千両過眼

東京在住の会社員です。読書、舞台、展覧会の感想などを書いています。

吉田修一

「ミス・サンシャイン」

◆2022年2月10日
「ミス・サンシャイン」
吉田修一

著者の作品は新刊が出るたび読みたいと思っていて、本作もすぐに購入して読みました。
お話をすごく簡単にいうと、大学院生の青年がアルバイト先の元世界的女優すずさんと触れ合ううちに彼女に惹かれていく、というもの。
私にはこのくだりがどうも説得力不足に思えて、え?本当に惹かれているのかな?と何度も思いました。

すずさんの出身は長崎で、彼女の幼馴染が出てきます。決して語らないことですずさんの秘めている思いは伝わるのだけれど、そのことが主人公の心にどのような影響を与えたのかは読み取ることが出来なかったです。

「湖の女たち」

◆2020年12 月
「湖の女たち」(新潮社)
吉田修一

著者の作品を読むとき、いつも期待感を持って取り掛かるのですが、それは著者作品の文学性によるところが大きいです。
たとえば人は、思っていることと裏腹な行動をとってしまうことがある。その行動が複雑に積み重なって思いもよらない現象が起きる。突然、過去の出来事が現在に関係する。
そういうところに、人間と世界の本質が垣間見える気がするのです。

作品の舞台は琵琶湖畔の地方都市です。琵琶湖というと風光明媚な風景を思い浮かべますが、この作品では湿り気を含んだような空気が重苦しく感じます。「悪人」の漁村の景色の閉塞感にも重なります。

介護療養施設に勤める加代は、施設で起きた老人の不審死を捜査するために乗り込んできた刑事と、ある種の関係になります。
恋愛とか不倫とか、この関係を一言でいうのは難しいですね。権力を持って捜査する側と、たとえ疚しいところはなくても公権力に睨まれるだけでも恐ろしい捜査される側、その関係が生み出した奇妙な関係とでもいうべきでしょうか。
子供の頃に天狗にさらわれる夢想に興奮を覚えていた、という加代の元々の嗜好も関係ありそうですが、何事もなく普通の毎日を送っていた加代が泥沼的な関係にはまっていったのは、この特殊な状況ゆえのことだったと思われます。
二人の個人的関係に、警察の取り調べと冤罪の問題や警察内部のヒエラルキー、戦時中の秘められた事故と老婦人の湖の記憶が織り交ぜられ、思わぬ展開を見せ始める事件。

事件の謎解きがテーマであれば構成の破綻と言われそうなところですが、人間の心は一筋縄ではいかないし、予定通りに出来事は進まないところにむしろ納得できます。
著者作品特有の読後のモヤモヤ感がこの作品においても残ります。著者の作品が、ミステリー的な形式を借りていながらミステリーではなく、人間とは何か、世界とは何かを語ろうとしているからだと思います。

「アンジュと頭獅王」「逃亡小説集」

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◆2019年10月
「アンジュと頭獅王」(小学館)
「逃亡小説集」(KADOKAWA)
吉田修一

いま映画「楽園」が公開されていることと関係しているのか、吉田修一さんの本が続けて出ましたね。
どちらも、いつもの著者作品に比べると、毛色が変わった作品です。

「アンジュと頭獅王」のもとになったお話のようなものを説経節というのだそうです。
幼い姉弟とその母親を襲った理不尽な悲劇、というふうに思ってしまうのですが、確かに仏教説話の霊験譚と言われればそうだなと思います。
途中までのストーリーは、以前どこかで聞いた安寿と厨子王のお話通りなのです(けっこう残酷でもある)が、途中から様相が変わります。現在の東京が出てきたりして、お話が時空を超えるのです。
こんな話だったっけ、と少し困惑。
本作は、パークハイアット東京の25周年記念として執筆依頼されたもの。「タイムレス」を主題にしようということで、古典が題材になったそうです。なるほど、という感じです。

「逃亡小説集」は、3年ほど前に出た「犯罪小説集」のシリーズでしょうか。
中編4作で構成されています。
読んでてまずまず面白くはあるのですが、長編に比べるとどこか物足りない気がします。この著者の場合、頁数を重ねて初めて感じられる感覚があると思うのですが、短編だとそこになかなかそこに行き着かなくて、もどかしい感じです。
ラストの「逃げろ、ミスター・ポストマン」には、その言葉にならないような感覚が少し感じられて、あ、吉田修一だと思いました。

