千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

2019年09月

「犯人に告ぐ3 紅の影」

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◆2019年9月28日
「犯人に告ぐ3 紅の影」
雫井脩介

4年ぶり「犯人に告ぐ」シリーズの3作目です。
前回から引き続き、「リップマン」こと淡野と、神奈川県警・巻島の対決が描かれます。

1作目では、自らが地上波ニュース番組に出演して犯人に呼びかける、という手法で犯罪解決に結びつけた巻島でしたが、今回はネット番組に舞台が移ります。
現実にネット放送局が現れ、記者会見の生中継や地上波で放送の難しい番組が、制約の少ないネットで流れている現状。とくにネットは双方向性に優れていて、本作でも番組内で巻島とリップマンのアバターが会話をする、というスリリングな状況が作られています。
とはいえ、媒体を通じた犯人との接触、という点では1作目の既視感は拭えません(もちろん、とても面白いのですが)。

一番度肝を抜かれたのは、リップマンこと淡野が実行に移そうとした奇想天外な計画と、それにまつわる人間ドラマですね。
犯人である淡野の人となりについて、生い立ちばかりでなく、鎌倉での潜伏先での由香里との生活や、裏社会との関わり方が丁寧に掘り下げられているため、どことなく身近に感じます。
同時に、淡野の知性が巻島との一騎打ちへの期待感を盛り上げます。
詳述は避けますが、本作で重要な位置を占めるのが県警内部の政治力学、パワーバランスです。巻島が指揮を任されている捜査本部は寄せ集め部隊で、捜査一課から多くの捜査員を借りている。そして捜査一課にはある秘密があり、これが後半大きな部分を占めてくる。
その意味でこの作品は警察vs犯人にとどまらない、個人VS組織の戦いとも言えます。読む者にとっても、他人事ではない普遍性をもって自身に問いかけてくるのではないでしょうか。
☆☆☆☆

「アラジン」

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●2019年9月25日
「アラジン」(10回目、電通四季劇場海)
出演:萩原隆匡 北村優 三井莉穂 牧野公昭 嶋野達也 田中宣宗 戸高圭介 藤田光之 増田守人

「アラジン」を観ました。
あれ、今日は萩原ジーニーだ。どんなだったっけと思いながら観始めて、観てるうちに、あ、これは最高かも、と思えてきました。
瀧山さんのような多国籍感はないのですが、セリフまわしや間の取り方、表情の演技が素晴らしいのです。
また、これまでのジーニーになかった工夫もあって、アラジンがジャスミンのことを頭が良くて可愛くて…とほめる場面で、とても面白いリアクションに笑わされました。随所にこういうのがあり、もしや演出が小幅に変わったのかとも思いますが、それを完全に身につけているのはすごいと思いました。
もちろんダンスは申し分なくうまい人なので、これだけ踊ってくれると大満足。歌も上手いし。萩原さん、素敵です。

アラジンは北村優、ジャスミンは三井莉穂。安定の二人です。
この日は久々の牧野ジャファーでやはりこの人のジャファーは素晴らしい。いい声なんですよね。嶋野イアーゴもたくさん笑わせてくれました。
こうしてみると、先日の映画版とは観終わった印象が大分違います。母親への思いや友情が前面に出ている舞台版ですが、意外とこれが効いていて、綺麗事にしてもなんかいいもの見たぞという気になるんですね。これに比べて映画版は心に残る印象は薄いかな。
この日は学生さん団体が入っていて、オープニングで手拍子起きたりして盛り上がり、役者たちも嬉しかったんじゃないでしょうか。

「大観・春草・龍子・玉堂 日本画のパイオニア」

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○2019年9月
「大観・春草・龍子・玉堂 日本画のパイオニア」(山種美術館)

山種美術館の展覧会。
ポスターになっている川端龍子の、波濤の上を飛ぶ海鳥の屏風の濃い青が印象的で、これを見ようと思って行きました。
はじめに大観と春草の絵が並んでいて、大観の「心神」のみ写真撮影可能となっています。
川端龍子の絵は海鳥の屏風のほか、南洋の女性を描いた「羽衣」などに惹かれました。
「八ツ橋」は光琳の図案化された八橋図を翻案して、花一輪一輪を写実的に描き、白い花を混ぜたりして変化を出しています。
龍子と琳派との近さは言われるところですが、いわば逆琳派ともいうべき試みかと思います。

琳派の影響というと、川合玉堂の作品にその影響がうかがわれました。
とくに「早乙女」の画面構成はまさにそうで斬新です。その上日本的な情緒もあって。
玉堂ははじめ望月玉泉、のち幸野楳嶺、そして橋本雅邦に師事したということですが、そのためか狩野派だけでなく円山派、四条派、さらに西洋絵画などの影響も見られるように思います。
平明、明快で、余白の使い方も美しいです。

