千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2018年03月

「ルドンー秘密の花園」

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○2018年3月
「ルドン-秘密の花園」(三菱一号館美術館)

三菱一号館の「ルドン展」に行きました。
印象派と同じ頃に活躍した画家ですが、いつもここの美術館の出口に、大きなルドンの花の絵が飾ってあること以外、ほとんど知識ない状態で見ました。

ルドン展の冒頭、コローからルドンへの印象的な助言が掲げられています。「不確かなものの横には確かなものを置いてごらん」「毎年同じ場所に行って、木を描くといい」
ルドンの絵には多くの場合、木が登場します。揺るぎない存在感。
木が確かなものとすれば、傍らに描かれている花や蝶、人間など「不確かなもの」を補う存在と映っていたのかも知れません。

ルドンに影響を与えたものとして、東洋哲学や世紀末文学が挙げられています。また、キリスト教や神話、民間伝承、そして進化論もルドンの精神に色濃く影を落としているようです。
ダーウィンに影響されたらしいリトグラフ連作「起源」が展示されています。
海での種の発生から人類が生まれるまでを想像力を駆使して描いており、絵自体ははっきり言って気持ち悪い(顔のある植物とか)のですが、 この世の摂理や成り立ちの探究が画家のテーマだったんじゃないかと推察されて、興味深いです。

この探究は当然ながら宗教にも及んでいて、「神秘的な対話」は聖母マリアがヨハネの母エリサベツを訪問する場面と言われているそうです(キリスト教文明において重要な場面ではありますが、私はあまりマリアとエリサベツという感じがしません)。
「ステンドグラス」は光背を背負った老人のように見える人物と有翼の人物が描かれ、その真ん中で蝶や花かと思われる物体が乱舞しています。古代の色彩豊かな生命が、教会のステンドグラスに変化、収斂していくようなイメージを受けました。
下の写真は絵葉書より。左「神秘的な対話」、右「グラン・ブーケ」。
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ルドン自身「私のデッサンは息吹によって動機を与えるだけであり、何かを定義付けるものではない」と語っており、描かれているものが何かということは観る者のイマジネーションに委ねられています。
してみると、私たちは答えを見つけることよりも、神秘的なイメージや、あふれ出しそうな花々の色彩に身を委ねるべきなのでしょうか。
画家の謎は深まっていくばかりでしたが、見終わると、この世の秘密の一端に触れたような、不思議な感覚が残りました。

宝塚花組「ポーの一族」

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●2018年3月24日
宝塚花組公演
ミュージカル・ゴシック「ポーの一族」(東京宝塚劇場)
原作:萩尾望都 出演:明日海りお 仙名彩世 柚香光 瀬戸かずや 鳳月杏 桜咲彩花 華雅りりか 水美舞斗 城妃美怜 華優希

宝塚花組公演「ポーの一族」を観ました。
いや、すごいと聞いてはいたし、ポスターのビジュアルも美しいと思ってたのですが、観てみると想像以上で。
私は原作は未読なのですが、それでも十分過ぎる、魅力的な舞台でした。

とにかく明日海りおも柚香光も、少年にしか見えないのです。髪型とか衣装のマジックもあるのでしょうが、すごいことです。 
明日海りおのエドガーが素敵すぎます。 
心ならずもバンパネラ(吸血鬼のこと)、ポーの一族に引き入れられ、永遠の時を生きることになったエドガー。 美しく妖しいだけでなく、少年の底知れない孤独が伝わってきます。
エドガーとその妹メリーベルに惹かれながらも彼らの正体を知り悩むアラン。柚香アランは少年特有のわがままさと脆さ、両方がでていて、これもとてもよかったです。

二人の心の動きが丁寧に描かれます。この二人の関係が周りを渦のように巻き込み、やがて悲劇に繋がっていく流れが自然でした。
仙名彩世のシーラはほとんど人間には見えず、眠ったようなキャラがかえってリアリティになっています。瀬戸かずやのポーツネル男爵に 一族の陰鬱な気質が表現されていて、この二人とエドガーの関係の微妙さが伝わりました。
鳳月杏のジャン医師、桜咲彩花のジェインら、ほかのキャストも役がぴたりとはまって、緊張感ある舞台になったと思います。

ふだん宝塚を観るとき、明日海りおのトートは美しくていいな、とか、仙名彩世のマリアは上手いな、とか役者の名前が先に来て「役」の感想となるのですが、今回観ている間中、役を演じているはずのどのキャストも、まさに「マンガから抜け出てきたように」役柄そのものとしか考えられなかったです。
私が原作未読なこともあるのでしょうが、あまりに強烈な世界観と、役者が生の気配を消してしまったような、明日海りおや柚香光扮するキャラクターのビジュアルと世界観に則った演技ゆえかも知れません。
そういうわけで、初めから終わりまで、作品の世界に没頭。宝塚の新たな名作の誕生に立ち会えて良かったです。

