千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

澤田瞳子

「月人壮士」

IMG_5702
◆2019年7月6日
「月人壮士」(中央公論新社)
澤田瞳子

舞台は奈良時代。
聖武太上天皇の崩御後、朝廷を退いて隠遁生活を送る橘諸兄が、道鏡らに太上天皇の遺詔をさがさせる、という話。
すでにこの時、孝謙天皇が即位しており、崩御の間際に皇太子として、長屋王の甥にあたる道祖王が指名されている。
物語では、光明子ほかさまざまな人が、聞かれるがままに、在りし日の聖武天皇のことを語る。

浮かび上がってくるのは、自他ともに「全き天皇」となるべく望んでいた聖武天皇が、その身体に、臣下である藤原氏の血が流れていることを厭い、恨んでいたということ。
平安期になると、藤原氏が天皇の外戚というのが当たり前であったので、その一時代前の聖武天皇がこのような葛藤を抱えていたかも知れないと考えると、目からウロコが落ちる思いでした。
確かに、この悩みゆえに聖武天皇が仏教に傾倒したり、何度も遷都を実行したりしたのだという本書の動機付けは説得力があるかも。
一方、読み物として面白かったのは、皇太子時代の孝謙天皇と異母弟の安積親王のエピソードですね。公私の間で身動きの取れない立場がよく表されています。

本書は、海と山の二者対立を描くという「螺旋プロジェクト」の一冊。
古くよりこの国を統べる存在である天皇家を山、臣下から成り上がってじわじわと皇族を侵食していく藤原氏を海、と位置付けています。
私が読んだのはこれで二冊目。二者対立以外の縦の繋がりは見えてこないのですが、他にもあるのでしょうか。気になります。

「若冲」

9b7468cd.jpg
◆2017年6月6日
「若冲」(文春文庫)
澤田瞳子

以前から読みたいと思っていた本が、先頃文庫になりました。
若冲の半生を描いた連作集です。
京都錦小路の青物問屋枡源に生まれた若冲。妻帯した記録はありませんが、本作では自死した妻への贖罪のために絵を描き続けたことになっています。
実際、若冲の「動植綵絵」の、あの濃厚などぎつさが、私は好きになれません。
本作にいう「奇矯、陰鬱」で「生の喜びの欠落した」若冲の絵にこのような背景を設定したことで、急に若冲が血の通った人物として感じられるようになりました。

物語は、生家とりわけ実母との確執、宝暦事件に連座した公家との関わり、錦市場存続をめぐる騒動、京を灰燼に帰した天明の大火などが、時系列に沿って描かれます。
その折々に若冲の陰の存在として登場するのが妻の弟、弁蔵。
姉の死の原因が若冲と枡源の者たちと考える弁蔵は、やがて若冲の贋絵作者、市川君圭として彼の前に現れます。
現在、伝世する若冲作品といわれるものの中で、作中では君圭の作ということになっているものがあります(実在の市川君圭は贋作者ではありませんが)。
彼との生涯を通じた関係が、この物語に深い陰影を落としています。

それにしても著者の書きぶりは巧みです。
京都の持つ情趣や市井の空気感。若冲の特異な絵の内奥の理解はなるほどと納得できるものだったし、自分が若冲の絵を好きになれない理由についても改めて考えさせられました。
若冲や弁蔵、志乃らの姿を通して、人間の孤独や生の哀しみを描き出している点が本当に素晴らしいと思いました。

上の写真は現在の錦市場。
アーケードの天井から、この前までなかった若冲の垂れ幕がかかっています。
下の写真は若冲展の絵はがきから「大鶏雌雄図」「雪中錦鶏図」(いずれも部分)です。
(2017年22冊目)☆☆☆


「秋萩の散る」

908fceaf.jpg
◆2016年11月7日
「秋萩の散る」(徳間書店)
澤田瞳子

この短編集に描かれているのは、奈良時代、孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の時代。
表題作「秋萩の散る」では、女帝崩御後、世を乱した破戒僧のレッテルを張られ、下野国に追いやられた老境の道鏡が題材。
道鏡が実は真面目で臆病な男で、女帝の一方的な好意で高位に上り、帝位まで譲られそうになるのを実は恐れおののいていた、というのが新鮮でした。

短編5編で一番印象に残ったのは「梅一枝」。
藤原仲麻呂の乱から2年後のこと。宮中で文人之首(かしら)を務める石上宅嗣のもとに、門人が来客を案内してきます。
久世と名乗るこの客、実はかつて後宮から出奔した宅嗣の従姉妹が生んだ子で、これまでさる貴人の家で養われていたのが、思い立って親族である宅嗣に会いに来たというのです。
彼の父親は先帝(聖武天皇)であり、阿倍の帝(孝謙天皇)は異母姉に当たると聞いて、愕然とする宅嗣。
先帝の直系男子は一人もいないはず。隠し子の存在が知られれば間違いなく命を狙われ、その親族である石上一族まで滅ぼされかねない…。
政治的野心はなさそうだと安堵しながらも、おっとりと世間離れした久世王の様子を見ながら、こんなところを誰かに見咎められたらと気が気でない宅嗣。
そのとき、床下で不自然な音が…。

出世にも学問にも飽いていた宅嗣の心が、久世王との出会い、その後の事件を通して変化していく描写が秀逸でした。
短い中で、状況や心のあり方がダイナミックに転換するのは短編小説の醍醐味ですね。
最初の3編が私的には今一つで読み始めたことを後悔しかけましたが、この「梅一枝」と「秋萩の散る」は人間心理が時代背景と絡められて、読み応えがありました。
(2016年48冊目)☆☆☆

「与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記」

ea6a709b.jpg
◆2015年9月23日
「与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記」(光文社)
澤田瞳子

「若冲」が話題になった著者の新刊。
天平15(743)、疫病や政情不安から紫香楽に大仏造立が発願され、その後平城京に移って国家的大事業が開始。
聖武天皇は「一枝の草、一把の土を持て、像を助け造らんことを請願するものあらば、恣にこれをゆるせ」と、国民の自発的協力を望んだということですが、実際の労働力を多く負担したのは地方から徴発された人々。
物語は、仕丁と呼ばれる役夫や、彼らに食事を供する炊男(かしきおとこ)から見た、大仏建造を描いています。

国家安寧のための大事業も、仕丁たちから見ると辛い夫役以外の何ものでもなく、脱走、喧嘩などのトラブルは後を絶たず。
東大寺造寺司の炊屋の中でも味が抜群という宮麻呂の店は、そんな仕丁たちの心の拠り所。一人ひとりの身体を気遣い、無事に作事をなさせようとする宮麻呂、その過去の因縁話が縦糸になっています。
実際に奈良の大仏を見るとその大きさに圧倒されますが、どんな人たちが何を考えながら造ったのか、なかなか考えが及びません。本書で、広場にそそり立つ大仏の中型(なかご)を見ながら、仕丁の真楯(またて)が「仏とはなにか」と考えるのが印象的でした。
正直、展開がまどろっこしい部分や首をかしげてしまうところもありますが、最近よく目にするお料理小説の一種でありながら、本書の場合それも押し付けがましくない(実際どんな料理か見当もつかないし)のが良かったです。
(2015年-37冊目)

記事検索
最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