「夢見る帝国図書館」

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◆2019年9月
「夢見る帝国図書館」(文藝春秋)
中島京子

「西洋の首都にはビブリオテーキがある」
福沢諭吉のひと言で、ビブリオテーキすなわち図書館の開設が建議され、書籍館が開館します。
やがて帝国図書館と名を変え、上野に国家的規模の建物が計画されますが、なんと度重なる戦争費用の捻出のために、建物の一部だけが完成した状態のまま工事は終わるのでした。

明治以降の図書館の歴史と、小説家である主人公が上野公園で知り合った女性、喜和子さんの半生が交互に出てきます。
そのうち図書館史の方は、喜和子さんのゆかりの人物と関係が深いものということが明らかになります。
この図書館史の部分、時に図書館が生きたもののごとく描かれてたりして面白いです。たとえば図書館に日参する樋口一葉を愛したりとか。図書館がですよ!
戦争下の図書館は哀れです。建設費を削られるだけならまだしも、占領地の図書を秘匿したり、空襲に備えて本を疎開させたり。文化が戦争に蹂躙されていくのが読んでいて辛いです。

喜和子さんと主人公の交流を描いたもう一つの部分。
残念だったのは、私には喜和子さんの魅力が全く伝わってこなかったことで、なぜ主人公がここまで喜和子さんにこだわり、知ろうとするのか理解できなかったです。
この部分に興味が持てないと、正直キツい部分はありますが、喜和子さんにまつわる謎を解いていく過程はミステリを読むようで興味深いです。
図書館史の部分とシンクロして、戦争の悲惨さを感じます。食べるのが精一杯で、皆が必死に生きていた時代が実感されました。
いま、帝国図書館の機能は国立国会図書館に移っています。設立理念は「真理はわれらを自由にする」。そして、旧帝国図書館の建物は国際子ども図書館になりました。もし建物に気持ちがあるならば、平和憲法の下、子供のための施設となった今の境遇をとても喜んでいるのではないでしょうか。
☆☆

「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 美濃の茶陶」

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◯2019年9月
「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部  美濃の茶陶」(サントリー美術館)

サントリー美術館で展覧会を見ました。
この時代の陶器、素朴な中にも洗練があって素敵です。唐津や萩焼などもそうですが、唐物や朝鮮陶磁とは違う日本的な趣があります。
桃山は歪みやひび、非対称性などに美が見出された時代で、その価値観は茶の湯の影響が強いと思いますが、この価値観は現代まで一直線につながっていることがわかります。
その証拠に、ここに並んでいる茶陶も、現代人から見ても素晴らしく、ちっとも古びた感じはしないのです。

今回展示されている黄瀬戸、瀬戸黒、志野・織部はさすがに数寄者が集めたものという感じのものでした。
このような「いいもの」。人によってもちろん好みはあると思いますが、そこに美を見出す基準てなんなのでしょうね。
私個人的には、主張しながらし過ぎない、そのバランス具合が大事な気がします。

志野の卯花墻はもちろん、広沢、橋姫などにはやはり目を奪われました。村山龍平所持の銘 朝日影は、文様が朝日新聞の社旗に似ているところからの命銘だということでした。
志野では、葦手というのか、判じ絵のように絵で言葉を表したものもいくつか展示されています。
志野の、赤みや青味をところどころに帯びた白さは、清潔感があって私は好きです。

荒川豊蔵と加藤唐九郎のコーナーがあり、こちらは、やはり現代の作家ものという感じが強くします。
色合いなども桃山の陶器に比べると主張が強く、生っぽい感じです。そんな中でも加藤唐九郎作品はやはり形や姿にまとまりがあって、どことなく目が吸い寄せられる感じがありました。
ところで、加藤唐九郎の年表に「永仁の壺事件起こる」とさらりと触れてありました。当時のことは私はわかりませんが、事件の影響の大きさを考えると、この扱いの微妙さにもやもやします。

「奥の細道330年 芭蕉」

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◯2019年9月7日
「奥の細道330年 芭蕉」(出光美術館)

