生い立ちを話し始める受験者たち。
一人ひとりの事情が語られていく中、面白いのは、同じ台本のはずなのに演じる役者によって受ける印象が違うこと。
台本上のキャラクター付けを「役の個性」というなら、そこに「役者の個性」が加わって、さらにこの組合せが変わることで、毎回違うニュアンスが感じられるのだと思います。

この日のキャストだと、小坂華加クリスティンに、これまでのこの役で一番、笑わされました。
音痴であることがコンプレックスであるはずなのに、どこか楽しそうな笑顔。終盤の集団での歌の前に、他の人と(マギーかビビだったかな)一生懸命、小声で音取りをしていたりして。
クリスティンは人によっては意外とウソっぽく、あざとくなってしまいがちだけれど、小坂クリスティンは憎めない!
この日のアル役は小原哲夫で、調子いい感じの川口アルと違い、どことなくハードなイメージ。二人の組合せは、能天気で明るい嫁と締まり屋の夫という印象でした。
塚田グレッグの「お立ち!」、大村マークの神父との二役も可笑しかったです。

昨年からの公演で私が印象に残ったキャストは、容姿、演技、話し方、全てが役と同化したような三平ヴァル、苦悩がにじみ出ている斎藤ポール。この場だけでない彼らの人生がリアルに感じられました。
持ち味が全く異なるマイク役は、表情で見せる上川一哉、動きで見せる沖田亘というふうでした。丹下博喜・竹内一樹のボビーは、屈折と軽薄さの度合いが微妙に違っていて、結果、かなり違う性格に感じます。
田邊ザックは、若すぎるんじゃないかと心配しましたが杞憂でした。
キャシーについては、私は坂田加奈子のキャシーがこの芝居のイメージとして真っ先にあげられるぐらい好きなので、東京リターンで出演されなかったことが残念でした。できれば最後に坂田キャシーを見たかった!
町真理子の力強い「愛した日々に悔いはない」に続き、最後の「ワン」は皆の晴れ姿。後ろの鏡が回って客席が映るのもよし。今後しばらく見られないと思うので、眼に焼き付けました。

映画「遊戯王」

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2016年5月8日
映画「遊戯王 THE DARKSIDE OF DIMENSIONS」

遊戯王の映画を観ました。
観客は9割方大人。考えてみると原作20周年、アニメからも15年位経っているわけなのです。
お話は、闇遊戯があっちの世界に旅立ってしまったあと、闇さまロスになってしまった海馬瀬人が経済力にものを言わせ、あろうことか千年パズルを発掘して…というもの。
海馬くん、闇遊戯とゲームするのが大好きだったんだなあ。

遊戯、海馬、城之内ら懐かしい面々が当時そのままに登場。ツダケン演じる海馬が相変わらずのテンションの高さです。むしろモンスターたちの方が進化してて、ブルーアイズなんとかドラゴンとか、ビジュアル的にもカッコ良くて。
デュエルのときに、おなじみのテーマ曲が新アレンジで流れてきて、これは鳥肌もんです。
先日観た宝塚版「るろうに剣心」といいこの映画といい、一時代を築いたジャンプ作品が、時をおいても色褪せないどころか新しい輝きを放っていて嬉しくなります。

「ままならないから私とあなた」

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◆2016年5月1日
「ままならないから私とあなた」(文藝春秋)
朝井リョウ

短編、中編各1編からなる朝井リョウの新作。
(ネタバレあります。これからお読みになる方はご注意お願いします)

1編目の「レンタル世界」。心の中をさらけ出すことで、分かり合える。信頼関係を作れる。そう考える「俺」が出会うのは「レンタル業」の女の子。結婚式などで友達とかの代わりに派遣される仕事です。
いわゆる本音の関係に対して偽りの人間関係を許容できるか、是非論みたいになるんだけど、これ昔だったら前者が勝ってたところですよね。
核心となる人間関係だけ維持できれば、あとはレンタルでいいやというのが現代なのかも。

