千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

伊坂幸太郎

「マイクロスパイ・アンサンブル」

◆2022年5月
「マイクロスパイ・アンサンブル」(幻冬舎)
伊坂幸太郎

「おうちに帰るまでが任務です」「松嶋君って、エンジン積んでないよね」
印象的なフレーズで物語は始まります。
「重力ピエロ」の書き出しが有名ですが、この作者の言葉のセンスは、のっけから読者の心をつかみます。

この作品は、年に一度、猪苗代湖で開催される音楽&アートイベントで配布される小冊子向けに書き継がれた短編をまとめたもの。
舞台は猪苗代湖。社会人になったばかりの青年と、いじめっ子から逃れてスパイになった少年の話が交互に出てきて、やがて交差していくという話です。

自分では意識しないのに、自分の行動により見知らぬ誰かが助かっていたり、逆に自分が誰かに助けられていたり、そういうことはあるのかも知れない。
その人のことを考えていたら電話がかかってきたとか、たまたま自己紹介したら相手と名前が同じだったとか、そういう偶然が起こると何かいいことがある気がする。
私たちの日常にも時折ある、そんな小さな奇跡を描いていて、心が温かくなります。
冒頭の「エンジン積んでないよね」にしたって、別にエンジン積んでなくてもいいんじゃないか。「どこかの誰かが、幸せでありますように」という願いが皆の共通のものでさえあれば、案外世の中はうまくいくのではないか。
そういうような、著者のメッセージを感じました。

「クジラアタマの王様」

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◆2019年10月5日
「クジラアタマの王様」(NHK出版)
伊坂幸太郎

夢の中に出てくるハシビロコウの存在がキャッチーな小説。現実とゲームのような夢の間を行き来するイメージで構成されてます。
主人公は製菓会社の広報担当社員で、お話はお菓子に関するクレームが発端。集団からターゲットにされた時に受ける圧力とか、実際こういうことはあるあるです。
小説としての面白さはというと、私的には今ひとつです。面白くないわけではないのですが、著者に求めるレベルとしては、もっとを期待してしまいます。

この作品の不満な点を考えてみると、まず夢の中の要素と現実の関係が最後まで明らかにされないところでしょうか。
こういう因果関係、時折私たちの胸にも去来することなので、着眼はわからなくはないのですが、小説である以上、思わせぶりな伏線はやはり回収してもらいたいです。
もう一つは間に挟まっている挿絵?というか漫画ですね。著者はあとがきで文章と絵の一体化を企図していたということなのですが、絵を使いたいなら、もっと使い方を研究してほしいかな、と。

とはいえ、ベースが夢の話なのにも関わらず話が外に展開していく感じとか、嫌いではないです。著者の本は出たら読みたいので、次作は期待しています。

「シーソーモンスター」

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◆2019年5月25日
「シーソーモンスター」(中央公論新社)
伊坂幸太郎

伊坂幸太郎さんの新刊。
前作「フーガとユーガ」がいわゆる、嫌いな方の伊坂作品、だったのに対し、本作は最初から最後までページをめくる手が止まりませんでした。(以下ややネタバレあり。未読の方ご注意お願いします)

作品は二部構成になっています。
前半はバブル期が舞台の「シーソーモンスター」、後半は近未来が舞台の「スピンモンスター」。伊坂作品らしく両方の世界はテーマ的にも物語の面でもつながっています。
「シーソー」の方は元某組織に属していた女性が家庭に入り、という話。以前綾瀬はるかさんと西島秀俊さんが出演していたドラマがありましたが、それを思い出しました。
日常にふっと、きざす違和感や義母との宿命的な不和などが主人公を動かしていくさまを描いてて、先がとても気になりました。

「スピン」は子供の頃、高速での事故で孤児になってしまった青年が主人公。彼はあらゆるデジタル的な記録が流出する危険を持つネット社会への反動から生まれた職業、運び屋(アナログ的に手紙や物を人力で運ぶ仕事)をしています。
かつての「ゴールデンスランバー」などと同じく、得体の知れない事件に巻き込まれて、そこから逃れようとする話です。
監視社会を扱った話は著者の一貫したテーマともいえそうですが、ITが進み、さらにAIが出てきた今、その恐怖はリアルなものになりつつありますね。ネットに繋がったすべてのログが記録され、管理されるという近未来。進化したネットワークを使って恣意的に物事を動かそうとする存在があるとしたら…。この本に書かれていることはよそ事とは思えないです。
強いて言えば、本作のこのゴールデンスランバー的な部分と、脳科学的な問題が今ひとつしっくり噛み合っていない感じはしましたが…。

