千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2017年05月

「奈良西大寺展」















〇2017年5月20日
「奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝」(三井記念美術館)

三井記念美術館で「奈良西大寺展」を見ました。
多くの有名寺院には、私達一般人にとっても、何となく思い浮かべるイメージがありますよね。
平等院なら浄土信仰、定朝、藤原摂関家。高山寺なら明恵上人、鳥獣戯画&動物、お茶とか。
でも本展の西大寺は今一つ掴みどころがない感じ。もちろん、私自身の知識が追い付いていないからなのですが。

西大寺は称徳天皇の発願。奈良時代には南都七大寺として広大な寺域を誇りますが、衰退。
鎌倉期に叡尊が復興し、戒律を重視し社会的弱者の救済に尽力するなどして真言律宗を広めます。
明治になって真言宗に統合されますが、その後再び、真言律宗寺院として独立。

歴史的な変転ゆえか、西大寺および真言律宗の仏教美術は多彩です。
奈良平安鎌倉にまたがる、さまざまな像容の仏像、密教法具や経典。舎利塔などの像内納入物や厨子、叡尊坐像。
さらに、各地にちらばる一門所蔵の文化財。
展示の中に聖徳太子像や弘法大師坐像があり、ん?と思いますが、これは元興寺極楽坊のもの。蘇我馬子が建立し、平城京遷都に伴い飛鳥から移転した元興寺の一部は真言律宗の寺となり、太子信仰や弘法大師信仰を伝えています。
また、北条氏が叡尊に帰依していた関係からか、一門には鎌倉周辺など関東の寺院が多いようで、そうすると造仏や信仰のあり方について、近畿とは違う事情も生まれたかも知れません。
それぞれの寺院の歴史と真言律宗の歴史が相まって、結果的に多様性を生み出したのでは、と勝手に推測しました。
(浄瑠璃寺の吉祥天立像は、今回期間が合わず見られませんでした。残念)

間近に目を奪われたのは、渡海文殊菩薩坐像です。
金色に輝く知的な顔立ち。衣文の文様が立体的だけれど、これは截金を用いてるのでしょうか。お隣に最勝老人、そして善財童子が従います。安倍文殊院の善財童子と比べて素朴な佇まい。
塔本四仏坐像のうち釈迦、阿弥陀如来坐像。かつてあった塔に安置されていたとされる仏像。お顔が異国的な印象を受けました。
わが国最古の「十二天像」のうち「閻魔天」「水天」二幅。密教の護法神で方角を司ります。儀礼等で用いるようです。
極楽寺の釈迦如来像の印相が見慣れないと思ったら、転宝輪印というのだそうです。

「墨龍譜」

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◆2017年5月19日
「墨龍譜」(PHP研究所)
葉室麟

桃山期の絵師・海北友松の一生を描いた歴史小説。
海北家は近江浅井家の家臣の家柄。友松は喝食として東福寺に入り、主家が信長に滅ぼされたのち、還俗して絵師に。
武士の生き方に「美」を見出し、海北家の再興を夢見る作中の友松。
にも関わらず狩野派の門を叩くにいたる心の動きは、残念ながら文章から読み取れなかったけれど、才のままに時を過ごした結果、志とは別の道を歩んだ、という見方なのでしょうね。
実際に友松は「誤落芸家(誤りて芸家に落つ)」と語っていたらしい。

作中では安国寺恵瓊らとの交友から、斎藤道三が信長に渡したとされる「美濃譲り渡し状」の真贋問題を通じて、本能寺の変に間接的に関わったことになっています。
もし本当だったら、大変なことですよね!
ただ作中にある、処刑された斎藤内蔵助(明智光秀家臣)の遺骸を奪いに行ったのは事実らしいです。
この安国寺恵瓊と狩野永徳の描き方が、他作品とはひと味違った印象で。
狷介で自らの力を恃む永徳。戦場に赴く武士と同じく、絵師も命を賭けているのだ、と友松に伝える重要な役どころでした。