「続  横道世之介」

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◆2019年7月
「続  横道世之介」(中央公論新社)
吉田修一

「横道世之介」の続編です。彼の大学卒業後の一年間を描いています。

充電期間というと聞こえはいいですが、世之介はパチンコとバイト、友人コモロンとの飲みで毎日を費やしています。
でも、そんな日々の中にも新たな出会いが。浜ちゃんや、桜子と息子の亮太、桜子の家族。彼らとの交流が描かれます。
世之介の特徴をひとことでいうとすると、特別でないことでしょうか。少なくともこの時点では、世之介は周囲から褒め称えられるような人ではなく、むしろダメ人間にさえ見える。
でも彼がいると不思議に場が温まるのですよね。無意識に他人の痛みに寄り添う彼のキャラクターは、世之介と同じように人生のどん底を送る者、辛さや弱さを抱えながら奮闘している者たちに勇気を与えるのではないでしょうか。

一見とりとめなく世之介の日常が流れていく一方で、彼と関わった人たちの約20年後が描かれます。
現在と過去を行き来するこの書き方は前作を踏襲していますが、登場人物たちの現在が一つの共有された時間に収斂していくのが変わった点と言えるでしょう。
折しも東京でオリンピックが開かれており、この晴れ舞台で起こる出来事から、世之介の心がちゃんと今に生きているんだというのがわかって胸に残ります。

「国宝 (上)青春篇」「(下)花道篇」

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◆2018年10月8日
「国宝 (上) 青春篇」「(下) 花道篇」(朝日新聞出版)
吉田修一

歌舞伎の世界に取材した小説としては宮尾登美子の「柝の音」が思い浮かびますが、新たな傑作の誕生といってもいいのではないでしょうか。
終戦後、復興途上の長崎。丸山の料亭で開かれていた任侠の宴会が血みどろの抗争となり、目の前で父親を殺された立花喜久雄は、郷里を離れ関西歌舞伎の名門に弟子入りすることに。やがて天性の美貌と品によって頭角を現した彼は、歌舞伎役者としての道を歩き始めます。
冒頭から、さながら歌舞伎の演目たとえば伊勢音頭の「貢の十人斬り」のような凄惨な殺戮シーンが繰り広げられます。語り口も講談のような語り物調。
考えてみれば、この小説自体がわが国の戦後の道程を背景にした語り物といえるのでは。

喜久雄が芸養子となった丹波屋には一人息子の俊介がいて、同世代の彼と切磋琢磨しながら喜久雄は成長していきます。伝統の上に脈々とつながる血筋と、努力と天稟により成り上がった芸。丹波屋の跡取り問題も絡み、喜久雄と俊介が対比的に描かれます。
ここで私たちは、歌舞伎の芸とは何だろうと考えます。
歌舞伎には基本、演出家はおらず、家に代々継承された芸を持ち寄って演じるという側面が強いのですよね。もちろん役者個人の創意はあるものの、その根底には文化とか古典芸能とか言われる以前から伝わる「家の芸」があり、先祖から連綿とつながる血統による継承がある。
となれば、役者たちは唯一無二の家の芸を体現する存在であって、一個の意思を持った人間である以前に役者である、という状況が生まれます。そして、ここが歌舞伎と他の演劇が決定的に違う点なのではないかと思います。
下巻の後半で、家族よりも芸を優先することを隠そうともしなかった喜久雄を、娘がなじる場面があります。正直、読む方もこの喜久雄の行動にぞっとする場面です。役者という存在の業の深さを表しています。
そして、これはラストの喜久雄の、芸道の究極的昇華と、その結果生まれる人間社会からの逸脱へとつながっていきます。

著者によれば、この作品は当代の中村鴈治郎さんに取材して書いたとのこと。鴈治郎さんは著者のために黒子の衣装を作ってくれ、文字通り舞台裏に出入りさせてくれたとのこと。
そのためか、楽屋でかわされる会話や興行元とのやりとり、役付きにまつわる駆け引きなどがリアリティをもって描かれています。役者が行き場を失って、映画や新派に転じるのもどこかで聞いたような話です。
登場してくる役者たちも過去の名優たちを想起させるものが多くて、作品のあちこちに、私たちが歌舞伎から感じる生の息づかいのようなものが溢れているように思いました。
(2018年18冊目)☆☆☆