ミュージカル「Romale」

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●2018年3月25日
ミュージカル「Romale(ロマーレ) ~ロマを生き抜いた女カルメン~」(東京芸術劇場)
出演:花總まり 松下優也 伊礼彼方 KENTARO 太田基裕 福井晶一 団時朗

東京芸術劇場で「Romale」を観ました。
謝珠栄演出・振付、主演・花總まり。以前宝塚宙組で初演した「激情 ホセとカルメン」も同じ組合せでした。それだけあって、後半途中まで筋立てがよく似ています。
花總まりさんは、宙組時代のイメージそのままです。
相手役の松下優也は声がきれいです。初めから冴えない感じに見えてしまうのと、いまいち「堕ちていく感」がなかったのが残念です。

以下、ややネタばれありますので、未見の方ご注意お願いします。
観ながら、なぜいまカルメンなんだろう?と考えさせられました。
私のカルメンのイメージは、ホセを誘惑し、破滅に導く多情の女。しかし、自由を求める誇りを持っている。
このミュージカルではカルメンの劇的な死を描いたあと、さらに彼女の真の姿を掘り下げようとします。福井晶一演じるフランス人学者が、団時朗ふんする謎の老人に、いくつかのカルメンに関する疑問を突き付けるのです。
ここからいくつも始まる再現シーン。これが、カルメンの死により盛り上がったテンションをだだ下がらせました。
意図はわかるのですが、こうするぐらいなら、初めから「カルメンの真実を掘り下げる話」として描いて欲しかった。再現場面は途中途中で挿入すればいいし。そのために福井さんと団さん登場させたんでしょうに。
「エリザベート」方式で先に問題提起して、クライマックスでカルメンの真実を示す、というふうにしたほうが、面白く観られる作品になったのではないかと思いました。

「ラ・カージュ・オ・フォール」(2018年3回目)

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●2018年3月20日
「ラ・カージュ・オ・フォール」2018年3回目(日生劇場)

日生で今季3度目の「ラカージュ」を観ました。
連投のお疲れもあるのか、少々怪しいところもありました(笑)が、それが全然気にならないのがこの舞台です。
何といっても夫婦役・鹿賀丈史さんと市村正親さんのツーカー加減が好ましいです。
市村さんの芝居を見ていると、どんどんアルバンが好きになります。そして男性らしさ、女性らしさって何だろう?と考えてしまいます。

この日は日生で一番好きなGC前方席でした。ここからだとカジェルたちのカンカンもよく見えます。
この舞台、カンカンの時には出演者たちが舞台袖に集まって、皆で応援しつつカジェルたちのパフォーマンスを見ることが恒例になっていると聞きました。
カジェルたちのこのパフォーマンスと市村ザザの客席降りあたりの一連が引き金になり、劇場が一つになるのを感じます。
いわゆる、場があたたまるというやつですね! 
後半ダンドン一家が到着すると、セリフやしぐさ(たたいたり、どついたりも。笑)で笑わせる場面が多くなりますが、見てるこちらの笑いの導火線も、思いっきり短くなってるのに気付きます。

この席からはオケピの中もよく見えるので、たびたび目に入りました。指揮者の塩田さんがジャンプしながら指揮棒振るのも、どことなく和やかな中の様子も。
席によっても違う楽しみ方ができるのでお得です。

「雲上雲下」

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◆2018年3月4日
「雲上雲下」(徳間書店)
朝井まかて

森の奥の名もなき木、草どんが子狐と山姥に語る物語。
「団子地蔵」「粒や」「亀の身上がり」「猫寺」「小太郎(竜の子太郎)」

あ、これ知ってる、とか、昔どこかで読んだことがあるような、とか思いながら読み進めます。
ただの民話の焼き直しかと思いきや、草どんと小太郎の邂逅を手始めに、お話の中の現実と物語が交錯し始めます。
語る草どんとは一体、誰?