京都で開催中の「海北友松展」のHPに、友松の絵の画像が載っています。
永徳風、山楽風、また玉澗風の山水図や、粱楷風の減筆体人物画、大和絵。でも友松というとやはり龍で、今にも動きだしそうな勢いなのです。
これと対照的に晩年の「月下渓流図」に読み取れる独自の静謐な境地。
画風の変遷を見ていると、この小説によく呼応している気がしてきました。友松の残した絵が、絵師の時々の心境を量る資料となっているようです。
写真は「禅」展図録より建仁寺の「竹林七賢図」(部分)です。
(2017年19冊目)

「騎士団長殺し 第1部 第2部」

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◆2017年5月14日
「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」
「同 第2部 遷ろうメタファー編」(新潮社)
村上春樹

村上作品には、どことなく距離を感じていた私。でもこの本はとても面白かったです。
(以下、かなりネタバレあります。未読の方はご注意下さい)

妻と別れて失意の日々を送る画家の主人公。高名な日本画家の雨田具彦がかつて暮らしていた山の上の家に住み始めたある日、屋根裏で「騎士団長殺し」と題された絵を発見します。
この絵を開けて以降、次々と起こる不思議な出来事。破格な報酬の約束された肖像画の依頼、真夜中に鳴る鈴の音、そして絵から抜け出たような奇妙な人物…。
知らず知らず、渦中に巻き込まれてしまう主人公。

読んでいる最中はどっちに行くのか、全く分からない展開でした。
でもシュールに見えながら、ちゃんと最後にあるべき場所に収斂するところはお見事。この物語風に言えば「開いた環が閉じる」というべきでしょうか。
村上作品の特徴として、読者に「自分にだけはこの世界が理解できる」と思わせる、というのを読んだことがありますが、確かに一つ一つの言葉に(メタファー的に)隠された意味を考えながら読む快感というのがあるような。
私はこの物語に、自己回復の内的過程を描いた作品という印象を持ちました。
主人公は、偶然か必然にか開けてしまった運命論的な連環を閉じるために、いくつかの苦難を乗り越えることを余儀なくされます。
その過程で主人公を脅かす親玉ともいうべきものが作中「白いスバル・フォレスターの男」と名付けられた存在。要所要所で現れるそれは、内なる破壊衝動、絶望や不安を想起させます。
一方で主人公を守る存在も登場し、善と悪の二元論的なせめぎ合いが描かれます。
これらの全貌が明らかになる第2部後半のくだりは、再生のための最終通過儀礼。この道行からはダンテをも思い浮かべました。

本作では、世界の成り立ちが、因果律的な関係性の連鎖として表現されているようです。
物語自体は無国籍、無宗教であるにも関わらず、そこにあるいくつかの言葉や観念に、宗教的、信仰的とも思えるものをちらちら感じました。西洋でこの本が読まれても、受け入れられやすいのではないでしょうか。

写真は作品にちなんで、ショールームでプジョーを撮りました。(2017年17,18冊目)
☆☆☆☆☆

「絵巻マニア列伝」2回目,3回目












〇2017年5月
「絵巻マニア列伝」2回目、3回目(サントリー美術館)

GWの間に一度、その後に一度、「絵巻マニア列伝」を観ました。

GWにはとても混雑していて、そのためかどうにも消化不良感が残りました。
展覧会の趣旨は「絵巻マニアたちの享受の仕方を理解する」というものだったと思うのですが、そもそもが「絵巻マニア」といわれてもピンと来ないんですよね。
知識と視覚的納得感のバランスも取りにくい。
文献資料の引用や口語訳は労作だと思うのですが、だんだん読むのが面倒になってくる。

というわけで、次の時にはマニアたちや文献のことは忘れて、絵巻そのものにのみ注目することにしました。
そうすると、絵巻の美しさや豪華さが目前に迫る感じがします。
絵巻物の用途として、宮廷での回し読みや、寺社の民衆教化みたいなのを想像していたのですが、確かにそういう面もあるとはいえ、今回ここに並んでいるようなものは、明らかに美術品として作られている気がします。
当時一流の絵師が絵を手掛け、詞書や奥書はこれも一流の能書家に。もちろん料紙や絵具は最高のものを使用。そうして出来た絵巻が皇室や寺社に奉納され、手にすることが出来るのは超の付く貴人など。
だからこそ美術的完成度も高いし、大切にされるため傷みも少ない。