2編目「ままならないから私とあなた」。
「私」と小学校からの親友、薫。作曲家志望の「私」に対し、薫はこれまで人間の手では困難だったり不可能だったりしたことを、テクノロジーによって実現することを「便利」と考える理系女子。
最近何かで、文体を分析するソフトによって過去の文豪の「新作」が読める時代がくるかも、という記事を読みました。でも、それは漱石や谷崎の作品といえるのだろうか?
薫のような人は実際にいそうですが、コントロールできないものへの懼れ、という理由にはなるほどと思わされました。
とはいえ、人間性礼賛の話と思わせて突然全てを相対化してみせる作者は、少し意地悪にも見えます。

著者の作品は、目の前にいる人との「違い」に着目します。これを掘り下げることで、人間という存在の不合理さが浮かび上がります。
(2016年21冊目)

宝塚雪組「るろうに剣心」

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2016年5月7日(貸切公演)
宝塚雪組公演
浪漫活劇「るろうに剣心」(東京宝塚劇場)
出演:早霧せいな 咲妃みゆ 望海風斗 鳳翔大 大湖せしる 彩凪翔 彩風咲奈 月城かなと 永久輝せあ

今回の雪組「るろうに剣心」には、二つの点で、とても感銘を受けました。
一つは、原作やアニメが終わっても作品はちゃんと生き続けていて、こうやって新しい創作物として生まれ変わることがあるのだということ。それは新しいファンに迎えられるということでもあります。
もう一つは、オリジナルストーリーでありながら、原作の精神が尊重されていること。とくに明治維新という大変革を経て人々の価値観が根こそぎ変わってしまった中、「不殺」を誓った剣心の内的動機がきちんと描かれていることに深く頷けました。
見終わったとき、こんなようなことが自然に頭に浮かんできて、知らず知らず涙がにじみました。

それにしても、各キャラクターに対する生徒たちの研究の成果は目覚ましいものがあります。
剣心役は早霧せいなで、優しさと厳しさ、両方兼ね備えていて素晴らしい。人斬りだった過去を背負いながら新しい世を生きている哀しみが、その姿から垣間見えました。
原作では様々な剣客との遭遇により、剣心が人斬り抜刀斎に戻りそうになる場面がしばしば描かれますが、宝塚版では「剣心の影」という役が設定され、剣心が影と戦って斬り伏せることで抜刀斎への衝動を抑える、という演出になっています。これが面白いと思いました。影の役は永久輝せあが演じていますが、殺陣シーンで抜群の剣技を見せてくれました。

斎藤一を演じる彩風咲奈は見目がよい上、権力の側につきながら心までは売り渡さず、自らの信念によって生きる格好良さを表現しています。
「♪悪即斬」という歌がこれまた良い!銀橋でこの歌を歌うとき、指揮の塩田さんの横にタバコをポイ捨てします。ここで牙突(平突き)のポーズをして、そのすぐ後にまたタバコをくわえたりして…(笑)。とにかくカッコいいのです!
相楽左之助役は鳳翔大。赤べこ前での大見栄が立派。斬馬刀のさばきも美しく、歌舞伎ぽい演出が効いています。
武田観柳役の彩凪翔。一幕目では牛鍋屋の行列に横入りするぐらいで小っちゃい悪役!と思ったことでしたが、二幕目では「ガトガトガト…」とエキセントリックな魅力満載で!
斎藤と並んで格好良かったのが、四乃森蒼紫を演じる月城かなとですね。派手過ぎる衣装がよく似合っています。普段は真面目っぽく見えるかなと君が、蒼紫の周りが見えてない感じを上手く出していました。
そして、望海風斗は今回、加納惣三郎役。唯一といっていいオリジナルキャラですが、大物ぶりが板に付いています。背景ではこの役もやはり幕末を背負っていて、こういうところに物語の深みを感じました。ラストでは剣心と一対一の闘いになりますが、剣心へのこだわりを最後まで捨てきれないところに憎めなさを感じました。
プチガルニエの階段シーン、観柳が「ガトガトガト…」でハケるとき、加納惣三郎の望海風斗が「VISA、VISA、VISA、VISAで支払い~」と言って消えていったのが爆笑でした。
神谷薫役は咲妃みゆ。彩みちる演じる弥彦が感じが出ていて感心しました。