登場人物が語る、人はなぜ争うのか?というくだりも興味深かったです。
本書は8組の作家による「二つの一族が対立する歴史を描く」螺旋プロジェクトの競作企画だそうです。ほかの本も読んでみたいです。

「フーガはユーガ」

◆2019年1月2日
「フーガはユーガ」
伊坂幸太郎

双子の兄弟の名前はフーガとユーガ。親に虐待された二人が、生きにくいこの世界を生きていこうとする話。
特殊能力を使って。
この特殊能力だけ見れば、まるでジャンプ的な展開ですが、悪の部分の描写が激しすぎて、嫌な読後感しか残らなかったです。

伊坂作品に、悪意が前面に出た作品はしばしば、あるのですよね。
読む前にどちら系か、わかるといいのですが。

「ホワイトラビット」


◆2017年10月27日
「ホワイトラビット」(新潮社)
伊坂幸太郎

仙台の住宅地で起きた人質立てこもり事件。SITが出動し、犯人の説得を始めます。
ところが事件の裏側では、まったく別の出来事が起きていて。

著者の作品はここに来て、さらなる深化をみせているように感じます。
もちろん、これまでも伊坂作品は面白かったし、最後まで読ませてきゅっと収斂させるという仕掛けの「冴え」には、いつも唸らされておりました。
でもそれは、器用さやストーリーテリングの手腕であって、心に訴えてくる、感動させられる、というのとは違ってた気がします。
「AX」しかり本作しかり、最近の作品は、大げさに言えば人間存在への愛が加わった感じがするんです。

本作には、おなじみの黒澤が登場します。彼が登場するだけでハッピーエンドの予感。難しい局面も何とかしてくれそうです。伊坂作品の常で、偶然と故意が絡まり合って、ダイナミックかつ演劇的に物語が進行していきます。
印象的なのは、ところどころに脈絡なく星の話と、ユゴーの「レ・ミゼラブル」が出てくるところです。
なかでもSITの指揮官・夏之目が、かつての娘との会話を回想する場面。
ユゴーが「レ・ミゼラブル」でパリの下水道事情について長々しく説明しているという話から、星の観点で見れば人間の一生はほんの一瞬で、「はい、生まれました。はい、死にました」。でもその間に「はい、いろいろありました」が入るというくだり。
その「いろいろ」こそが人生の綾であり、愛おしいものなのだ、ということ。

著者自身も書いているごとく、「レ・ミゼラブル」のことは本作で描かれる事件と何も関係がありません。でも「レ・ミゼラブル」同様、作中にいう「物語の豊かさ」につながっています。
そればかりでなく、作中で茶化してさえいる「レ・ミゼラブル」的イメージを敷衍し、その手法を実験しているようにも思われて。
「レ・ミゼラブル」は、ジャン・ヴァルジャンが神の愛に出会い、人生を生き直す話です。
彼の周りには辛い目にあっている人が幾人もいて、彼は必死にその人たちに手を差し伸べようとします。しばしば神の御心について悩みながら。そして彼が生きた意味は究極的には「神のみぞ知る」。
本作「ホワイトラビット」で描かれる天の星々。これは言うなれば神の視座であり、「いろいろある」人間の人生を静かに見下ろす存在といえます(そういえばレミゼの舞台では、ヴァルジャンの対立軸であるジャベール警部にも、神の御心を星に仮託して歌うナンバーがありました)。
「レ・ミゼラブル」同様に本作中しばしば顔を出す「作者」は、神の視点の代弁者といえるかも知れません。
もちろん、「レ・ミゼラブル」と関係なく楽しめる本ですが、一度でも読んだことがある、または舞台や映画で観たことがある人なら、両者のイメージがリンクして、特別なイメージが喚起されるのではないでしょうか。
(2017年39冊目)☆☆☆☆

「AX アックス」


◆2017年10月7日
「AX アックス」(KADOKAWA)
伊坂幸太郎

「最強の殺し屋はーーー恐妻家」帯の惹句では、主人公・兜(かぶと)の属性として「殺し屋」とともに「恐妻家」という言葉が出てきます。確かに、兜が妻に接するときの身構え具合、気の使いようは生半可ではありません。
妻を起こさないため、遅く帰った時の夜食を、開ける時に音のしない魚肉ソーセージに決めているほど。
夫婦の様子を見ていて、息子が父親に同情を寄せてくるのが可笑しい。

