千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2018年05月

「東十条の女」

◆2018年5月26日
「東十条の女」(幻戯書房)
小谷野敦

最初の短編二つが面白かったです。
「潤一郎の片思い」。ひそかに漱石に憧れていた谷崎が、ついつい「門」を批判したりしているうち、漱石が帰らぬ人になってしまった、という話。
「夏目先生に認められる」のが、谷崎の目標の一つだったのに!
一高ですれ違っても声を掛けられず、自信作の「刺青」についても何もコメントしてもらえず、文壇の集まりで行き合うこともなく。
何か反応してくれるんじゃないかと期待して「門を評す」を書いちゃったりして、素直になれない谷崎の気持ちが伝わってきます。
「細雨」。図書館勤めの若い女性が仕事を通じて感じる雑感あれこれ。中の人の側に立ってみれば、ああなるほどということばかり。
例えば、雨の日に少し濡れてしまった本が返ってきたら?とか。
そして図書館も、未知の体験、人との出会いの場所には違いなく、物語の生まれる場所でもあったのでした。
(2018年11冊目)

「アトミック・ボックス」

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◆2018年5月22日
「アトミック・ボックス」(毎日新聞社)
池澤夏樹

あの東日本大震災の後、瀬戸内の美しい島から物語は始まります。
漁師だったはずの父が、死の直前に美汐に言い残したのは「若い頃に大きな罪を犯した」というもの。
父が、秘密裡に進められていた国産原爆の開発に携わっていたことが明らかになる。そして、顔馴染みだった町の郵便局員が公安を名乗って美汐を訪ねてくる。

著者の「キトラ・ボックス」が良かったので、その出発点に当たる本作を読みました。おおよその内容はわかっていたはずなのに、それでもとても面白い。
まず主人公・美汐の造形。
はっきり言って、死の間際にこんな遺言だか使命だか託されても迷惑だと思うんですよね。
美汐はありもしない容疑で指名手配され、国家権力から逃げ回る。
そして我慢強く、的確に、知力と体力を尽くして父の遺言に応えようとする。いや遺言だからということだけではなくて、人としての良心に従って行動しようとしているように見える。
彼女を支えるのは、強い強い意志の力。そして窮地にいる友人を助けてくれる人たち。
父の馴染みの新聞記者、美汐の友人、瀬戸内の島々のお年寄りたちが、善悪の判断を超えて彼女に手を差し伸べる。普通はありえないことだと思うんだけど全然不自然に感じないのは美汐のしっかりとした生き方がその人たちに受け入れられていることが、行間から伝わってくるからだと思います。

作中で美汐自身も思っていることだけれど、歴史上センセーショナルな出来事ではあるものの、一体なぜ30年も前の事案が一人の女を広域に指名手配し、公安までが動くほどの大事件となるのか。しかも郵便局員に身をやつした公安は代替わりしながら30年も美汐の一家を監視していたという。その理由は終盤明らかになってきます。
震災による原発事故がきっかけで書かれた「震災文学」。今なお現在進行形である核の問題について考えさせられる作品と思います。
(2018年10冊目)☆☆☆☆

「名探偵コナン ゼロの執行人」

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◇2018年5月21日
映画「名探偵コナン ゼロの執行人」

「劇場版 名探偵コナン ゼロの執行人」を観ました。
コナンの映画、割と毎年観ているのですが、今回はこれまでの中でも一、二を争う面白さでした。
東京湾に作られたサミット会場の爆破に端を発する、警察と検察を巻き込んだ謀略事件。後半は大型無人探査機「はくちょう」の帰還と絡めた物語が展開します。
ちょうど、主人公が公安警察に追われる立場になる、池澤夏樹「アトミック・ボックス」を読んでいたこともあって、とても興味深かったです。
前半は、公安警察と公安検察の違いなど、説明はあるものの難しかったです。まるで「相棒」ですね。子供の観客には理解できると思えないんですが。笑。
キャラクターでは、今回、警察庁の秘密組織ゼロの安室透がフィーチャリングされてて、大活躍でした。今更ですが、アムロ役の古谷徹さんが声優やってらっしゃいます。
後半は、レインボーブリッジやゆりかもめも登場の派手なカーチェイス。ビルから車ごと飛び出したり。この辺になると、一体何がどうなってるのやら、毎度ついていけない自分がいます。
水曜日に行ったので、夜でしたが座席は8割方埋まってて、人気をうかがわせました。