そして、唐突に始まる雲上世界の話。神々に物語の語り部を命じられた者が世界の変質に気付いた時には…。
ああ、そうか。このお話は失われつつある物語を取り戻すためのものなのだ、と気付きます。

万事に効率重視の世の中。世界が明るみのもとにさらけ出され、物語や昔話、神話というものの存在できる領域が少しずつ狭くなっていることに対する嘆きが語られてるのだなあと。
小説もおそらく、そちら側に属するもの。
私たちは私たち自身で、この世界を住みにくくしているのかも知れない、と読んでいて思いました。
(2018年冊目)☆

「熊谷守一展」

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⚪︎2018年3月17日
「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」(国立近代美術館)

終了間近の熊谷守一展に行きました。
正直この画家について「猫の画家」ぐらいの知識しかなかったのですが、複数の行った人から、これは面白いよと言われて。
口コミってやつですね(笑)。
夜間開館だったにも関わらず、けっこう混んでいました。

この人の絵の変遷を見ていると、好き嫌い、好みを超えて、絵は画家そのものを表しているのだ、と感じます。
最初はいかにもな西洋画ふう。黒田清輝や藤島武二らに師事していたというのが分かります。しかし画面がどれも暗いです。
画面を縦にしたり横にしたりしたときの効果を追究する一方、光の表現に関心を持った守一は、逆光による輪郭線を描き入れ始めます。
輪郭線はやがて赤い色になり、守一の絵の特徴になっていきます。
画風は「日本の洋画」からフォービスム的になり、やがてナビ派的な感覚、キュビスム一歩手前の抽象性などが現れてくるのが興味深いです。
の変遷を見ていると、面と線の色彩と、対象のかたちを組合せて、さながら「線と色の実験室」のようだと思えてきました。

「雨滴」や「日輪」といった絵、風景を描いた絵。
これはふだん私たちが見る雨粒や太陽、風景の姿のように複雑ではありません。しかし極度に単純化された線と色、かたちの組合せは、なにがしか、本質に迫っている気がしてきます。
「猫」もそう。栖鳳の猫の毛のような質感もなく、輪郭線と、いくつかの色を塗り分けただけなのに、やはり猫そのものを掴んでいるような。

守一は、感覚だけによらない、実験による科学的探求によって線や色彩、そして絵とは何かを究めようとしたのではないでしょうか。彼の絵に茶色や深緑、白が多用されているのは、赤い輪郭線との相性のよさを追求した結果かと思われます。
理系的な手法。その絵は、熊谷守一という画家の特異なキャラクターを表現しているようです。
彼の絵は、物事のいろんな装飾を削ぎ落としていくと残るのは驚くほど単純な本質である、と示唆しているようで、絵とは、世界とは何かということを考えさせられます。

「ラ・カージュ・オ・フォール」(2018年2回目)

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●2018年3月14日
「ラ・カージュ・オ・フォール」2018年2回目(日生劇場)
出演:鹿賀丈史 市村正親 木村達成 愛原実花 真島茂樹 新納慎也 香寿たつき 今井清隆 森公美子

美輪明宏さんの「人生の大根役者」という歌が好きです。
お世辞を言わず頭を下げない、嘘もつけない。正直だけれど人生の立ち回りが下手、というような歌詞で、美輪さんのこれまでの人生が凝縮されているような気がして涙してしまいます。
ラカージュの一幕終わりのアルバン役・市村正親さんの歌を聴いていると、歌う姿が美輪さんにダブってきます

マイノリティゆえの苦労はあったはずなのに、それを表に出さず、20年間ただひたすら家族を愛し生きてきたアルバン。
しかし息子ジャン・ミッシェルは彼を邪魔者扱いし、夫ジョルジュまでが息子に同調して、婚約者一家の来訪にあたり二人して彼を家から追い出そうとします。
この出来事に対し、沈痛な面持ちのアルバンが周りのダンサーたちをすべて去らせ、たった一人舞台上で歌う歌が「ありのままの私」
悲しみや怒りだけでなく、開き直りとも残酷な人生への抵抗とも聞くことができます。
「ありのままの私の姿を見て」と歌う市村さんはすごくて、ただただ圧倒されました。

この日の公演はいつも以上に熱くて、舞台上と客席が一体となって、すごく研ぎ澄まされた空間になっていました。
舞台は時々こういう不思議な雰囲気になりますね。たぶん、場のすべてが、相乗効果的に特別の空気を生み出すことがあるんだと思います。
その直前の市村さんの演技と、カジェルたちの体を張ったパフォーマンスが導火線に火をつけたのかも。
じわじわと盛り上がった雰囲気が最高潮になったのが、シェ・ジャクリーヌで皆が歌う「今この時」でした。
同じ時、同じ場所でこうして生きている喜び、この奇跡のような瞬間瞬間を大事にしよう、という歌。
最初はめいめい勝手な方向を向いていたアルバンたちとダンドン一家。世の中にはいろんな価値観があって、思い通りにならないこともたくさんある。
そんな彼らと、店の客たちまでがたとえ一時的にではあっても、かけがえのない時間を、心を一つにして共に歌い笑っているというのが、舞台を観ている自分たちの毎日に重ねられて、涙がこぼれそうになりました。