久々に見た「玄奘三蔵絵」が素晴らしい筆運びといい、往時そのままと思える彩色といい、目を引きました。鎌倉時代の作にも関わらず全く古びておらず、お隣の江戸時代の模写「彦火々出見尊絵巻」と並んでも遜色がない。
興福寺大乗院旧蔵で、新門主就任の時のみ閲覧が許されたのだそうです。やはり。
他にも時を超えて美しい「法然上人絵伝」や「當麻寺縁起」、琵琶湖から薬師如来が出現する霊験譚「桑実寺縁起」。神秘的な「春日権現験記絵」。
いろんな絵巻に描かれた山々の緑青が清々しく、これこれ、大和絵の美しさだよなあと思いました。
内容的に興味深いのは「地蔵堂草紙絵巻」でしょうか。
修行中、色欲に迷った若い僧が龍宮に連れられていき、現世に帰ると体が蛇に。やがて人間に戻れるものの、いつの間にか200年の時が経っていた…という話。
浦島伝説との共通点。また僧→恋→水→蛇という連想から、道成寺も思い浮かびます。
「石山寺縁起」の一場面では、亭子の帝(宇多天皇)の石山寺行幸に際し、菊の花の設えられた打出の浜の行在所で待っている大伴黒主が描いてあります。
この話は「大和物語」に見え、賦役を免れたため畏れ多さに身を隠してしまった国司に代わり、黒主を行在所に置いておいたところ、黒主が帝に
「ささら波まもなく岸を洗ふめりなぎさ清くは君とまれとか」
の歌を奉り、帝が足を留められたのだそうです。

映画「名探偵コナン から紅の恋歌」












◇2017年5月4日
「名探偵コナン から紅の恋歌」

「名探偵コナン」の映画を観に行きました。
今回は競技かるたの家元(っていうのかな)をめぐって殺人事件が発生。コナンと服部平次が謎を解いていく、というストーリー。
やたら爆発シーンが多い。映画らしいアクションやスケール感も満載。
ただ「迷宮の十字路」の方が京都らしくはあったかな。かるたというと近江神宮のイメージなもので。

作中、百人一首の歌は単なる「暗号」的用途にとどまらず、しばしば歌意が登場人物の心情に重ねられているのが、あとから思い出すと印象に残りました。
「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよはりもぞする」
「めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」
歌と気持の微妙な重なり合い。こういうのは、派手なアクションシーンよりもあとから、じわじわ来ます。
事件そのものが百人一首に関連した話でしたが、今作のヒロイン的存在、大岡紅葉のキャラクターも、かるたの大会に急きょ出場することになる和葉の関わり方も自然。歌に沿って、丁寧に描かれる心情。

GW中だったので子供が多く、周辺の子たちが変わりばんこにトイレに行っては帰り、行っては帰り。なかには連れられて行きながら泣き出す子もいたりして…。
大人にはともかく、子供にはちょっと長かったのかも知れません。

「素敵な日本人 東野圭吾短編集」

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◆2017年5月1日
「素敵な日本人 東野圭吾短編集」(光文社)
東野圭吾

ここ数年、東野圭吾の新刊は毎回読んできましたが、正直この本は微妙です。
短編9編から成っていて、いずれもちゃんと落ちの付いた話になってはいるのですが、著者にはこういうのを期待してるわけじゃないんだけどなあ…。
いっそ以前の「〇笑小説」シリーズみたいに突き抜けた作品だったら嬉しかったのですが。

考えてみれば、東野圭吾というと長編がほとんどで、短編はガリレオや加賀のシリーズを除いて、あんまり読んだ覚えがありません。
とくに社会派っぽい作風に転じてからは、多分書く機会も少なかったんだろうし。
東野作品の特徴はストーリーもさることながら、社会や世相を背景にした人間洞察にあると思うのです。けれどもこの短編集に関しては、アイディア先行で現実味の感じられない、まるで架空の世界の話を読んでいるような気がしました。

写真は、俵屋吉富の柏餅です。
(2017年16冊目)