映画「君の名前で僕を呼んで」

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◆2018年5月19日
映画「君の名前で僕を呼んで」

映画「君の名前で僕を呼んで」を観ました。
北イタリアの避暑地。17歳のエリオのもとにやってきた年上の大学院生オリヴァー。
二人の間に恋心がめばえ…というお話。

美しい風景と音楽。避暑地の生活に心惹かれる。
一見伏線でもなんでもなさそうな日常の出来事が幾重にも積み重ねられていく。
この映画に描かれる恋愛模様を見ていると。何も特別な感じはしなくて、なんか普通のラブストーリーを見ているみたいな気がしてきます。

不思議なのはエリオの両親が二人の恋を黙認しているどころか、暗にプッシュしてるようにさえ見えること。
この謎は、終盤の父親の長ゼリフにより納得します。「恋愛の痛みも喜びも忘れるな」みたいな。そういう考えの両親なんですね。
うまく言えないけれど、どことなく好ましい映画。題名にもなっている「君の名前で僕を呼んで。僕の名前で君を呼ぶ」という言葉も、とてもキャッチーで素敵です。

「宋磁の美」

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○2018年5月
「宋磁の美」(出光美術館)

出光美術館で宋磁の展覧会を開催中です。
ひとくちに宋磁といっても、窯によっても時代によっても多岐に渡っていて、見た目も違います。
詳しい人にとっては、さらに面白いのだと思いますが、残念ながら私に知識はないので、これ綺麗とか、素敵とかしか言えないのが残念です。

それでも、南宋官窯の発色と貫入の美しさや、秘色と呼ばれる不思議な温泉玉子のような色合いには目が吸い寄せられました。
秘色は、越州から来た青磁。源氏物語の末摘花巻に「御台、秘色やうの唐土のものなれど、人わろきに、何のくさはひもなくあはれげなる」とあります。
宋の時代は青磁や白磁のイメージ、この後に来る元や明には青花や五彩のイメージが強くあります。私は青磁の、高貴で整った美により惹かれます。
日本の室町期はこういう唐物文化が最も尊ばれ、影響を受けた時代。のちに茶の湯などによって日本的アレンジが進んでいきますが、その根底にはやはり室町的美的感覚があって、それが現在も日本人の感性に受け継がれているのではないかと感じます。

「月の輪草子」

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◆2018年5月13日
「月の輪草子」(講談社文庫)
瀬戸内寂聴

清少納言が、かつての宮中での日々を回顧する体裁を採っています。
となると、「枕草子」に書かれたこと、中でも清少納言から見た定子中宮(皇后というべきかも知れないけれど、中宮という方がしっくりくる)の素晴らしさと、中関白家の栄華と転落が描かれるパターンを、本書も踏襲しています。

この題材としては田辺聖子さんの「むかし・あけぼの」が思い浮かびます。読んで10年以上過ぎた今でも、読んだ時の感動を時々思い出すほど素敵な本でした。
本書が「むかし・あけぼの」と違うのは、清少納言の「老い」が強烈に表現されている点だと思います。
山中に庵を結んで、自分の齢も思い出せず、生と死の境目もはっきりしないまま長らえている清少納言のいま。彼女にできることは昔日を回想し、記憶の中の中宮を礼讃することだけ。
時に同じ記事が複数回出てきて、「あれ、これさっきも読まなかった?」と思うのですが、老人の記憶が一貫性がなかったり、とりとめなく思い浮かぶままを語っている、というのが伝わってきて、この手法は小説として斬新かも、と思いました。
おそらく著者が、年齢を重ねて「老い」とは何かを客観的に見つめたうえで、自身を清少納言に重ねて書いていることが察せられて、これがために、清少納言の輝ける若き日との対比が際立ったと思います。