「ウォーターゲーム」

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◆2018年6月28日
「ウォーターゲーム」
吉田修一

「太陽は動かない」「森は知っている」に続くシリーズ3作目。
鷹野が所属するAN通信にまつわる攻防と、中央アジアの水資源をめぐる情報戦が描かれます。
鷹野のほか、田岡やリー・ヨンソン、アヤコらおなじみのメンバーが活躍!
逆転に次ぐ逆転、どんでん返しが多すぎて、途中状況がわからなくなる(笑)ほどのジェットコースター的展開。

AN通信のスパイ養成所ともいうべき孤児院で育ちながら、そのコースから外された若宮真司という青年が登場します。
彼はそれを「自分が母親にも愛されなかった子供だからだ」と理解し、その鬱屈を持ったまま人生を送っています。
このシリーズ、親に虐待を受けたままだったのと、AN通信に拾われて死と隣り合わせで生きるのと、どちらが子供にとって幸せだったかということをいつも考えさせられるのですが、今回はAN通信にまで捨てられた子供の自己肯定感の欠如と果てしない虚無が描かれていて、胸に迫りました。

このシリーズ、映画化されるそうです。おそらく前2作が中心になるのでしょうね。
条件付きの生という特異な状況、その中で不思議な前向きさを見せる鷹野のメンタリティが、うまく出てればいいんだけど、と思います。
(2018年13冊目)☆☆☆

「犯罪小説集」

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◆2016年11月20日
「犯罪小説集」(KADOKAWA)
吉田修一

犯罪をテーマにした「青田Y字路」「曼珠姫午睡」「百家楽餓鬼」「万屋善次郎」「白球白蛇伝」の5篇。
ミステリーではないのでトリックがあるわけでもなく、ただただ犯罪の顛末が、第三者のルポ的な目で語られます。
中には、以前ニュースで見たような話も。

人はなぜ罪を犯すのか?表面的な動機からだけでは見えない何か、ワイドショー的な理由付けや人間の弱さなどの安易な言葉でくくれないものを、著者は炙り出そうとしているようです。
吉田修一の作品がスカッとしない(いい意味でも悪い意味でも)のは毎度のことですが。
並べられた5篇を見ると、どれも人間の事情に様々な必然偶然、巡り合わせが重なって、事件への流れが出来ていくことに気付きます。
根っこの部分では「悪人」や「怒り」と通じていますが、短編であることで、犯罪そのものと人間心理の関係性がよりクローズアップされているように思います。
(2016年48冊目)

「橋を渡る」

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熊本県を中心とした九州の地震により、被災した皆様にお見舞い申し上げます。
一日も早く安心な生活に戻ることができますようお祈りいたします。

◆2016年4月14日
「橋を渡る」(文藝春秋)
吉田修一

(ネタバレあります。未読の方ご注意お願いします)
途中までは、ああ、いつもの吉田修一だな、と思って読んでいました。この作者には「悪人」などがある一方で、起承転結よりも心理の綾を描き出すのが主眼と思えるものがあって、本作は後者だろうと。

最初の3章(春・夏・秋)では、三組の主人公の何気ない日常描写が大半。
一見、模範的な大人に見える彼ら。しかし一面では、冒頭のビルの屋上で自らの足元を破砕するショベルカーのように、不確かな土台の上で微妙な心のバランスを保っています。
彼らの目に飛び込んでくる様々な情報、中でも実際にあった都議会でのセクハラヤジ事件が話題に。発言者を周りは判っているはずなのに、最初の一人が叩かれたあとは、皆が口を噤んでうやむやになったという、あれです。
日常生活の中で繰り返される正しいこととは何か、という問いの前で、立ちすくむ主人公たち。