「ラ・カージュ・オ・フォール」(2018年1回目)

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●2018年3月9日
ミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち」(日生劇場)
出演:鹿賀丈史 市村正親 木村達成 愛原実花 真島茂樹 新納慎也 香寿たつき 今井清隆 森公美子

何年ぶりかの「ラ・カージュ・オ・フォール」公演。初日を観に行きました。
前回も前々回も確かラストと銘打ってましたよね(笑)、今回は「ヴィンテージ公演」とか言ってるのが可笑しい。
でも、今回で終わり、と思っても、何年か経つとまた公演やろう、となる気持ちもわかる。だってこんなハッピーミュージカルだもの。観てる方はもちろん、多分演じてる役者さんもスタッフも嬉しいんじゃないかと思う。体力的にはキツイ演目だとは思うけれど。
私達はいつもこの演目を愛し続けるので、時々でいいから、ずっと続けて下さい。

お話はゲイのカップル、ゲイクラブの経営者ジョルジュと、看板女優アルバンを中心とした話。二人を鹿賀さんと市村さんが演じています。
それに年を経てさらに増してきた鹿賀さんのいい加減な感じが、まさにジョルジュで、本当に楽しんで演じているのが分かります。
そしてその鹿賀さんの芝居を受ける市村さんが嬉しそう。二人の息がぴったりで、それが伝わってくるのがいいんですよね。
そんなジョルジュとアルバンのもとに息子のジャンミッシェルが持ってきた難問。ジャンミッシェルが交際相手のアンヌとその両親を家に連れてくる!しかも父親のダンドン議員はゲイの撲滅を公言している政治家。
どうする、ジョルジュ!!そしてアルバン!!
様々の人間模様が描かれるのでした。

この舞台の見どころの一つは、カジェルさんたち、ゲイダンサーたちのパフォーマンスです。
のっけからしずしずと出てくる彼ら。シャンタルやフェードラの出番では客席笑い。
新納慎也さんがはつらつと演じてて楽しい。
一幕後半のカジェルさんたちの身体を張ったダンスは凄いのひと言。途中から運動会のような曲になるんですよね。休みないカンカンの連打!!バク転やラインダンス!!息つくヒマもありません。観ている方も大興奮です。
終わったときにはしばらく拍手が鳴りやみませんでした。

両家顔合わせに出ないでくれと頼まれたときのアルバンの孤独感は想像を絶するものがあります。一幕ラストの市村さんの絶唱が胸を打ちました。
ジョルジュには、本当はジャンミッシェルのわがままを叱るなり諫めるなりして欲しいところですが、それができないところもジョルジュなのだなあと。
結局みんなでアルバンの優しさに甘える感じになってしまう。そしてそれを受け止めてきたアルバン。
鹿賀さんと市村さんの芝居には、ジョルジュとアルバンの愛情だけでなくて、これまでの人生の軌跡までが垣間見えて、やはり名優だなあと思うのです。
二幕のダンドン一家の訪問からは一気呵成。
私の大好きなお皿の歌があったり、ジャクリーヌの店で和やかな雰囲気ができて、何とかうまくいきそうだったのですが…。
ダンドン役の今井さん、夫人役の森公美子さん、ジャクリーヌ役の香寿たつきさん、それぞれにぴったり。とくに今井さんは前回の時より役に入り込んで見えました。愛原実花のダルマ姿が可愛かったです。

終演後、何度もカーテンコールがありました。
初日だけあって客席も熱いです。
まだ始まったばかりの公演、スタッフ、キャストの皆さんお体に気を付けて頑張って欲しいです。次回観るときも楽しみです。

「木島櫻谷 Part1近代動物画の冒険」

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◯2018年3月
生誕140年記念特別展 
「木島櫻谷 Part1 近代動物画の冒険」(泉屋博古館分館)

東京では4年ぶりの木島櫻谷展です。
京都で櫻谷展をやっている時に、さかんにテレビで紹介されたので、もっと混むかと思いましたが、私が行った時はそうでもなかったです。
例の、漱石が「写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評した「寒月」が出ています。

漱石が言うのも分からないわけではなくて、確かに竹藪の中はいくら月が出ているとはいえ昼間のように白々と明るいし、竹や狐の影もなくて現実感がありません。
西洋画の遠近法や陰影法からすると違和感を感じます。英国帰りの漱石の目から見ると我慢ならなかったのでしょう。
かといって、そこまで悪口言うこともないのではないかと思いますが。