芭蕉が奥の細道の旅に出て330年だそうです。
芭蕉の自筆の発句や画賛、旅の風景を描いた旅路の画巻、蕪村の奥の細道図などが展示されています。

芭蕉以前の俳諧は滑稽性を帯びた「俗」の文学であったものが、芭蕉によって「雅」に高められたといいます。
高校の教科書で奥の細道(いまは「おくのほそ道」と書くらしい)を習いましたが、その頃は名文といわれる文章にもなんの感動も見出せず、ただただ言われて暗記させられるばかりでしたが、今改めて眺めてみると、構えた中にも芭蕉の心意気や古への追慕が感じられる気がします。
紀行文に俳諧を混ぜ込むのは、文学史的には伊勢物語などの歌物語に連なるものなのでしょうか。そのようなことも調べてみたいです。

今展では芭蕉だけでなく、関連する蕪村の奥之細道図、仙厓や小杉放菴の作品も展示されています。
奥之細道図が面白いと思いました。
奥の細道本文と俳画を組み合わせたもので、字体も画風もかなり崩してあって飄逸な趣を出しています。
よく鳥獣戯画が現代の漫画の元祖ということが言われますが、直接的に漫画の源流と思われるのは、この辺りなのではないかと私には思えます。

かねてより興味を持っていた西行物語が展示されていて、これが嬉しかったです。出光美術館所蔵で、絵が俵屋宗達の美しい大和絵、書が烏丸光廣。
伝西行の中務集。これは正方形の枡形本でした。講演で、オリジナル奥の細道も枡形本だった、と聞きました。この辺りにも、芭蕉の古の雅文学への思いが見て取れるような気がします。

「円山応挙から近代京都画壇へ」

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◯2019年8月31日
「円山応挙から近代京都画壇へ」(東京藝術大学美術館)

藝大美術館に初めて行きました。
いい意味で今頃の美術館らしくなく、藝大だけにちょっと校舎を意識させるところもあって、いいなと思いました。
3階は大乗寺襖絵を中心として、円山派、四条派の始祖である応挙と呉春の作品や、応挙の弟子蘆雪、栖鳳や松園あたりまでの花鳥画、動物画。
親しく活動していたとはいえ、応挙と呉春の孔雀の絵、両方みるといろいろ違ってて面白いですね。応挙の写生への傾倒は絵を見てても明らかですが、蘆雪の個性が違っているのも興味深いです。
呉春は文人画の伝統を引き写意的ですが、写実も巧みに取り入れています。この両派が次第に混交して、円山・四条派というふうに呼び習わされるのもわかります。
最近、蘆雪の犬の絵がクローズアップされていますが、今回も人気のようでした。

地下二階にエレベーターで移動します。風景や自然、人物、物語画など。
今回は、ふだん東京の展覧会ではあまりお目にかからない松村景文や岡本豊彦、近代では幸野楳嶺や岸竹堂の作品が展示されていました。
木島櫻谷の山水図屏風が見上げるような雄大な山並みを描いていて、以前似た感じの絵を泉屋博古館でも見たような気がしますが、これが一番印象に残りました。

「やがて満ちてくる光の」

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◆2019年9月
「やがて満ちてくる光の」
梨木香歩

梨木香歩さんの随筆集。
植生や鳥の渡りの他に、本に関すること、著者の身の回りの出来事やそれに対する日頃の考えが綴られています。
赤毛のアンとモンゴメリに関すること、プーさんと100エーカーの森のこと、自著のこと。ウィリアム・モリスのこと。

中でも印象的だったのは、著者が家を探していた時の話です。
不動産屋から紹介された、更地にするはずの土地に建っていた古い家。その家に興味を持つうちに不思議な偶然が重なり始めます。
それはまさに、家との対話。
家が仮に内なるものを守ることで持ち主の記憶をとどめておく装置だったとしても、それを必然と受け止める著者なくしては、このような対話は成り立たなかったことでしょう。
こうして語られる話は、とても説得力がありました。

「美しき愚かものたちのタブロー」

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◆2019年9月3日
「美しき愚かものたちのタブロー」(文藝春秋)
原田マハ

原田マハさんの「美しき愚かものたちのタブロー」を読みました。
1921年、若き美術史家、田代は、パリで松方幸次郎と対面します。欧米と肩を並べるためには文化の力が必要、という松方の話に感銘を受けた田代は、松方の絵画購入の手伝いをすることになるのでした。

この本は、実在の人物や出来事をモデルにしています。
第二次世界大戦で、ドイツ軍がフランスに侵攻したため、日置釭三郎がフランス人の妻とともに、パリから郊外のアボンダンにコレクションを疎開させるくだりがあります。著者のアボンダンの取材に同行した編集者によると、この部分も史実をベースとしているということでした。
この日置という人のことは、元軍人で松方の会社の社員だったこと以外、よくわかっていないようです。日置と妻との、ゴッホの「アルルの寝室」をめぐるドラマは創作だとは思いますが、こういうところが小説としては効いていて、コレクションの数奇な運命を象徴しているような気がしてきます。