次の章の舞台は一転、なんと70年後の未来。人間の生活形態と倫理観が変化し、生殖医療技術によって人工的に人が作り出される世界です。
SFっぽい光景の中で語られる男女の逃避行。徐々に判ってくるのは、この未来が前3章に描かれた現代の「結果」であり、ここまでは前段に過ぎなかったのだということ。
正直こうくるとは思わなかったので面食らいました。
エピローグである奇跡が明かされ、ここで初めて、この小説はファンタジーなのかもと気付きました。
貧困や差別、戦争、世の中に辛いことはあれど、人の祈りや願いが世界を変えることができるかも知れない。この作品は、著者流の希望の表現なのだと思います。
(2016年-19冊目)☆☆☆

「作家と一日」

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◆2015年12月6日
「作家と一日」(木楽舎)
吉田修一

恐らく人間の本能のようなものだと思いますが、飛行機に乗ると、しばらく気持ちがざわざわします。そのうち落ち着いてきて雑誌でも読もう、ということになりますが、そこで目に飛び込んでくるのがANA「翼の王国」の吉田修一のエッセイ。
機内誌なので、旅先での体験談とか風物、食べ物の話などが多いのですが、人物との素敵な出会いや著者が折々感じたことなどもあって、何事かに気付かされたり、ちょっと楽しい気持ちにさせられたりします。
この「ちょっと」というところがミソで、旅先に向かう緊張感や予定を抱えた身にヘビーな話や長く尾を引く話は勘弁なので、他の連載と合わせて読んで、心の片隅に気持ち良く余韻として残る、ぐらいの軽さと分量が、いかにもちょうどよく思えます。
本書はこの「翼の王国」の連載が単行本になったもの。著者はあとがきで「平和な国に暮らす作家が平和な国を飛び回って書いたエッセイ」「この今の状況がどれほど奇跡的な一日の連続なのかということを忘れないようにしたい」と書いています。
著者と読者が、このような日々の出来事を束の間共有できるのは、本当に幸せなことだと思います。
(2015年-48冊目)

「森は知っている」

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◆2015年6月20日
「森は知っている」(幻冬舎)
吉田修一

前作「太陽は動かない」の登場人物・鷹野の少年時代を描く長編。
沖縄・南蘭島。17歳の鷹野は同じ境遇の少年・柳とともに、AN通信の教育係・徳永のもとで諜報訓練を受けながら、この島の高校に通っています。美しい島の自然と、転校生・詩織との出会い。
ある時鷹野は、先に島を出た柳が組織を裏切り、姿を消したことを聞かされます。

「太陽は動かない」感想→http://senryokagan.blog.jp/archives/1009979433.html

コンゲーム的国際謀略サスペンスの前作。本作はその前日譚ですが、青春物語的側面もあります。私は前作の内容をかなり忘れていましたが、むしろ先が分からず良かったです。こっちから読む方がオススメかも。
詳述は避けますが、鷹野は幼少期に親に虐待を受けた過去を持っています。
作品では、かつてその一瞬一瞬しか生きられなかった鷹野が、周囲の言葉や気遣いによって、未来へ向けて生きる力を徐々にですが、手に入れていく様子を描いています。
とはいっても鷹野の将来に待つのは普通の生活ではなく、常時組織によって酷使され、監視され、生死の境に身を置く産業スパイの仕事。それが嫌なら、戸籍もなく抹消された人生をひっそりと生きるしかない。まだ少年である彼に、これ以外の選択肢が存在しないことが悲しいです。
こんな状況の中でも、鷹野の毎日は続いていきます。

人は何のために生きるのか?
理不尽で、不合理に満ちたこの世界。でもその片隅に、きれいなものや美しいものが少しだけ存在している。誰かが誰かを気にかけたり、その人のために身を擲って行動したりすることで、人はその日の苦しみに耐えられるのではないか?
一日一日を生きてさえいれば、それは明日につながっていく。
がんじがらめに見える鷹野の人生に、著者はかすかな希望を描き出します。
島の奥にある青龍瀑布に、詩織と共に出掛けるくだり。滝を見ながら問い掛ける鷹野と、これに応える詩織の会話が心に残ります。
「ここよりももっと良い場所、あるよな?」
「あるよ、いっぱい。私たちが知らないだけで」
この物語の中で、明るい未来を想像させる数少ない場面。二人の上に一条の光が差し掛けられたように感じました。
(2015年-20冊目)☆☆☆☆