今回この絵の前に立って感じたのは、櫻谷は別の方法で遠近感を出したかったのではないかということ。
屏風を立てた時、内向きと外向きの扇ができますが、それを利用して奥行きを出しているように感じます。光の当て方によっては、雪の上に影も差したかも知れません。
等伯の松林図屏風でも同じようなことを思いますが、「寒月」ではより顕著に、意識的に、そういう実験がなされているように感じます。

漱石が「狐だかなんだか動物が一匹」と評したのは紛れもなく狐で(笑)、雪の中をとぼとぼと、こちらに向かって歩いてきているように見えます。
もともと狐らしき足跡を見つけたことから櫻谷はこの絵を構想したようですが、寂しげな風情です。
櫻谷の動物画は、どれも私には必要以上の思い入れというか人間の思いの投影が感じられて、そこが気になる点でもあります。動物に人間味があり過ぎるように思うのです。
この狐も、寒い冬の夜に、凍えそうになりながら家族の待つねぐらに帰る狐、ということまで考えさせて、情緒的過ぎる気がします。
ただ、逆に言えばそこには確かに「物語」が感じられるのですよね。そして作者の暖かい眼差しも。
櫻谷の絵が嫌いになれないのは、そういう優しさが感じられるからかも知れません。

最近屋根裏かどこかから発見された「かりくら」。馬に乗る狩人を描いた大作です。
馬の迫力に比べ狩人たちの印象が薄いです。そして、やはり馬たちは優し過ぎるふうで、狩人との間の緊張感は感じられません。
この絵、見つかった時は無雑作に巻かれた状態だったそうです。剥落、虫食いなどでぼろぼろの状態をテレビで見ました。今回修復されています。
以前、美術品の修理を手掛ける岡墨光堂さんのお話で、現代は描き足すことをしない、基調色のみの補彩を行う修復が主流と聞きましたが、近くで見ても修復痕はわからず、素人目には状態の悪さが感じられませんでした。
こういう技術、本当にすごいと思います。

「至上の印象派展  ビュールレ・コレクション」

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◯2018年3月
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(国立新美術館)

「ビュールレ・コレクション展」に行きました。ドイツ生まれの実業家ビュールレのコレクションを集めた展覧会。
ここだけで19世紀中盤以降のフランス印象派を中心とした美術史を見られるようになっています。(当てはまらないアングルやカナレットも「肖像画」「都市」などのコーナーを設けて紹介しているところに苦心がうかがえます)
総花的ではありますが、質の高いコレクションです。

その中でも今展の目玉が「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」。
ルノワールの肖像画の中でももっとも有名な作品の一つなのではないでしょうか。
美しさと可憐さ。ルノワールらしい柔らかな筆致。銀行家の娘イレーヌの8歳の時の肖像画で、この絵を見ていると幸福感という言葉が浮かびます。
戦時中、この絵はイレーヌの美しい少女時代を封じ込めたままナチスに没収され、終戦後ようやく本人のもとに戻ってきます。
ビュールレの年譜を眺めていて、この絵を本人から購入、とあったのを見て、どこかほっとしました。イレーヌの生前、絵はモデル本人の手によって売却され、このコレクションに収まっています。
売却に至った事情は分かりませんが、少なくともイレーヌ本人になんらかの納得感があったのであれば、良かったのかも知れないと。

ピサロやシスレー、モネの風景画、セザンヌの庭師、ゴッホの花。世界的に有名な絵が多いわけではないけれど、いかにも品のいい、素敵な絵が多くて堪能しました。

「アラジン」

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2018年2月27日
「アラジン」(電通四季劇場海)
出演:瀧山久志 島村幸大 三平果歩 勅使瓦武志 町田兼一 萩原隆匡 嶋野達也 白瀬英典 志村要

四季劇場海で「アラジン」を観ました。
今回のジャスミン役は三平果歩さん。最近活躍中の彼女ですが、ジャスミン役は彼女のキャラクターにぴったり。
微妙な表情のニュアンスなどで課題はありそうですが、ディズニー映画から抜け出してきたようで、ヒロイン的華やかさを持っているので今後も楽しみです。
市場に出かける前、相馬杏奈さんらの侍女たちと語らいながら歌う「壁の向こうへ」が表現力たっぷりで素晴らしかったです。

瀧山ジーニー、島村アラジンはさすがの安定感。瀧山さんはもうジーニーとしか思えない。開幕前は人間にジーニーが務まるのか?と思っていましたが 、杞憂でした。
しばらくぶりに見た町田イアーゴ。「ヘンな意味じゃないヨ」の顔がすごく面白くて、場内爆笑でした。
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