千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2018年09月

映画「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」

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◇映画「マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー」

映画「マンマ・ミーア!」の続編です。というより、劇団四季の舞台版の方が私にとっては身近ですが。
前作の映画では、何と言ってもドナたちが年齢上過ぎない?と思って、そこが不満だったのですが、今回はソフィーの話と、それにシンクロするような若き日のドナの話が中心です。

(ややネタバレあり。未見の方はご注意ください)
若き日のドナの境遇は私が想像していたのと大分違いました。
私は勝手に、母との相克とかお金の苦労とか、若干世知辛い過去を想像していたのですが、そうではありませんでした。
学校を卒業した若き日のドナがヒッチハイクみたいな感じでこの島にたどり着き、廃墟同然の家に住み着き、突然の大雨に打たれたり、暴れる馬を助けたりしているのを見ていると、若さゆえの自由、無謀ともいえる冒険心が感じられて、なんだか切ない気持ちになりました。あるいは、この前向きさがドナの人生との付き合い方なのかも知れませんが。
「I HAVE A DREAM」の歌詞「勇気出してやってみよう、どんなことも恐れずに」「川を渡ろう、人生の川を渡ろう」を思い出しました。

ソフィーが主催するパーティの日、懐かしい顔ぶれが集まります。ターニャやロージー。ハリーやビルも。ドナが昔助けた漁師が船を駆ってやってくる場面で、「ダンシング・クィーン」が流れて、思わず涙しました。
前作同様、海や景色の美しさが印象的でした。
私は「マンマ・ミーア!」の曇りないハッピーエンド感が好きなので、今回の映画でそちらまでが影響を受けてしまった感じはするのですが、別物と考えればとても魅力的な作品だったと思います。

「没後50年 藤田嗣治展」

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◯2018年9月
「没後50年 藤田嗣治展」(東京都美術館)

藤田嗣治展に行きました。
何年か前に展覧会でフジタの絵を見て、ああ綺麗だな、と思ったのが実質的な最初の出会いです。(それまではそんなでもなかったのですが笑)
他の多くの人と同じように、あの乳白色の白に惹かれます。
これ、下地に和光堂のベビーパウダーを使ってるのですよね。このことも、その時初めて知りました。

今展では、その乳白色の人物像の展示は思ったほどは多くなく、その点では少し残念ではありました。
それでもタピスリーなどの装飾布を背景として1920年代頃に描かれた人物像には、穏やかな気品が感じられます。
この頃のフジタの人物像は、後のややどぎつさが感じられる色合いや、グレーの陰翳なども強くなく、ふわりと軽みのある美しさで心惹かれます。

人物画以外にも風景画、戦争画、宗教画、それから子供を扱ったシリーズなど多彩です。
フジタの残した言葉。
「私は世界に日本人として生きたいと思う」。
東京美術学校時代に黒田清輝とそりが合わず、フランスに渡り、パリで華々しく活躍。しかし母国日本では画業が認められず、やがて帰国したものの戦時中に戦争画を描いたことで、戦後糾弾される。やがて再びフランスに戻って洗礼を受け、その地で没する。
今展はフジタの人生の旅路について考えさせられる展覧会でもあります。
今から100年も前に日本を飛び出した画家の一軒華やかな人生の裏に、アイデンティティと現実の相剋のようなものを感じてしまうのです。

「絵金、闇を塗る」

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◆2018年9月23日
「絵金、闇を塗る」(集英社)
木下昌輝

通称絵金。幕末の高知生まれ。江戸で狩野派に入門し林洞意の名を得て帰郷、土佐藩家老のお抱え絵師となるも、贋作騒動に関わったとがで土佐を追放、狩野派からも破門される。
この本を読むまで、私はこの絵師の存在を知りませんでした。
本の表紙に屏風絵が載っていて、確かに妖しくおどろおどろしい。本書では、絵金とその絵に人生を変えられてしまった者達が描かれています。