読み進むにつれ、兜の「恐妻家」の属性は、彼の過去や現在すべてと連結していることがわかります。
彼の仕事は、クリニックを装った黒幕から指示を受けて、「手術」つまりターゲットの殺害を行うこと。見ず知らずの相手を殺すことにためらいを感じ始めている彼は、一日も早い平和的引退を願っています。
理由はもちろん、彼が奇跡的に持ちえた平穏な家庭です。
子供の時から人生の裏街道を歩いてきた兜にとって、妻と子の存在はその人生観を一変させ、まさに殺害を行おうという場面でもターゲットの家族のことを考えてしまうほど。
兜の妻とのやり取りや心境描写(妻の発言にどうリアクションするべきか、いかに裏メッセージを込めずに会話するか、など)のシリアスさには思わず笑ってしまうのですが、そこには独特の空気が流れています。
彼の「恐妻家」は、単に怒られないために妻の機嫌をうかがう、ということではなく、妻に気を使うことのできる平和や幸せを目一杯享受している、というふうに見えるのです。
思いがけず愛情を注がれたならず者が改心して善人になるのに似ています。いや、善人にはなっていないのですが。

手に入れた平和な家庭、そして妻と子を守るために、兜は敵と戦うことを決意します。ここからは正直、予想外の展開でした。
これまでの著者の「殺し屋もの」はひたすら殺伐としていて好きではなかったのですが、本作は読み終わって、心にほんのりと暖かいものが残りました。
兜が命を賭して守ったもの。遡って妻との出会いを描いた、最後の章が印象的でした。
(2017年37冊目)
☆☆☆

「サブマリン」

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◆2016年5月26日
「サブマリン」(講談社)
伊坂幸太郎

前作「チルドレン」はずいぶん前に読んだきりで、ああ、ベンチと盲導犬が出てきた話、と思い出しました。
主な登場人物は、家裁調査官の武藤と陣内。彼らが相手にする少年たち、以前相手にした元少年たち。陣内の友人である永瀬と妻の優子。
「チルドレン」の12年後の話。

武藤の一人称で、家裁調査官の毎日が綴られます。家裁調査官は、少年事件についての調査や報告、観察などを行う仕事。
世間の「少年も大人と同等に裁くべき」という大合唱の中、当事者たる少年たちの事情を調べれば調べるほど、武藤の中で深まる世間とのズレ。疑問。
事件を起こした少年をどう扱うべきか。
罪を償うということはどういうことか。
法が裁かない事件に対し、これに私的に制裁を下すことは許されるか。つまり、悪い人間になら勝手に罰を与えていいか。
ストーリーに織り込まれたこれらの問題は難しいです。

登場人物の中で、ひときわ異彩を放っているのは、言うまでもなく武藤の上司・陣内です。
自由奔放、変人。こんなに深刻な内容なのに、ついつい笑ってしまうのは、ほぼ陣内の場面。
伊坂作品には「陽気なギャング」の響野とか、このタイプの人が出てきて深刻さを一瞬のうちに吹き飛ばしてしまいます。お話の中ではありますが、こういう滅茶苦茶な人って空気を変える力を持ってるのかも知れないです。
理屈だけで考えると辛い内容になりそうなところ、この小説では、陣内の存在が不思議な温かみを生んでいると思います。
(2016年‐26冊目)☆☆

「陽気なギャングは三つ数えろ」

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◆2015年12月10日
「陽気なギャングは三つ数えろ」(祥伝社)
伊坂幸太郎

「陽気なギャング」シリーズ、9年ぶりの新作です!!
冷静沈着、相手の嘘を見破る成瀬、でまかせの演説で煙に巻く響野、完璧な体内時計で逃走タイミングを測る雪子、スリ名人、久遠。4人の活躍を描くクライム・サスペンス。

偶然、ある男を暴漢から救った久遠。しかし助けた相手は、他人のプライバシーを暴いて食い物にするハイエナ記者。次々と卑劣な手を繰り出してくる敵との戦い。
「銀行強盗を行う犯罪者たちを楽しそうに描いていいのだろうか」と著者は今更ながら悩んだということですが、たとえて言えば「ルパン三世」みたいなもので、むしろ勧善懲悪的な爽快ささえ覚えました。
伊坂作品ならではの会話の面白さも随所にあって、楽しませてもらいました。
(2015年-49冊目)
☆☆