それにしても、中関白家の没落と、その後の定子中宮の不運について読むのはいつも悲しいです。
もう一つ、本書では花山院出家にまつわるてん末に多く筆を割いています。この歴史上の事件を作中に取り入れることで、帝ですらも容易く政争の犠牲になってしまう、有為転変の世の中であることが一層感じられて、人の一生の無常が胸に迫るのではないでしょうか。
(2018年10冊目)☆☆

「雪の階」

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◆2018年5月5日
「雪の階」(中央公論新社)
奥泉光

昭和10年秋。女子学習院高等科に通う笹宮惟佐子は、親友・宇田川寿子と陸軍士官が起こした心中事件に疑問を持ち、調べ始めます
富士樹海で発見された寿子が、なぜ仙台消印の葉書を惟佐子に出し得たのか?
そもそも心中するほどの関係が二人にあったのか?
不穏な時代を背景に、謎に迫っていく惟佐子が描かれます。

まさに極上という言葉がぴったりくるミステリーでした。
二・二六事件前夜という時代設定と世相描写。しばしば顔を出すオカルト的な味付けも、堂上華族の生活に代表される因習社会とこの時代特有の狂躁に合っていて、いかにも相応しい感じがします。
三島由紀夫を思わせる、暗喩と逆説に満ちた文章にしびれます!
時刻表ミステリー要素や、女性カメラマン千代子と記者・蔵原の探偵行なども含め、読みどころ満載なのですが、中でも特筆すべきは主人公・惟佐子の一風変わったキャラクターでしょう。

「眉目秀麗というのではない、のっぺりしていながら何とも云えぬ陰花の色香を放つ顔立ちの女」と書かれる惟佐子。誰もが強烈に惹きつけられるばかりか、相対すると、貴族末裔の父親ですら「気圧されてしまう」ほどの存在感。
とりわけ食虫植物を観察する場面は、作中にも引かれる「虫愛づる姫君」そのもので、理想化されたヒロインとまるで真逆の奇矯さを持つ主人公が、この本の最大の魅力になっていることは間違いないでしょう。
彼女の本分は並外れて冷静、頭脳明晰な「観察者」であることですが、事件が自らの特殊な出自にまで及んでくるや、訝りながらもその意味するところについて実証的に理解しようとする過程が面白かったです。
小説としては、積み重ねられてきたロジックが途中、不思議話に飛躍していくのが、普通なら欠点となるべきところ、この本に限ってはかえって味わいや奥行きになっていて、つくづく小説は論理だけではないのだなあと思わされました。
読み終えるのが、もったいないような本でした。
(2018年9冊目)☆☆☆☆

特別展「光琳と乾山・響き合う美意識」

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○2018年4月
特別展「光琳と乾山・響き合う美意識」(根津美術館)

「響き合う美意識」という主題で、光琳・乾山の絵画と、兄弟の合作を含めた乾山焼を展示しています。
この時期恒例、国宝「燕子花図屏風」が展示されています。庭園のカキツバタとともに、この時期の楽しみです。

光琳「燕子花図屏風」「秋草図屏風」「太公望図屏風」、乾山「八橋図」「色絵竜田川文向付」などおなじみの作品がずらり並びました。
「燕子花図屏風」などは別として、例になく外部の所蔵者からの借用作品が多いようで、力の入れようが窺えました。

一番印象的だったのは、多くある光琳・乾山合作の焼きものの中で「銹絵寒山拾得図角皿」一対です。光琳が、自らを詩ばっかり作っていた寒山に、弟を寒山に食べ物を与えていた拾得になぞらえて描いています。
乾山自身に自分を拾得に擬している絵がありますが、光琳がこの絵を描いたとなると、自由奔放な兄と真面目な弟という共通認識が二人にあったということでしょうか。
あるいは乾山焼において、内幕的に寒山拾得の題材を借りて光琳乾山兄弟が登場することを、面白がるような状態が顧客層の間であり、意識的にそれに応えたものなのかも。