たとえば絵金の画塾に学んだ武市半平太、その盟友坂本龍馬。人斬りといわれた岡田以蔵。土佐勤王党の志士たち。そして上方の芝居小屋で出会った八代目市川團十郎。彼らとの関わりが描かれていきます。
どこまでが史実で、どこからがフィクションなのか。
作中の絵金は得体の知れぬ力で周りの者達を巻き込み、あるときは狂気を引き出し、あるときは後先も見えぬ行動に駆り立てようとしているようです。
実際に絵というものにどれだけの力が宿るものなのか私には分かりませんが、著者の描き出す絵金にはそれだけの説得力があって、こういうこともあるのかも、と思わせます。そして創作の合間に誰もが知っている小さな史実が挟み込まれることにより、よりリアリティが感じられます。
考えてみれば、この時代は歴史の大きな変わり目。幕藩体制の矛盾が噴出し、黒船来航により攘夷、開国と国論がめまぐるしく変わっていく時期。しかも舞台は封建と革新の両面持った土佐という土地。
その変革のエネルギーが絵金という人物の形をとって表れ出たということかも知れません。
著者の本は二度目でしたが、この本は奇想に満ちていて、とても面白かったです。
(2018年17冊目)☆☆☆

宝塚雪組「凱旋門」「Gato Bonito!!」

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●2018年9月1日
宝塚雪組公演
ミュージカル・プレイ「凱旋門」ーエリッヒ・マリア・レマルクの小説によるー
ショー・パッショナブル「Gato Bonito‼︎ー猫のような美しい男ー」
(東京宝塚劇場)
出演:轟悠 望海風斗 真彩希帆 彩凪翔 真那春人 彩風咲奈 朝美絢 朝月希和 永久輝せあ 美穂圭子

雪組公演「凱旋門」を観ました。
18年前に轟悠主演で文化庁芸術祭賞優秀賞を受賞した作品に、再び轟悠が同じ役で挑んでいます。
舞台は戦争前夜のパリ。ドイツから亡命してきた外科医ラヴィックは、知人(?)が急死して途方に暮れていた若い女ジョアンと出会います。
恋に落ちる二人。しかし過去に不幸な恋愛経験を持ち、戸籍も持たない彼はなかなか関係を進めることができません。
そうこうしているうち、ラヴィックは正体がばれ、国外に追放になってしまいます。

過去の名作だけあって、いまの宝塚歌劇と明らかにテイストの異なる重厚な展開。テンポも決していいとは言えないけれど、文学的な香りがします。
真彩希帆がジョアンを演じていますが、好演でした。
全力で目の前の男に寄りかかる、一言でいうと恋愛依存な女。普段の彼女のイメージと違う役を演じています。
とくに印象的だったのは声ですね。真彩希帆はもともと綺麗な声と思いますが、ほとんど男役しか出てこないこの芝居の中で、唯一高いトーンで無邪気に喋るジョアンの声が、すうっと心に入ってくるのです。
警戒しながらも惹きつけられていくラヴィック。ああ、この声にやられたなと思いました(笑)。

轟さんのラヴィックはぐいぐいダンディズムで押してきて、これもいまの宝塚にはなかなか見られない感じです。
ラヴィックとジョアンの相手への思いのベクトルの向きと強さが時々で変わっていきますが、そういう、人間関係の微妙な部分をデリケートに表現してもいて、さすがでした。
とくに帰還後、ジョアンと映画俳優アンリの仲を疑い、葛藤するところは見どころでした。
望海風斗がラヴィックの親友ボリス役ですが、語り手的な役回りでもあり、ベタベタしない、いい距離感。ラストのパスポートのところ、格好良かったです。
望海は今回は歌のシーンが多かったですが、歌の上手さにさらに磨きがかかっていたと思います。寺田瀧雄先生が最後に作曲を担当した作品だそうで、さすがの寺田メロディー、印象に残る曲が多いです。
銀橋で最後にラヴィックがいう、凱旋門が見えないというセリフが、当時のパリの空気感と、失意の異邦人であるラヴィックの心情を的確に表現していて、宝塚的ロマンチシズムを感じました。