「怒り 上・下」


◆2014年3月19日 「怒り 上・下」(中央公論新社) 吉田修一 最近「らしくない」作品が続いていましたが、久々に吉田修一を読んだ~という感じでした。ミステリーぽい書き方で、人間の心の奥底を描いた秀作です。 冒頭、殺人事件の生々しい描写から始まります。犯人は逃走、被害者宅には、壁に書かれた「怒」の血文字。 普通のミステリーなら、犯人像や犯行動機が少しずつ明らかになっていくところですが、そこは吉田修一、一筋縄ではいきません。 ここから交互に語られるのは、全く別々の場所に住み、生まれも境遇も異なる人々を描いた3つの物語。彼らはゲイだったり歌舞伎町から故郷の漁村に連れ帰られた娘だったりで、それぞれ社会との距離感を感じているという設定。 そんな彼らの前に、素性も前歴も分からない青年たちが現れます。それぞれの場で深まっていく人間関係。 しかし時が過ぎるにつれ浮かんでくる「もしや、彼が…」という疑惑。 「悪人」では、寂寥を心に抱えた主人公の傍らに、彼に惹かれる女性を登場させることで、純愛小説の趣がありました。終盤の逃避行は浄瑠璃の道行きのような哀切さとともに、生命の輝きが表現されていたと思います。 本作の場合は「愛した(信じた)相手を、本当に信じきれるかどうか」ということに焦点が当たっていて、よりシビアな展開です。文章が素晴らしく上手いだけに、読んでいて切ない気持ちになりました。 最後の最後、ちょっぴり光明があるのは救いです。一方で、もっとも大きな闇の正体には触れられぬまま。 私が思ったのは、今の時代、人の心理や動機について明快に理屈付けしうる言葉は存在しないのではないかということ。その意味で、不気味な「怒」の文字は、冒頭の犯人を語るのにかえって妙な説得力を感じさせます。 タイトルにはこの逃走犯と、信頼を裏切った者に対して行動を起こさざるを得なかった者の怒り、両方の意味が込められているのかなと思いました。 (2014年-20,21冊目)☆☆☆☆

「空の冒険」


◆2013年8月7日
「空の冒険」(集英社文庫)
吉田修一

全日空の機内誌「翼の王国」連載の書籍化。前半が短編小説、後半がエッセイ。いずれも旅がテーマになっています。
「空の冒険」は今も「翼の王国」に連載中なので、ANAに乗るときには、楽しみにしています。
この機内誌には、各地のお祭りだとか食べ物だとか、魅力的な記事が多いのですが、つい2、3か月前に読んだ「空の冒険」に、吉田修一氏本人が飛行機に乗った時のことが書かれていました。
この時、吉田氏が機内でトイレに立った際、行き合ったスチュワーデスについ「翼の王国」に連載を持っていることを話してしまい、「『おべんとうの時間』ですか?」とか、いろいろ聞かれて恥ずかしかった由(この機内誌には、いろんな分野の人のお弁当を紹介する人気記事がある)。著者の気持ちを考えると可笑しかったです。

文庫所収の短編小説とエッセイも、数ページのなかに人間心理の機微が描かれているものばかり。
礼儀正しさと、ちょっぴり作者特有の照れ、みたいなものが同居する文章に、親しみを感じました。

写真は、ANAのポケモンジェットです。
(2013年-65冊目)☆

「愛に乱暴」


◆2013年7月3日
「愛に乱暴」(新潮社)
吉田修一
 
久々に吉田修一らしい作品来た!という感じです。
考えてみると、「路」も「太陽は動かない」も「平成猿蟹」も"らしく"なかったんですよね。
なんかこう、鬱屈してるというか、人間の心の不思議をあぶり出すような(笑)吉田作品を読みたいと思っていたので、嬉しいです。
 
主人公は割と裕福な家庭の主婦です。
築何十年にもなる古い家。母屋に義父母、離れに夫婦二人が暮らす二世帯住宅。
結婚して8年、夫婦仲はまあ普通な感じで、姑とは分かり合えない部分がありながらも、それなりに安定した間柄。
ゴミ出しのこととか庭に来る捨て猫のこととか、日常の光景が積み重ねられていきます。各々の努力の上に成り立っている人間関係。この辺の描写はさすが。
しかし途中から雰囲気が一変します。なんと夫に愛人がいることが発覚。どっちつかずの夫に対し、現実感のない態度を取り続ける妻。一見以前と変わらない日常が堆積していく中、ちょっとずつ現実世界と彼女のズレが表面化していきます。
叙述ミステリーっぽい仕掛けもあって、眩惑されました。
終盤、救いの兆しがあるものの明確な起承転結があるわけでもなく、もやもやした読後感が残ります。そういうところも吉田修一らしいと思いました。
 