ショー部分では望海の歌に続いて、赤べこのロケット。男役の群舞では、彩風咲奈が斎藤一のまんまな雰囲気で踊っていて微笑ましいです。
パレードは「ガトガトガト」「悪・即・斬!」と続いてしびれましたね。
貸切公演だったので、トップスター早霧せいなの挨拶がありました。大体こんな感じです(細部違ってたらすみません)。
「皆様の暖かい拍手と…素敵な笑顔のおかげで、この公演もあと2公演、つまり明日、千秋楽を迎えることになりました。これからも楽しく、皆様が笑顔になれる舞台を作ってまいりますので、三井住友VISAカード様、並びに宝塚歌劇団、とくに雪組、雪組を(と繰り返し)宜しくお願い致します!」
とてもいい公演を見せてもらって、生徒たちや小池先生、歌劇団やスタッフの皆さんにありがとう、という気持ちになりました。大満足で劇場をあとにしました。

「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみー」

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○2016年5月5日
開館50周年記念特別展「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみー」(山種美術館)

今年のGWはいくつか美術展を見ましたが、この日は山種美術館の「奥村土牛展」に行きました。
ここは行くのにちょっと大変です。茅場町にあった頃(かなり前ですが)は、ここの美術館の空間が好きでよく行ってました。当時、竹内栖鳳や福田平八郎、上村松篁などの絵を見て日本画が好きになったことを覚えています。

今回の土牛展、作品自体はこれまでにも何度か見たものが多かったです。
入ってすぐに「醍醐」が展示してありますが、もう初夏の暑さなので、気分的には盛り上がりに欠けました。4月中旬ぐらいまでに見られると良かったです。
「鳴門」は渦のしぶきや泡立ちと、緑がかった海の色がそうそうという感じで、やっぱり迫力あります。
「麻布南部坂」や「那智」は初めて見ました。後者は、那智の瀧の真ん中より上の部分を描いているようです。「吉野」は久し振りですが「歴史画を描いている思いがした」という土牛の言葉が印象に残りました。
前々から欲しいと思っていた「茶室」や「城」、それからちょっと変わった顔のシャム猫の絵はがきを買いました。

「北大路魯山人の美 和食の天才」

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2016年5月3日
「北大路魯山人の美 和食の天才」(三井記念美術館)

私の乏しい知識では、魯山人というと美食家で陶芸家、「美味しんぼ」の登場人物のモデル、ぐらいしか思い浮かばないのですが、他にも書、篆刻、絵画、漆芸と、多才な人だったそうです。
今回、魯山人の和食器のほか、書や絵画を展示しています。

志野、織部や瀬戸、染付に色絵、椀物。こうやって見ると、やはり実用品というより作品という感じです。
しかもそこに見える骨董への造詣!古美術商をやっていたぐらいなので、その眼で客観的にも洗練されたものを作ったと思われます。
乾山ぽい龍田川の向付、乾山だったら同じ色合い、テイストで揃えるだろうところ、魯山人のは5枚全部色が違います。日月椀は魯山人が創案したということですが、いまも図案が定番化して使われているのはすごいことです。
以前、何必館で見た魯山人の器は大物ばかりで、しかも鉢に水を張って青紅葉を浮かべたり、花を生けたりしての展示でした。魯山人の器は確かに使った方が映える気が。

瓢亭のご主人、高橋英一さんが、昔お母様が、魯山人が食べた勘定を払わずに、自作の器を代金代わりに送ってくるのを「器じゃなくお金で払ってくれたらいいのに」とぼやいていたと、以前テレビで話していました。
魯山人の器はことに懐石料理に見映えがしそうです。食と作陶両方の人だけに、瓢亭の料理に俺の器は合うぞ、とか思っていたのかも。

写真は、京都の旅館、俵屋で出たお造り。魯山人展で見た備前や織部の木葉皿に感じがよく似ていたので、載せてみました。
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