ショーは藤井大介作「Gato Bonito!!-美しい猫のような男-」
たぶんトップスター望海風斗の鋭さと柔らかみ両方兼ね備えたイメージから着想したんだと思いますが、藤井先生にしては面白みに欠ける印象を持ちました。
藤井作品には、常識を超越した突き抜け感を期待してしまいます。たとえば「Sante」の時に白ワインを純白のワインと言い切ってしまったような。いや、白ワインは白くないし。でも理屈じゃないのです(笑)。
生徒たちがところどころ猫ポーズを決めてくれますが、それも素敵なんだかどうだかよく分かりません。
あ、でも巨大鍵盤セットの前で、彩風咲奈演じる作曲家の仕事を邪魔する、朝月希和の猫はかわいかったです。こういうのは猫らしくてぐっときます。
来るか来るかと心の中で予測していた(笑)「黒猫のタンゴ」がやっぱりあって、望海風斗が客席を回ります。この日は貸切公演だったのでVISAネタの連呼でした。
ラテンの化粧な上、動きが激しいので、顔をぱっと見しても誰が誰だかあまり判別できない、歌詞もあんまり聴き取れない〜と思いながら観ていたのですが、その中でも今回、永久輝せあが目立っていたのと、彩凪翔が格好良かったです。凪さまは芝居でもいい役でしたね。

終演後、トップスター望海風斗の挨拶がありました。いつもの「宝塚歌劇、中でもとくに○組を!!」というのがなく、「雪組もお願いします」的にさらりと流したのが、むしろ素敵でした。

「江戸名所図屏風と都市の華やぎ」

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○2018年8月28日
「江戸名所図屏風と都市の華やぎ」(出光美術館)2回目

風俗図屏風というと、誰それ作という作家性よりも、描かれた当時の風俗とか庶民の暮らしに目が行くのが面白いところです。
本展ではさらに、江戸名所図屏風に至る風俗図屏風の系譜や、都市の遊楽としてそこに描かれた、歌舞伎図や遊里図の流れを辿っています。

入ってすぐに、横長の江戸名所図屏風が展示されています。八曲一双屏風です。
明暦の大火以前の江戸を描いたもので、江戸城や寺社、浅草や日本橋、品川、また吉原や芝居街などに人が寄り集まる様子が描かれています。
時代の絞り込みには、
・1642年建立の浅草三十三間堂が描かれている
・1657年の明暦の大火で消失した江戸城天守が描かれている
ことが根拠になっているということでした。
また、1629年に不忍池に飛来したことを記憶してか、ちゃんとペリカンが描かれています。
旗本向井将監邸や向井家家紋に近いデザインの紋をあしらった船が描かれていることから、向井忠勝ゆかりの人物が依頼者であるという説があるそうです。

江戸名所図屏風は、京の街を描いた洛中洛外図屏風の形式を移したものですね。
都市そのものを写すというだけではなく、街にさざめく人物たちが描かれています。西洋の自然主義的な描き方と比べて、一人ひとりの人物のポーズへの関心がうかがわれます。
これは、歌舞伎の見得と根が同じかも知れないと思いました。一瞬の静止した立ち姿の美しさ、人工的で刹那的な美。

帰宅後、初期洛中洛外図である上杉本を見てみると、そこまでのこだわりは感じません。ただし永徳の手になるだけあって、人物の描き方にも自然さが勝って、さすがという感じ。
一方、時代が下って又兵衛作といわれる舟木本では、人物に個性と動きを与えることへのこだわりを強く感じます。これは、
戦国の終了とともに現れたかぶき者と関係があるのかも知れないという気がします。
先日、奥平俊六さんが講演で、かぶき者たちの、庶民から見たときの刹那的な格好良さ、アウトロー的魅力について語られていました。それを聞きながら、かぶき者が魅力的に映る→題材だけでな“く、姿やポーズの美しさへの関心が高まる→芸能や絵画に取り入れられ、やがて歌舞伎や浮世絵として発展していく、ということなのかなと思いました。
京風文化を色濃く映した桃山以前の大和絵から、江戸的な個の美しさへの転換期がこの辺りにあったのではと思うのですが、どうでしょうか。
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