写真はアガパンサス。「愛の花」の意味です。和名は紫君子蘭(むらさきくんしらん)というそうです。
(2013年-53冊目)☆☆

「路(ルウ)」


◆2012年12月24日
「路(ルウ)」(文藝春秋)
吉田修一

吉田修一氏の「路(ルウ)」を読みました。
日本製の新幹線が台湾を走る、そのプロジェクトに関わる女性を中心に、何組かの人間ドラマが描かれています。
商社に勤める多田春香は、台湾新幹線建設のための現地スタッフとして台北へ赴任することに。彼女を台湾と結びつけたのは、学生時代に旅行で訪れた際ふとしたことで知り合い、淡水を案内してくれた台湾人青年との思い出。
日本人誰もがどこか懐かしさを感じるという台湾の地で、ゆったりとした時間が流れていきます。異国の地で放射状に拡がっていく「絆」の物語。

本書を読んでまず思ったのは、あれ、著者はいつから池井戸潤みたいな作風になっちゃったんだろう、ということでした(笑)
人と人との言葉で表せないような微妙な行き違い、ふとしたことから表に出てくる負の感情。これまでの吉田氏の作品に比べてそういうところがなく、むしろその逆で、優しさや暖かささえ感じさせます。
これは、舞台となっている台湾という場所がそうさせるのでしょうか。著者が描く台湾は、どこかこの世の楽園のように感じられます。
本書を読んで思うのは、出てくる食べ物のどれも美味しそうなこと。屋台の熱々のお粥、私も食べてみたいです。
現代のおとぎ話のような本書にあって、春香の思い出の中にある恋の行方がなかなか一筋縄で行かぬところばかりは、この著者らしいなと思いました。

写真は、作中にも出てくる鼎泰豊の小籠包。といっても汐留のお店のです(笑)
かつて一度だけ台湾に行ったことがありますが、本書を読んでまたすごく行ってみたくなりました。(2012年-102冊目)

「太陽は動かない」

◆2012年5月20日
「太陽は動かない」(幻冬舎)
吉田修一

吉田修一氏の新刊です。これまでの作風とガラッと変わり、ジェットコースター的アップダウンの国際謀略サスペンス。面白くて一気に読みました。

冒頭、かつてNHKを揺さぶったスキャンダルと莫大な資金の眠る海外隠し口座の存在が明かされます。一体どんな話が始まるのかと思ったら、物語は現代へ。
「情報屋」の鷹野は、ホーチミンの新年パーティで謎の東洋人女性と知り合うことに。中国で開催されるサッカー・日韓戦会場での不穏な動きを察知し、天津へ向かう鷹野。そこで待っていたのは…。

日本、中国、米国…各国の政府、企業を巻き込んだ情報戦、渦巻く謀略と裏切り、コンゲーム的な展開、こうくれば井上尚登氏の「TRY」の現代版のようでもあります。
本作に特徴的なのは、したたかに世界を相手にしている主人公・鷹野のキャラクター。彼は一体何者なのか?読み進むうち、生への強い渇望が、彼のアイデンティティと繋がっているのだと分かります。これまでの吉田作品と全く逆の人物像というわけではないのだなと思えてきます。
それにしても、私達が日頃、新聞で読んでいる様々な事件や問題の裏側に、隠された利権や金の動きがあるのは暗黙の事実でしょう。それらを動かしているのは様々な欲望や感情を持ち、なかなか一筋縄でいかない「人」という存在。「平成猿蟹」もそうでしたが、その辺の描き方がとてもリアルです。
もともと器用な作家とは思っていましたが、いろんな要素を組み合わせて、このようなエンタテインメント作品を作ってしまうのは凄いと思います。

画像は今朝撮った金環日食と、欠け始めの写真(日食眼鏡越し)。東京は薄曇りでしたが、雲の隙間から時々顔を出す太陽。日食の時に空気が冷たくなるということを初めて知りました。(2012年-47冊目)
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