「燕子花図と夏秋渓流図」

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〇2017年5月3日
特別展「燕子花図と夏秋渓流図」(根津美術館)

根津美術館の庭園では、今カキツバタや藤が見頃です。この時期、目を楽しませてくれます。
今回の特別展では、毎年この時期恒例の「燕子花図屏風」に、今年は「夏秋渓流図屏風」が加わりました。
少し前からこの其一がブレイクの気配ですね。
私も其一は嫌いではありませんが、この「夏秋渓流図」のアバンギャルドなぎらぎら感はちょっと苦手。
そう思って見たところ、「燕子花図」と並ぶとそれほど嫌味を感じませんでした。光琳に私淑していただけあって、調和する部分があるんでしょうね。
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面白かったのは「桜下蹴鞠図屏風」です。
右隻が桜花の下で蹴鞠に興じる貴族や僧侶たち。左隻では、この間に思いっきり羽を伸ばした感じの従者たち。
右隻の人たちの装束の文様が亀甲や菱形、七宝繋ぎ文でお洒落なのです。一番右の人物のは雲鶴文?雲でなく花のようにも見えますが。
空豆のような横顔の人物はいかにも宗達風。宗達工房の作品だそうです。
歌川広重「高尾太夫・吉原通船図」。広重の肉筆画はしばしば見ますが、版画とはまた違う趣です。
右幅に高尾太夫とほととぎす、左幅に吉原に通う川舟。駒形の近くと書いてあります。
意味が分からなかったので後で調べたら「君は今駒形あたりほととぎす」という高尾太夫の句にちなんでいるのですね。こういうのは展示で解説して欲しいです。
春木南溟「三夕図」は、寂蓮、西行、定家の「三夕の和歌」を描いた三幅対。
渡辺省亭「不忍蓮・枯野牧童図」は、右幅に不忍池、左幅に牧童が牛の背に乗り、横笛を吹く図。
湿潤感というんですかね、墨一色で描かれた右幅の背景の山がおぼろです。でも不思議と中国的な感じはしません。池に咲いた蓮の赤が際立ちます。
左幅は清澄な月明かりに浮かび上がる山のシルエット。下の方に淡彩で牧童が描かれています。さりげなく西洋風の遠近法を取り込んでいるようで。

そういえば、どこから入ったのか、展示室の「燕子花図屏風」のガラスに小さい羽虫がとまってて、まるで光琳のカキツバタに吸い寄せられたみたいと思いました。
下の写真は、郵便局で購入した「燕子花図」の切手シート。ばらばらにして使うのが、勿体ないほどです。
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「茶の湯のうつわ」

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〇2017年4月30日
「茶の湯のうつわ -和漢の世界-」(出光美術館)

開館50周年イヤーが終わり、通常の展覧会に戻った出光美術館。
国宝重文クラスも並んでいた前展までとは違いますが、派手さはなくとも出光らしい、気持ちのいいうつわが並んでいます。
ノンコウの「此花」は別格として、見込や胴の部分に刷毛ですっと撫でたような模様の茶碗とか、織部ほどではない微かな歪みの沓茶碗、一点一点作行きの異なる萩や唐津。懐石道具や文房具。
創業者がアマチュアリズムを好んでいたということもあるんでしょうね。並んでいるうつわは名前はなくとも、それぞれに味わい深く感じられる。
朝鮮の井戸茶碗などもありましたが、一体何故これが人々にあんなに愛されたのか考えてみると、人に鑑賞されることを前提に作られてないからじゃないか、と思いました。
曜変天目とまではいかなくとも、大なり小なりうつわは身綺麗さや面白さが意識されている。でも、これらにはそういうものがなく、代わりに実用に徹した意識と自然が生じさせた趣があり、美しいと感じられるのではないか。

私はやきものに詳しいわけではないので、初めて姿や名前を見るようなのも多かったです。
南宋官窯の青磁下蕪花生の天青色にしびれました。この前の東京国立博物館の南宋官窯の花生といい、砧青磁とは違った、むしろ北宋の汝窯に近い感じを受けます。
光悦の赤楽の兎の香合は雅味があって素敵。緑褐釉亀形の香合、銘万歳々々が自分好みの造形でした。
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