「ジャイロスコープ」

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◆2015年7月29日
「ジャイロスコープ」(新潮文庫)
伊坂幸太郎

虎屋の菓寮で7月の和菓子を試してみました。
金魚が泳いでいる姿をかたどったもので、大正7年にできたという「若葉蔭」(写真)。
大きな硝子製の器に載っています。
季節感はもちろんのこと、暑い夏にせめて見た目や器で涼を味わうのも、日本人らしいなと思います。

伊坂幸太郎の短編集。といっても連作ではなく、過去のアンソロジー収録作品などを集めたものです。
書き下ろされた最後の一編を除き互いに関連はなく、いつもの短編同士が響き合う感じもありません。正直アイディア倒れと思える作品もありました。
そんな中で、「彗星さんたち」という、新幹線の清掃を担当する人たちを描いたお仕事小説の論理展開が面白かったです。
誰かの人生が新幹線に乗ってくる、なんて…。ダイナミックさと細部へのこだわり、両方がバランスよくかみ合って伊坂作品らしさを感じました。
(2015年-26冊目)

「火星に住むつもりかい?」

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◆2015年3月20日
「火星に住むつもりかい?」(光文社)
伊坂幸太郎

秘密警察が市民を監視し、密告を奨励する。中世の“魔女狩り”を思わせるそんな世界が舞台。
秘密警察と、突然現れた“正義の味方”の戦いが描かれます。

著者の場合、いくつかの平行した話が一つに収斂していくパターンが多いですが、今回は違っています。
延々と秘密警察に迫害される市民、続いて警察内部の描写。最後にはどんでん返しがあるものの、気持ちよさはありません。
「ゴールデンスランバー」などにも描かれた体制側から追われる恐怖は十分伝わりますが、ラストにつながる人物の行動原理など、重要な部分が描かれてないせいで、消化の悪い物を食べたような読後感。
最近の伊坂作品はおおむね読んでいますが、この作品は好きにはなれないです。

写真は、先日とらやのカフェで出た和菓子、遠桜。街ではちらほら桜が咲き始めました。(2015年-10冊目)

「キャプテンサンダーボルト」

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◆2015年1月26日
「キャプテンサンダーボルト」(文藝春秋)
阿部和重 伊坂幸太郎

阿部和重と伊坂幸太郎の共著。執筆をどう進めたかについては、文藝春秋のHPにご本人たちの対談が載ってて、興味深かったです。
再会した少年野球時代のチームメイト、相葉時之と井ノ原悠が得体の知れない事件に巻き込まれてしまうというストーリー。東京大空襲の日に蔵王に墜落したB29、お蔵入りした子供向け戦隊ものの劇場版。これらの謎を解いて真実に迫っていく展開はテンポよく、読み応えがありました。
少年時代に夢想した自分と現実とのギャップについて、ついつい二人が考えてしまうところが印象的。果たして、人生に大逆転はあるのか?
二人と一緒に行動することになる桃沢瞳のキャラクターも面白く、爽快なエンタテインメント作品でした。

写真は、相模湾の夕暮れです。
(2015年-4冊目)☆☆☆

「アイネクライネナハトムジーク」

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◆2014年10月25日
「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎)
伊坂幸太郎

前に出た「首折り男の協奏曲」に比べ、私はこっちの方が好みです。
この連作集では、殺し屋も泥棒も怖い組織も出てきません。珍しく人と人との出会いや恋愛話がメインです。(作者もあとがきで書いていますが)

どこにでもいそうな普通の人々の、平凡な日常の機敏が描かれます。そんな中で、いろいろ印象に残る言葉も。
出会いについて「これが出会いだ、ってその瞬間に感じるんじゃなくて、後でね、思い返して、分かるもの」とか、「(夫婦の関係は)外交そのものだぞ。宗教も歴史も違う、別の国だ」とか。
いつもの伊坂作品と違い、温かいです。同じ登場人物がいくつかの短編にまたがって登場するのは毎度のことですが、人と人との関係が連鎖していって、ひょっとして見知らぬ誰かと何かを共有することができるかも、と考えてしまうのは、この雰囲気ゆえだと思います。
(2014年-56冊目)☆