もう一つ、今展では乾山焼の「銹絵蘭図角皿」の絵付けと賛の作者を、京都の絵師・渡辺始興と断定しているのが興味深いです。渡部始興は光琳の弟子といわれ、狩野派琳派などの画風を使い分け、応挙にも影響を与えたとされる人物。
「銹絵蘭図角皿」の裏に「使絵師渡辺素信書者也」とあり、乾山焼の絵付けに従事していたとされる渡辺素信の筆跡と、始興作品の書体とが類似していることなどが「素信=始興」同一人物説の根拠となっています(野口剛「光琳・乾山ともう一人の芸術家」)。
この蘭の絵だけとってみれば素人目にも、ちゃんとした絵師が水墨ふうに筆をふるったという感じなので、印象としても腑に落ちます。
となると、乾山焼の絵付けを注意してみれば、他にも渡辺始興やその他第三者が担当したものがあるのかも知れません。
サインがある光琳絵付け作品は別にして、乾山焼の絵付けには妙に熟達した漢画や大和絵ふうの絵があったかと思うと、乾山の絵に近い洒脱でへたうまとも言えそうな(失礼!)文人画ふうの絵が入り交じります。また、一幅の絵としてそのまま成立しそうなものと、乾山の工芸によく見られる意匠的、デザイン的な絵も混在します。
これから、乾山焼の絵付けを見るときの楽しみが増えましたし、渡辺始興その人についても興味が湧きました。
時々美術展で始興の絵を見ることがありますが、どんな人なのかは靄に包まれたような感じ。澤田瞳子さんあたりに、始興を題材にした小説を書いて欲しいです。

「ウィステリアと三人の女たち」

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◇2018年4月27日
「ウィステリアと三人の女たち」(新潮社)
川上未映子

何かの出来事を通して世界ががらっと変わってしまう。そういう瞬間を掬い上げています。

同窓会に出席した女性がふとしたことから同級生との忘れていた過去を思い出すという最初の短編。
人には言えない過去の禁忌。そして時を隔てた今、過去と現在にどのような関連があるのか、当然ながら主人公にその答えは出ません。
そして読者にも!
理屈ではないので、もやもやします。

しかし人間の心の動きこそ、まったくもって理屈ではないことを考えてみれば、これこそがリアルといえるのかも。
面白いかどうかと言われると、私的には微妙なところではありましたが、妙な納得感はありました。
(2018年8冊目)

「1789 バスティーユの恋人たち」(2018年3回目)

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●2018年5月9日
「1789 バスティーユの恋人たち」2018年3回目(帝国劇場)
出演:加藤和樹 神田沙也加 龍真咲 三浦涼介 上原理生 渡辺大輔 ソニン 吉野圭吾 坂元健児 広瀬友祐 岡幸二郎 

千秋楽間近の「1789」を観ました。
この日の役替わりキャストは、加藤ロナン、沙也加オランプ、龍真咲のアントワネットです。
加藤ロナンは、演技や歌が丁寧です。さらに、「学のない」粗野な人間だった彼が、仲間たちに交じって「哲学」を考えることで、人間的に成長していくところも表現しています。
彼の行動や表情に、次第に知の光が宿るように思えるのですね。
また加藤ロナンは、農村から出てきた普通の農民が、革命に参加したという感じがすごくあって、インテリ層とこういう一般市民が手を取り合ったことで、初めて革命が成立したのだというのが、よく伝わります。
小池ロナンが終始一貫「変わらない」真ん中の魅力、主役らしさを表現しているなら、加藤ロナンは、名もない市民が「変わりゆく」過程を表現しているように思えます
これは、二人がそれぞれ持っているキャラクターの違いだと思いますが、タイプの違う主役二人で公演を観られるのは嬉しいことです。