百田尚樹「海賊と呼ばれた男」(出光佐三がモデル)を読んだときにも思ったことですが、この時代の政財界人たちは文化の重要性について自覚無自覚問わず認識しており、たとえ数寄者と呼ばれる人たちでなくても、彼らの積極的な貢献のおかげで今日の日本の文化水準があるのだ、ということを強く感じさせられました。
敗戦によって一時フランスに帰属した松方コレクションは日本政府との交渉により寄贈変換されることとなり、やがてコルビジュエ設計により新築された国立西洋美術館に展示され、今に至るまで多くの人の目を楽しませています。
まさに松方幸次郎の理想は、数十年の月日が過ぎた今、見事に結実しているといえるのではないでしょうか。

「松方コレクション展」

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◯2019年8月31日
「松方コレクション展」(国立西洋美術館)

国立西洋美術館の松方コレクション展に行きました。
ここの常設展示で何度も旧松方コレクションは見ているゆえ、どうしようかと迷ったのですが、結果行ってよかったです。
というのも、今回この厖大な展示から伝わってくるのは、絵画や彫刻そのものの魅力に加えて、このコレクションがまとう歴史の重さだからです。
松方コレクションは、旧川崎造船所(現・川崎重工)の社長であった松方幸次郎がヨーロッパで直々に収集したもの。彼の目的は、日本に西洋絵画の美術館を作ることでした。
松方氏のコレクションは三つの道に別れます。日本に来たものは皇室に献上された浮世絵を除き、会社の経営悪化から売り立てにかけられ、ロンドンにあったものは火災で焼失します。残ったパリの美術館に預けられていたものが戦後、戦勝国であるフランスの財産となり、交渉を経て一部を除き日本に寄贈返還されますが、これを基にして西洋美術館が開設されました。

今回改めて展示された作品には、かつて松方コレクションでありながら、今は第三者の所有になっているものも含まれます。たとえばブリヂストン美術館のマネの自画像、大原美術館の「積みわら」、そしてオルセー美術館のゴッホ「アルルの寝室」。
ちょうど松方コレクションの変転を描いた原田マハの「美しき愚かものたちのタブロー」を読んでいる最中だったので、頭の中で展示と本が重なりました。これだけの作品を、日本に美術館を作りたい、という目的だけのために自ら集めて回ったと聞くと、その熱意に感じるものがあります。

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今回の展覧会、最初がモネの「睡蓮」で始まります。この美術館の象徴とでもいうべき作品で、それに相応しいみずみずしさを湛えた作品。
松方氏は自らモネのアトリエに出向き、画家本人から購入したそうです。そして展覧会のラストには、この睡蓮と対をなすような、やはりモネの「睡蓮、柳の反映」。
横長の巨大な絵ですが、戦時中パリから絵が一時疎開していた時に上半分が失われたと推測され、破損品として忘れられていたこの絵が近年ルーブルで見つかり、今回修復して初公開となりました。
松方氏が自らの夢のために購入した作品が、この特別展のために松方コレクションに戻り、数十年ぶりに日本で陽の目を見たと思うと、深い感動を覚えます。
下の写真は、デジタル復元された「睡蓮、柳の反映」。資料をもとに推定再現されたもの。今は、このようなモニターの画像でしか破損前の姿をうかがうことはできません。
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「むらさきのスカートの女」

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◆2019年8月26日
「むらさきのスカートの女」(朝日新聞出版)
今村夏子

今年上半期の芥川賞受賞作です。
むらさきのスカートの女を、語り手(黄色いカーディガンの女)がウォッチした記録。
冷え冷えとした雰囲気です。
メインの二人の名が伏せられてる=記号化されていることもありますが、私は黄色→むらさきの粘着具合が気持ち悪かったです。
はじめは無個性な記号だったむらさきが、いっときは優等生的に見え、さらに頁が進むに従って正反対の本性を表してきます。
否、どっちが本性かなんて本当はわからないのですが。あくまで黄色から見ての話だし。
その段になっても、むらさきの顔がどうかとか、イメージするのに必須と思われる外見的情報はほとんど明らかにされず、服装とか髪質とかのみ何度も出てくる。観光地によくある、写真撮るために空いたところに顔を入れるポップのような感じが、気持ち悪さに拍車をかけてると思うのです。

さらにそこに、これもただの記号と思った語り手=黄色の、むらさきに対する行動の奇妙さが明らかになっていく。ここにきて読者は、ただ見る傍観者から、奇妙な行動の当事者という立場に突き落とされた不安を覚えるのだと思います。
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