「首折り男のための協奏曲」


◆2014年3月24日
「首折り男のための協奏曲」(新潮社)
伊坂幸太郎

伊坂幸太郎の短編集。
各短編のエピソードや登場人物がつながって、全体でゆるやかに一つの世界を形成しています。
タイトルにある「首折り男」は、作中で特殊な殺害方法をする殺し屋。しかし「時々良いことをして、バランスを取りたくなる」。
彼の「良いこと」によって救われる人がいて、世の悪意や理不尽がこんな風に本人の知らぬ間に解決されたら、とついつい思わされてしまうのだけれど、果たしてそれでいいのだろうか?とも思います。
伊坂作品の常で、読んでるときは面白いのですけど…。その辺りの感覚に何となく割り切れなさを感じます。

そのほか、珍しい恋愛話や恐怖話などの短編を収録。
最後の合コンの模様を延々と実況するような話は、何なんでしょう、これは?どういう読み方をすべきかよく分からない短編。
何となく著者の「砂漠」なんかを思い出させる一方で、不思議な展開に戸惑います。
(2014年-22冊目)

「ガソリン生活」


◆2013年4月4日
「ガソリン生活」(朝日新聞出版)
伊坂幸太郎

朝日新聞に連載されたミステリーです。連載の時は早々に離脱したので、読むのはほとんど初めてでした。
車(緑のデミオ)の一人称でお話が進みます。

望月家の兄弟、良夫と亨がドライブ中、突然デミオに乗り込んできた女優、荒木翠。その数時間後、パパラッチに追いかけられ、彼女は恋人と一緒に事故死してしまう…。

なにしろ車の一人称なので、
・車自身の意思では行動できない
・情報は、車の中で話されたことと、他の車から聞く噂話に限られる
・車と人間とは言葉のコミュニケーション(会話)ができない
等々の制約があり、その中でデミオが考え、体験し、見聞きしたことが綴られていきます。人間の事件が車目線で語られるため少々まどろっこしく感じる一方、車の考えることがどことはなしに面白かったり。
荒木翠の事件には、ダイアナ元妃の事件が重ねられていて、一瞬あの後味の悪さが頭をよぎりますが、そこは最近の伊坂作品らしく、人間の良心と絡めて現代のおとぎ話に仕立ててあります。
書店のポップにある作者の言葉によれば、「いつまでもこの世界にいたいと思える話が目標だった」とあります。子供の頃には車にも心があったら、などと空想したものだし、もしかすると将来テクノロジーの発達によって車が喋りかけてくるぐらいのことは実現しそうです。そしてまた、自分達の日常の世界のどこかに、こんな話があったら面白いよね、と思わせてくれます。
最後は不覚にも、泣けました。
(2013年-31冊目)☆☆

「あるキング」


◆2013年1月20日
「あるキング」(徳間書店)
伊坂幸太郎

著者本人も言っている通り、いつもの伊坂作品とは雰囲気が違います。こういう本も書いちゃうところが伊坂幸太郎だなあと思います。
本作は、第三者により主人公・山田王求(おうく)の一生を記録する体裁を採っています。彼は、プロ野球チーム・仙醍キングスの名監督、南雲慎平太が事故で死んだのと入れ替わるようにこの世に生を受け、熱狂的なキングス・ファンである両親に育てられます。
両親が自らに課した使命は、いつか王求が仙醍キングスに入りチームを勝利に導くために、王求を育てること。普通の親子の情愛とかそういうものを超越して彼を育てる様は、やがて王となる貴人をかしずき育てる傅育係そのままです。
小学生になり、野球に並外れた天才を顕し始めた王求に父親は言います。「ホームランとは、世の中の不安や恐怖、忌々しいことを、全部突き刺して、宇宙に飛ばしてしまうのだ」と。しかし、勝負のかかる殆どの打席で彼は敬遠され続け、チームの状況も劇的には変わらないのでした。
本作の下敷きはシェイクスピアの「マクベス」(有名な「きれいはきたない」が原語で「Fair is foul」だったとは知りませんでした!)ですが、私はフレイザーの「金枝篇」にある<春の王>を思い出しました。世界各地にあるという、国の衰退と共に王が殺され、新しい王が立てられるという説話とイメージが重なります。
すべてのものを変えることの出来る王というものの存在、人智を超えた能力と犠牲的精神によって、閉塞的な現状を吹き飛ばしてほしいという願いは、いつの時代にも民衆の無意識下にあると思われます。
この作品が書かれたのはあの震災よりも前だと思いますが、何となく日本の現実をも表している気がして、感慨深く読みました。(2013年-9冊目)☆☆☆
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