今回下手、前方の席だったので、とても迫力がありました。
のっけから岡幸二郎さん、素敵です!
岡ペイロールの場面、なんて残酷で非道い人なんだ、と思いながら、カッコいい~、いい声~と思ってしまう自己矛盾(笑)。
父親を殺されたロナンは直情気味にパリに走っていき、残されるソレーヌ。考えてみればひどい話だけれど、小池ロナンだと違和感ないのに、加藤ロナンだと、ぽくないなと思うのは、これも二人のキャラの違いでしょうね。
何しろ千秋楽が近いので、役者さんたちの演技が3割増しぐらいで「濃く」なっていることを感じました。
坂元健児演じるラマールが、バスティーユの廊下で骸骨を発見する、客席いじりの場面。「とあるミュージカルを観に行き、虫の格好で出てきて『お待たせ』と言うのを『待ってないし』と思ったが、少し可愛いと思ってしまった骸骨らしいな」みたいなこと。どんどん長くなってしまってますね。
ラマールたちの出演シーンでは、私はムニュプレジールの人形劇、人形振りの場面が好きなのですが、ここでの三浦涼介が余りに人形らしくて驚きました。

私が一番好きな、2幕のフェルゼンが王宮のアントワネットに会いに来る場面。
王妃の決意を聞いたフェルゼンがふるふるするのは、いつも私の感動ポイントですが、この日の公演では、ここでの国王役・増澤ノゾムさんがとてもよかったです。
この場面に至るまでにも、アルトワ伯とネッケルの諫言の間で動揺する気持ちを、国王らしい表情に出さない演技で表現していたのですが、ここではついに感極まったように涙ぐむ陛下が気の毒なのと、ついに王妃と分かり合えて良かったねえという気持ちで、こちらまで貰い泣きしました。
この後の、龍真咲演じる王妃がオランプに言う「愛すべき人を選ばなくてはいけない」というセリフが、やや早口だったけれどとても良くて、この辺もう鼻がぐすぐすでした。
前回公演では花總まりさんがアントワネットを演じていて、もちろん最高に素晴らしかったのですが、物語全体がアントワネットの話になってしまうようなところがありました。これに対し、龍真咲のアントワネットはオランプの背中をそっと押す、導き手という役柄がしっくりきていて、宝塚版に近い感じがしました。
ついでながら、前回公演の飯野めぐみさんのポリニャック夫人は公演後半になるに従い、花總アントワネットの威に打たれたような複雑な演技になっていって、あれがもう一遍観たいなあ、と思っていたことでしたが、今公演の凰稀、龍のアントワネットには、ビジネスライクな(笑)渚あきさんのほうが合ってたかもなあと思いました。

人権宣言の後、敵味方が一列に並んで歌う場面、上から降りてくる加藤ロナンの穏やかな歌声が、幾多の血が流された革命の空気を浄化するようで、心に残りました。
今回も素晴らしい公演を見せていただいてありがとうございました。心の栄養になりました。

「1789 バスティーユの恋人たち」(2018年2回目)

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●2018年4月23日
「1789 バスティーユの恋人たち」(帝国劇場)
小池徹平 神田沙也加 龍真咲 三浦涼介 上原理生 渡辺大輔 ソニン 吉野圭吾 坂元健児 広瀬友祐 岡幸二郎

今年2度目の「1789」です。
改めて、今年の公演は観やすくなってると感じました。どこがどう変わったか、よくわからないんですけどね。
場面の独立性が薄れてストーリーの連続性が増し、テンポがよくなったというか。もしかしたら、場面のつなぎセリフが効果的に変えられたり足されたりしてるんでしょうか。

この日のキャストは、小池ロナン、沙也加オランプ、龍真咲アントワネットでした。
初見の龍真咲アントワネット。私にとってはどこまでも男役のイメージしかなかったので、あの独特のセリフ回し、まさお節が聞けたりして~(笑)などとひそかに思っていたのですが。
それが、素晴らしかったのです!
芝居にも歌にも王妃の気品が出ていて。彼女の明朗なキャラクターが、堂々とした王妃感につながっています。
オランプに「どちらを選ぶか決めなくてはいけない」というところ、王妃の存在感を出しつつ、一人の人間の導き手にもなる重要なセリフが素晴らしかったです。
彼女は宝塚版のオリジナルキャストだけあって、作品の中でのアントワネットとしての立ち位置が程よくて、このため物語全体が宝塚版に近い感じに見えました。
この日のオランプ役は神田沙也加だったので、王妃の浮世離れした感じと沙也加の考え深い感じが、いい取り合わせだったと思います。
小池ロナンは常のごとく主役感抜群なので、ロナンとオランプの話というのが際立ちました。
いろんなキャストの組合せで、異なるニュアンスが生まれてくるところは、複数キャスト公演の面白さだと思います。
岡幸二郎さんや坂元健児、吉野圭吾、革命側の若手俳優たち、脇にも達者な役者が揃って、見応えある公演になっていると思います。

宝塚月組「カンパニー」「BADDY」

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●2018年4月28日
宝塚月組公演(貸切)
ミュージカルプレイ「カンパニー -努力、情熱、そして仲間たち-」
ショー・テント・タカラヅカ「BADDYー悪党は月からやって来る-」(東京宝塚劇場)
出演:珠城りょう 愛希れいか 美弥るりか 宇月颯 早乙女わかば 輝月ゆうま 月城かなと 海乃美月 暁千星 

宝塚月組公演を観ました。
今公演は何といってもショーが話題ですが、「カンパニー」のほうも結構笑いを取ってたし、全然嫌な感じはしなかったので、私的にはOKです。
ちょっと現実的過ぎる感じはしますが。
大企業から支援下にあるバレエ団に出向を命じられるサラリーマン青柳。このバレエ団は「新解釈版 白鳥の湖」上演を計画しており、主役で世界的プリンシパルの高野や、コンビニでバイトしながら頑張る美波らと出会い、成長していく青柳を描いています。
高野役の美弥るりかがいいですね。大人な感じがしてクール、とてもカッコいい!
ストーリーは、金がなくては芸術も成立しないという当たり前だけど世知辛い話になり、営業的話題つくりのためアイドルバンドのメンバーを王子様役で出演させるということに。
自分がバレエのファンだったらこれは嫌だな。でもよくある流れではありますよね。
青柳役の珠城りょうは真面目一本でこの役にぴったり。その誠実さに惹かれる愛希れいか演じる美波も普通っぽさが素敵です。急に漱石とか持ち出したりして初々しい二人の会話が〇。
普通に出会って普通に結ばれる幸せの形。最後に付け足される美波のシンデレラストーリーが余分な気さえします。
一方で那由多役の月城かなとは若干損な役回り。宇月颯もそう。
紗良役の早乙女わかばも出番の割には…。由衣役の海乃美月がダブルヒロイン的にいい味を出しています。

ショーは「BADDY」。上田久美子の初ショー作品です。
息苦しくてつまらない地球を面白くしようと、月からやって来た大悪党バッディたち。捜査官グッディは彼を追い詰めていくが、やがてバッディに惹かれていき…というストーリー仕立て。
とにかく愛希れいかのグッディが可愛いのです。ほんとに何をしても絵になる娘役。そしてサングラスにタバコの珠城りょうの、どう考えても無理してる感じがまたよくて、この演目を月組で、と考えた上田先生は天才だと思います。
とても残念だったのは、珠城がなんて歌ってるのか歌詞がほとんど聞き取れなかったことで、なんでなんだろう。いつもはそんなことないように思うのですが。
どうしてもストーリーを追ってしまうので、トップ二人と美弥るりか、月城かなと以外あまり目に入らなくて、あれあれという間に終わってしまいました。
あ、輝月ゆうまは滅茶滅茶目立ってましたが(笑)
本当はもっとじっくり、できれば何度でも見たいショーではありました。

終演後、珠城りょうの挨拶がありました。
ショーの余韻が残っててあまり覚えてないんだけど、「皆を元気にしたいと思って頑張っています」みたいなことを言ってた気がする。ああ、そうなんだ。珠城って本当にそう思ってくれてそうだよね、と思いました。
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